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*我ら曠野を征きて [#e9343398]

**革命は東方へ [#n7b7dc17]

***「アナーキーの父((バトゥコ))」ネストル・マフノ執務室 [#ca13c800]

ルーマニア鉄衛団の迅速な壊滅は、ヨーロッパの中立的勢力が皆無に帰した事を意味した。陣営はサヴィンコフの「エヂーナヤ・ロシーヤ((統一された不可分なロシア))」と、
旧帝国主義国家だったイギリス・フランス・イタリアによるヨーロッパ=コミューンである。彼らは表面上融和を謳っていたが、サヴィンコフ=マフノ会談が物別れに終わった後、
国境地帯における動員と教練が始まり、いつ戦争になっても対処できる体制が作られつつあった。

&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);もう一度言ってみろ……え?
&ref(一般兵.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);で、ですからその……同志マルティと同志ドリオが、東側ドイツに急襲を掛けるというのです

マフノはかつて、赤ワインを浴びせてやった兵士が、とても申しわけ無さそうに振舞うのを見て青筋を立てていた――彼曰く、フランス=コミューンはモズレー率いる全体主義者と会談し、
ロシアに対する革命の陰謀を企てていると言うのだ。

&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);勝算はあるんだろうな
&ref(一般兵.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);も、もちろん。イギリスには既に、ロシアの精強な機甲軍を破る
&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);吸・血・鬼の軍隊が居るんだよなぁ?

兵が口ごもったのを機にマフノは立ち上がった。そして兵の周辺を回って、憤りを腹の底に秘めつつ話し始める。

&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);俺はウクライナで、サヴィンコフの軍隊と戦った事がある。奴は、ドン軍管区でコルニーロフの反革命軍を結成した後、レーニンとカイザーが秘かに和平を企てている事を知った
&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);ところがレーニンは、身内を抑えきれず和平に失敗した。だからドン=コサックの厭戦感情を諄々とコルニーロフに説き、コサックを媒介してドイツ帝国と和睦した
&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);俺は、サヴィンコフを裏切り者だと思う。奴はロシアを売りさばき、カイザーを裏切り、かっての植民地をより残忍な形で搾り上げている……だが奴がヴォルガで決起した時、虎が猛り狂うような勢いを誰も止められなかった
&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);あの天才たるトロツキーでさえ! それを、コミューンは因習に捕らわれ、奈辺にあるかもしれぬ地獄の底から蘇った、串刺し公とその愉快な仲間たちを使って赤の広場まで行くつもりなのか?

兵士は硬直した。マフノは彼の瞳が震えているのを見て哀れを感じた。この兵は、恐らくヴェテランだ。革命初期に軍隊に加わって、サンディカリズムが全てをよくすると思ったに違いない。
確かにサンディカリズムは国内経済を良くして、打ちのめされた人々のプライドを回復した。しかし革命の時代は去り、守旧の時代になると、かつての帝国と負けず劣らずの大義名分で、
コミューンは戦争を始めた。

マフノはこの兵士が哀れになった。自分が信じ切って止まぬ革命が、今この男の小動物が如き、許しを請う瞳によって覆されようとしている。

&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);Vive la révolution.

無表情のマフノは、兵士を外へやった。そして席に座り両手で顔を覆う。ウクライナの曠野は今どうなっているだろうか?
マフノたちが駆け、幾度となくドイツ人を打ちのめして来たあの曠野も、既にロシアの集団農場がびっしり覆っていると言う話だった。
英雄的夢想家が駆け抜けた後には、空虚な神話と黒煙を吐き出す工場のみが残り、彼らの目指した理想世界は、場末の映画館が用意したスクリーンにすっぽりと収まってしまう。

&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);何が理想の共同体だ……

日は暮れ、彼が見るフランクフルト・アム・マインの街並みは、蜃気楼のように消えつつあった。

**真に平和を愛する者 [#acb3ab72]

***ベルリン宮殿 サヴィンコフの執務室 [#le306a52]

一方のロシアとて、コミューンの陰謀を知らないでいる訳もない。特にサヴィンコフとデーレンタールは会合を重ね、敵情報将校が何人か捕らわれたのを機に陰謀の存在を確信するようになっていた。

&ref(親方サヴィンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);妙だな。あまりにも妙だ

サヴィンコフが情勢に疑問符を付けると、デーレンタールが微笑んだまま写真を三枚取り出した。

&ref(デーレンタール.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);私の妻が言った事は正しかったみたいですな。紅い目をしたカニバリズムの変態どもが、ここのところ真夜中に国境付近を偵察してきております
&ref(デーレンタール.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);12時から3時まで、彼らは自由自在に動き回って我らの動きを偵察しておる訳ですから、夜の番を増やさなければならず、夜の番を増やせば朝から夕の戦力が減ります

&ref(親方サヴィンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);夜に正気を保ったまま動ける人間は少ない。それが続けば精神に異常をきたす兵も増えるだろう。地味に厄介だな……

そう言いながら、サヴィンコフは続々と上がって来る報告書を決裁していった。
第一に、ルーマニア鉄衛団幹部を「最終的解決」した事。
第二に、ドイツ臨時政府の首班にエルンスト・ロームを据え、以てプロイセン参謀将校たちへの掣肘を試みる事。
そして第三に、カムチャツカで進められていたツァーリ・ボンバの研究が進み、あと数年で実用化できるとの事だった。

&ref(親方サヴィンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);そして……ドクトル・ブルガーコフか

サヴィンコフの独り言に反応したか、デーレンタールが第四の報告書を覗き込む。

&ref(デーレンタール.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);「犬の心臓」?
&ref(親方サヴィンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);奴お得意のレトリックだ。私が頼んでおいた強化装甲服の名前だよ

デーレンタールは首を傾げた。歩兵に装着する装甲は第一次大戦時から開発されていたが、どれもこれも開発費に値しない代物ばかりだったはずだ。

&ref(デーレンタール.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);甲冑に犬の心臓と言うのも、中々皮肉っぽいですが……
&ref(親方サヴィンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);オプリーチニキだ。雷帝の親近たる彼らが馬にぶら下げていたのは、犬の頭だ。奴は現代のオプリーチニキたる彼らが、そのいで立ちのみで世界を震撼せしめると謳っているのさ
&ref(デーレンタール.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);(どう考えても貴方への当てこすりだろう)

デーレンタールはそう思いながら、サヴィンコフカラ渡された報告書をざっと読む。ペストが流行った時代に医者たちが身に付けた防毒マスクと、分厚くしかも機能的な装甲。

&ref(親方サヴィンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);レビートフ辺りに着せればお似合いだろう

サヴィンコフの話を聞いたデーレンタールは、これを有効的に使う局面を思いついた。

&ref(デーレンタール.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);八発の鉛玉を受けてケロッとしている男です。ドラキュラ共に当たらせれば、なおいいのでは?

サヴィンコフはデーレンタールに第四の報告書を催促した後、ペンで流れるようにコメントを記載する。

&size(15){''Para bellum. Савинков,БВ''};

ブルガーコフの提案が、正式採用された瞬間だった。

***ザクセンの州境 [#z9584608]

&ref(レビートフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);クソ。なんたってこの俺が仮想パーティじみた服を……

マスクの裏で愚痴を零しながら、レビートフは木々を掻き分けていた。彼のいで立ちは鳥のくちばしを連想させる防毒マスクと、甲冑と形容すべき黒い鉄板で覆われていた。

&ref(ツルクル.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);まぁ良いだろ。こんな最新鋭の装備、俺たちが着れるだけ儲けものだぜ
&ref(レビートフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);たかだか化け物退治ごときでこんな鎧を? なぁツルクル。ボル七((ボルシェビキ))どもの弾を八発喰らってケロッとしてる俺が、焼き上げたパンの長さを競うだけが取り得のフランス人に負けると思うか
&ref(ツルクル.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);レビートフ。今回はРПКもキツネにつままれた気分なんだよ。本当にだぞ、童貞処女を一か所に集めて血を啜って、兵隊にするイカレた奴が居るんだ。しかも女みたいな顔をしてる
&ref(レビートフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);パルプフィクションも程々にしろ

ふたりは、後ろにも数人の甲冑兵士を引き連れて行動していた。カッペリからは突撃隊も仲間に入れろと言われたが、

&ref(レビートフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);(後ろから撃たれたく)ないです

と、レビートフが首を縦に振らなかったが故に、カッペリもそれ以上の文句を付けなかった。ローム参謀総長は死ぬと思われていたのに、「死につつある祖国を救う」名目で投降し、あげくドイツ臨時政府の宰相になり上がっていた。

&ref(レビートフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);上官の為にポールダンスを踊る軍隊なぞ、ギリシャの渓谷でアジア人に首を刎ねられて来いってんだ

全てはサヴィンコフがプロイセン参謀本部を牽制する為の、苦肉の策であったにせよ、レビートフにとってそれは理解できず、カッペリも後ろめたさを抱えていた。
苛立ちも相まってレビートフは早足で歩いていたが、ツルクルが追いついてこないので振り向き、舌打ちしながら戻って来る。

&ref(ツルクル.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);このマスク、不良品だ。夜だと視界が見えない
&ref(レビートフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);説明書を読まなかったのか? マスクの後ろにあるボタンを使うんだ。そうすると夜でも視界が見える

レビートフがツルクルのガスマスクを弄ると、ツルクルのマスクに光が灯った。

&ref(ツルクル.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);……本当だ。良く見える
&ref(レビートフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);ブルガーコフ博士の話じゃ、「第一次大戦に勝利の嵐を巻き起こせた」新兵器って話だ。塹壕から弾丸の雨あられを受けてもへっちゃらよ

レビートフはそう言って引き返そうとした……ところが、ツルクルはマスクの不調が治っても動かない。

&ref(レビートフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);冗談だろ、アントン・ヴァシーリイチ。俺だってこんな薄暗い夜の森は長居したくないんだぜ?

付いて来た兵士たちもツルクルの様子を怪しく思ったのか、彼の肩を叩いて話を聞こうとした。ツルクルは肩を叩かれた後、木々を見上げてからレビートフに問うた。

&ref(ツルクル.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);なぁ、レビートフ

レビートフは、ツルクルの声がぼんやりした響きだった事を訝しんで、ツルクルに倣い木々を見上げ……木の葉が赤く、小さな光を灯して自分たちを見ているのを知った。

&ref(ツルクル.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);木の葉からアンモニア臭がするなんて、変だよなぁ

レビートフは返事もせず、機関銃の安全装置を外した。

***ポツダム ロシア軍参謀本部スタフカ [#jb220fea]

&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);ウラジーミル・オスカーロヴィチ! これは一体どういう事だ!

私の面前で、セルゲイ・レオニードヴィチが机を思いきり叩いた。

&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);ミハイル・レビートフとアントーン・ツルクールの始末書を見たぞ。蝙蝠ごときに銃を発砲して大騒ぎになったそうじゃないか。コミューン共も風刺画を描きまくって世論を煽り立てている
&ref(カッペリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);まことに申し訳ない。ただ、彼らも収穫なしで逃げ帰った訳ではないようだ
&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);シャルリー・エブドに収益を上げさせる事が?

セルゲイ・レオニードヴィチは神経質な顔をして歩いていた。私が彼の敷き詰めた地図を見ると、そこにはドイツに駐留するフランス軍をいかに破るかが書き殴られている。
彼は、レビートフたちが自分の作戦に水を差すような事を嫌っているのだ。

&ref(カッペリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);お前とて、「犬の心臓」が兵士の命を助けたことくらい分かっているはずだぞ? 普通の蝙蝠だったらまだしも、あの蝙蝠は首筋を切り裂いて人間を殺せる
&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);それがどうした?
&ref(カッペリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);まず分かった事が二つある。あの強化装甲服なら、恐らく機関銃で築かれた塹壕線を容易に突破し、敵の中枢を攻撃できる
&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);今は機械化部隊の時代だ。石器時代の勇者など必要ない……

セルゲイ・レオニードヴィチは散々にくさした後、イスに座ってヒゲを掻いた。既に六十を越えた彼は、大きなため息を吐きながら首を横に振り、いかんなと呟いた。

&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);若い世代にはこれから、やってもらわなければいかん事が山ほどあるのだ……それがこの、体たらくでは

私は機が熟したとみて、懐からあるものを差し出した。セルゲイ・レオニードヴィチは死臭に釣られて私の手を見る。片翼が焼け落ち、既に屍となりおおせた件の小動物だ。

&ref(カッペリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);それと、この小さな爆弾もだ

セルゲイ・レオニードヴィチは腰を浮かせた。蝙蝠の亡骸と手りゅう弾を両手に持ち、互いを見てから私の方を見て、もしや……と聞いた。

&ref(カッペリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);そうだ。レビートフの隊が蝙蝠どもを撃退した後、ツルクルが片翼の焼け落ちた蝙蝠の傍に、ミニサイズの焼夷弾があるのを見て取った
&ref(カッペリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);焼夷弾は、他の蝙蝠の亡骸の傍にも落ちていた。そこで彼らが調べてみると、遂に蝙蝠がこれを抱えたまま息絶えている亡骸を見つけたのだ

セルゲイ・レオニードヴィチは亡骸と焼夷弾を置き、両腕を組んでから顎をさすった。

&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);今度の敵は、平押しでは済まぬな
&ref(カッペリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);何か分かったのか?

セルゲイ・レオニードヴィチが遠くに居た副官を呼び、ドイツに居る将星をかき集める陽命じた後、蝙蝠の足に小さな焼夷弾をぶら下げ、地図の上に落とした。

&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);アメリカ合衆国軍が、デンバーの戦いで駆使した手だ……蝙蝠に爆弾を装着し、夜間に焼夷弾を敵軍陣地にばらまく作戦が、内戦中に行われていた

セルゲイ・レオニードヴィチは、白い歯をむき出しにして笑った。「今度の戦争はすごいぞ」と言わんばかりに、まるで最高の獲物を見つけた猟師の如く笑った。

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数時間すると、各将軍たちが一斉に集まってきた。黒いコサック装束を身に付けたヴラーンゲリ議長。メガネを拭きながら資料を読み続けるドロズドフスキー将軍。
そして新しい入れ墨を確認するため袖をめくり顰蹙を買うアンネンコフ。彼らは一様に口を硬く結び、来るべき嵐をいかに凌ぐか、考えあぐねていた。

&ref(ピョートル・ヴラーンゲリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);……つまりこういう事かね、セルゲイ・レオニードヴィチ。彼らは動物を兵器として使い、夜間に我らの陣地を爆撃しようとした
&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);おっしゃる通りです、議長。コミューンの連中は蝙蝠に焼夷弾を運ばせて、時が来たら発火装置を作動し、陣地全体を焼き払うつもりだったのです

セルゲイ・レオニードヴィチの説明に耳を傾けていたドロズドフスキー将軍は、つまり。と言葉を切ってから自説を述べ始める。

&ref(ドロズドフスキー.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);彼らの戦力は戦車や航空機に限らないと言う事ですな。ともすれば爆撃機一個部隊以上の火力を持った蝙蝠どもが、そこかしこで駐屯地を攻撃する機会を伺っているかも知れない
&ref(カッペリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);可能性は十分にあります、将軍。私がサマーラで決起した際にも、軍鳩を使いチェコ軍団や総督の戦闘団と連絡していた。蝙蝠を爆弾に使う作戦はトリッキーだが、有り得なくない
&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);ひょっとするとその蝙蝠。あちこちで噂されてるドラキュラの使い魔かも知れんな! こりゃいかん、十字架とニンニクを用意して神父に祈りを捧げてもらわにゃ……

アンネンコフの口は笑っていたが、目は笑っていなかった。突っ込もうとしたセルゲイ・レオニードヴィチは、アンネンコフの据えた目を見て声を出さず、地図に目を落とす。

&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);ドイツにはあちこち森や洞窟がある。奴らが蝙蝠を使うとなれば、陸からだけでない、空からのゲリラ戦も考えねばならん……これでは、白衛軍を壊滅の危機に晒したまま相手の一挙手一投足を見過ごす羽目になる
&ref(ドロズドフスキー.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);奇襲攻撃が間近に迫っていると言うに。奴らに蝙蝠爆弾で駐屯地を壊滅させられたら、警戒線を一気に敵機甲軍が突破して来ますよ
&ref(カッペリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);何か手は無いのか?
&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);…………

五人全員が溜め息を吐いた。このままでは、ボルシェビキ十月クーデター以上の悪夢が現出しかねない……私は必至に、地図とにらみ合って対策のしようがないかを探した。
そしてミュンヘン辺りに目を落とすと、山間のなかミュンヘンへと通ずる、一つの道を発見した。

&ref(カッペリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);オーバーザルツベルク

四人が一斉に振り向いた。

&ref(カッペリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);ここを起点に戦車部隊で、一気呵成にバイエルンの中枢を陥落せしめる事は出来まいか?
&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);いや、待て……だが。しかし山とて蝙蝠は居るはずだぞ。レーダーに引っ掛かったらどうする
&ref(ドロズドフスキー.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);フランスがスイス全土を共産化しなかったのは、機械化に感けて山岳や水陸両用の作戦を怠っていたからです。蝙蝠を使えても運用計画に支障があれば……敵をごまかす事が可能ではないでしょうか?
&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);しかしそれを誰に任せる? ウラジーミル・オスカロヴィチか、それとも君か? ばくち打ちじゃあるまいし、そんな賭け事の為に白衛軍最強の戦力を使う訳にもいかん
&ref(ピョートル・ヴラーンゲリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);止せ
&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);は……?
&ref(ピョートル・ヴラーンゲリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);もはやそれしか手が無いのであれば、全てをハリストスの御心に委ね、救世の印を以て共産主義という悪魔に勝負を挑もうではないか?

ヴラーンゲリ議長の言によって、セルゲイ・レオニードヴィチは引き下がった。考えて見れば、蝙蝠を戦力にする発想を我々が考えなかった時点で圧倒的不利に立たされている。
ここは奇策の上に奇策を尽くし、勝利へ向かって邁進するほか無かった。心機を新たにしたところで、アンネンコフが歯をむき出しにして戯言をのたまう。

&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);万一の際は森を焼けばいいしな! 蝙蝠どもの拠点と言えば森か洞窟……
&ref(カッペリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);&ref(ドロズドフスキー.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);お前はもう黙れ
&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);……まじめに意見しただけじゃねかよ

目をつむり腕を組んでいたヴラーンゲリ議長が、アンネンコフを横目で見た。

&ref(ピョートル・ヴラーンゲリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);……詳しく聞かせてくれたまえ

今度は我々が目を白黒させ、口を大きく開く番だった。

**ヨーロッパ大行軍 [#a25c69a9]

***コミューン大陸軍司令部 [#z366041a]

&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);何……? 吸血鬼部隊はミュンヘンに送れないと?

切り口上で吠えたマフノに対し、エリック・ブレアは俯き加減で答えた。

&ref(オーウェル.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);申しわけない。吸血鬼の軍団は、あくまでもベルリン方面で扱うようにとの通達だ
&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);冗談をほざくな。あの連中がひり出す蝙蝠こそが重要なんだ。なんの為に吸血鬼を夜ごと偵察任務に出していると考えてる?
&ref(オーウェル.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);…………
&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);先手の一撃を加えるためさ! それに吸血鬼が独墺国境で陣取れば、まんいちそこから攻撃を仕掛けてきたロシア軍に打撃を……
&ref(オーウェル.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);不可能に近い。バートヴィースゼーには富農が別邸をこさえている。奴らの大半は英仏だけでない、イギリスの食糧だって握っているんだ。敵に回せば食糧不足になる!
&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);お得意の集団農場で何とかしたらどうだ!?
&ref(オーウェル.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);出来ないからこう言っているんだ!!

ブレアが叫んだ後、頭を抱えながらマフノに声を絞り出す。

&ref(オーウェル.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);我々だって努力している。そしてそれはフランス農家も変わるまい。だがなバトゥコよ、集団農場や富農の処刑ごときじゃな、ドイツの一封建国家の富農が生産する食糧にだって劣るんだ! ……分かってくれ

マフノは腕を組み、右から左へ歩き回った。腹背ががら空きの戦線など鍵の開いている家と同じくらい脆い。もしロシアが独墺国境に重点的な警戒線が張られていない事を知ったなら……マフノの懸念は当たった。

&ref(一般兵.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);ほ、報告ー!

エリック・ブレアの下に赤い目をした男が駆け込んできた。マフノは背筋に寒気を覚えながらふたりの話を聞いた。

&ref(オーウェル.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);バート・ヴィースゼーから……?

ブレアがミュンヘンの方角を仰ぎ、がっくりと肩を落とした。

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http://art5.photozou.jp/pub/867/3222867/photo/254961088_624.v1522787169.png

戦争は、布告なしという異常事態のまま推し進められた。バイエルンの民族主義者たちに手引きされたロシア軍は、山道を伝い一斉にコミューン大陸軍の急所を突破し、ミュンヘンまで到達。
現地に「南ドイツ臨時政府」を築いたロシア軍は、バイエルン人の支持を集めながら社会主義者の強制収容をも行い、後方でのテロを防いだ。
コミューン大陸軍内部ではバイエルンにおけるロシア全面攻勢など有り得ないという主張がまかり通っていたが、言うまでも無くこれは「そうなったらなすすべも無い」
このように考えられ、軍人としての義務よりも、党へのノルマを優先する軍人たちがこの問題を遠ざけていたからに過ぎなかった。
翌月、サヴィンコフはハインリヒ・ヒムラーと会談し、南ドイツ政府は戦後に独立するだろうと確約した。

http://art5.photozou.jp/pub/867/3222867/photo/254961067_624.v1522786551.png

ニュルンベルクにおいて大陸軍を包囲せん滅したロシア軍は、腹背を突かれた事に気付いた共産連合軍の混乱を突き、ベルリン方面でも大攻勢を開始。
またもや腹背を突かれた大陸軍は、そのままハンブルクまで後退してロシア機甲軍に取り囲まれる事となった。
とうぜん現地住民との軋轢から、イギリス軍特殊部隊による常軌を逸した殺戮まで行われている。

http://art5.photozou.jp/pub/867/3222867/photo/254961069_624.v1522786564.png

ハンブルクにおいて連合軍の主力を取り囲んだロシア軍は、彼らを飢餓状態に陥れるべく攻囲を継続したまま、ライン川に攻勢を開始。

http://art5.photozou.jp/pub/867/3222867/photo/254961093_624.v1522787236.png

最終的にはオランダ国境に到達し、コミューン大陸軍の大包囲網を構築する事に成功した……大陸軍はイギリスによる海上輸送に頼ろうとしたが果たせず、北部ドイツにおいて飢餓との戦闘に突入。
歴戦のマフノも、ロシア機甲軍に十重二十重に囲まれては成す術もなく、自軍のうちに潜む課題とも闘わなければならなかった……吸血鬼部隊は大陸軍の命を離れ、民衆に対して牙を剥いた。

***装甲列車ドロズドフスキー [#y5bc82d1]

http://art29.photozou.jp/pub/867/3222867/photo/253286041.v1514941296.jpg

&ref(ドロズドフスキー.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);……何、ハンブルクでドラキュラ部隊が立て篭もった? まずい
&ref(ドロズドフスキー.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);もし連中が民衆を人質にする事態になれば膠着状態に陥る。いやそれどころか、奴らが人々を食糧代わりにすれば敵戦力がネズミ算式に増えるぞ

ドロズドフスキーの苦悩は深かった。バイエルンの富農を道案内に突入した機甲軍が人民大陸軍を分断した後、各所で投降した都市の人々が兵士を襲う事件が発生していた。
彼らに襲われた兵士の中には首に噛みつかれて昏倒する者が少なからず出て、後方に移送されたあと獣のように衛生兵に襲い掛かって来る旨の報告が相次いで出た。
ドロズドフスキーは、負傷した兵の中から噛みつかれた者たちに青酸カリを与え、ベルリンに居たモレル医師に死体を解剖させたあと、驚くべき事実を発見した。

&ref(ドロズドフスキー.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);(赤い目と牙を持った人間は、血を吸う事で繁殖する)

という事実である。直ちにドロズドフスキーは全員に装甲服着用を命じ、陥落させた都市間に民間防衛組織を置き、「吸血病」なるカルテをモレルに書かせた。
「マルクスとエンゲルス、レーニンを持つ者はドラキュラの素質あり」という風に喧伝し、疑わしい書物を持つ人間を壁に並べて銃殺する日々が続いた。
あまりにも暴力的な指示を民防組織が黙々とこなし、遂に吸血ゲリラ組織を壊滅させたは良いものの、吸血鬼部隊が都市を人質に取った事でそれ以上の惨禍が起きる可能性は非常に高くなってしまっていた。

&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);よう。気難しい顔してるな

不意に訪れて来たアンネンコフをあしらおうとしたドロズドフスキーは、彼の眼差しがいつになく真剣なのを見て咳払いした。

&ref(ドロズドフスキー.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);……失礼。君がここを訪れるのは珍しいのでね。何かあったか?
&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);ワルシャワで暴動が起きた
&ref(ドロズドフスキー.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);大方ポーランドの、民族主義者だろう。あそこはロシアの支配に逆らう。良くも悪くも
&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);本当にそう思うか?

アンネンコフは報告書をドロズドフスキーに見せた。みるみるうちにドロズドフスキーの眉間が険しくなっていく。

http://art1.photozou.jp/pub/867/3222867/photo/255103666_624.v1523397076.png

&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);民族主義者の暴動なら、四方八方が敵だらけの場所で決起するか? もっとうまくやるさ。トロツキーに媚びへつらって地下パルチザンでも何でも作るに決まっている
&ref(ドロズドフスキー.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);だが、君の示す報告書ではワルシャワの一揆は失敗したと書かれている
&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);そもそも組織的じゃないからな! 敵が現れたのはワルシャワの繁華街じゃない……軍病院だ
&ref(ドロズドフスキー.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);……何?
&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);ヘルシンキでも同じ事が起きてる。あそこでも戦闘が起きたが、軍は撤退した。スウェーデン人が暴動を起こした奴らに味方したからな……一つ聞きたいんだが、おまえ吸血鬼化した連中をくまなく始末したんだよな

ドロズドフスキーはアンネンコフに直視され、報告書に何度も目を落とした後、肯いた。

&ref(ドロズドフスキー.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);私は、そう信じる
&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);……信用出来んな

アンネンコフは戦闘団員を呼びつけた。

&ref(NRPR戦闘団員.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);何でしょうか
&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);お前、とりあえず飛行機一機を調達しろ。ウッチへ行ってくる
&ref(NRPR戦闘団員.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);いや、お待ちください。飛行機なんてそんな簡単には……
&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);神と総督に誓ってこの偉大な将軍の尻ぬぐいをするんだ。文句あるか?
&ref(NRPR戦闘団員.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);……しかし
&ref(ドロズドフスキー.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);行かせてやれ。もとは私の責任なのだ

戦闘団員がドロズドフスキーの前で直立した後、敬礼して執務室を出た。ドロズドフスキーは背を向けたアンネンコフに礼を言う。

&ref(ドロズドフスキー.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);済まん

アンネンコフは首だけを捻ってドロズドフスキーにひとこと言って立ち去った。

&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);戦争だからな……お前も俺を見習え

アンネンコフが立ち去った後、ドロズドフスキーは両手で顔を覆った。もしこれで後方に悲劇が起きればそれは自分の責任である。
だが彼は前線に責務を担う故に、無辜な人民が怪物の餌食になるのを止められそうにない……彼は黒電話を手に取り、副官にこう告げた。

&ref(ドロズドフスキー.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);「バスマノフ((イワン雷帝の側近で、秘密警察・オプリーチニキの隊長))の件」を発動する……包囲した都市区間に、文明の痕跡を残してはならん

-----

「バスマノフの件」は直ちに開始された。

http://art1.photozou.jp/pub/867/3222867/photo/255104464.v1523403748.jpg

ドロズドフスキーの指令は即ち、「疑わしきものは極刑」に処す類のものであった。それが吸血鬼の牙が異様に発達した八重歯なのか。
唇に付いた血が「食事」の後なのか、或いは戦闘で出来た傷なのかを問わない大殺戮が始まった。

http://art1.photozou.jp/pub/867/3222867/photo/255103916_624.v1523399278.png

この作戦を助けたのは、皮肉にもスタフカやドロズドフスキーの才覚でなく、赤化したフランドル=ワロンの怠業であった。
彼らもまた吸血鬼による籠城作戦が失敗し自国領内に流れ込んで来る悪夢を恐れ、トロツキーの秘密指令で用意された補給部隊の司令塔が「白色テロ」で爆破される事態に発展。
ブリュッセル政府はトロツキーとサヴィンコフを秤にかけた結果、吸血鬼が国内に蔓延するより、投降して戦争犯罪の法廷で減刑を受ける道を選んだ。

http://art1.photozou.jp/pub/867/3222867/photo/255103878_624.v1523398957.png

ブリュッセル政府の高官は後に、回顧録において自分の判断を「人民を守る最良の選択」と誇った。ドロズドフスキーの苛烈な攻撃はロシア軍の往く先々で都市を崩壊に追いやった。
ケルン大聖堂は跡形もなく吹き飛ばされ、アーヘンに存在していたカール大帝の痕跡は今や散逸した。工業地帯は更地と化し、瓦礫の中から人々の呻き声が三日三晩響いた。
ルール川にはドイツ人の死体が藻のように浮かび、海へ海へと流されていった。彼らの中にどれほどの吸血鬼が居ただろうか? ロシア軍の将兵は自らの判断を正しかったと信じ込むよりほかなかった。

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&ref(神父ポルスキー.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);全能なる神よ。無辜な彼らを哀れみ、慈しみたまえ

正教会で最右翼のポルスキー神父は、他の軍人たちが身に着けていたガスマスクも無く河辺を歩き、十字を切りながら祈り続けた。
水に浸かり続けた亡骸は続々と腹部を暴発させ、毒ガスのような死臭を漂わせているにも関わらず、神父は十字を切りながら進み続けた。
……将兵もまた、黄金の剣の旗を掲げながら進んだ。彼らに出来る事は勝利によって、雪辱を目論むコミューンそのものを屠るだけだった。

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一週間後、ロシア軍はパリ前面に到達した。

**音よ万歳。ブルジョワに死を [#d152f76f]

***ネストル・マフノ執務室。或いはパリ防衛総司令室 [#ia62b530]

外では乱痴気騒ぎが起きていた。ロシア軍が「サヴィンコフのオルガン」を並べて示威行動に移ると、国境付近から亡命してきたサンディカリストを同じサンディカリストが撃ち殺した。
マフノはこの動きを封じ込めようとしたが、吸血鬼騒ぎとドロズドフスキーによる無慈悲な殺戮によって軍の指揮は崩壊。
この戦争を指揮したソレリアン((国家サンディカリスト。イメージで言うならスターリン派))とジャコバン((重農主義的な社会主義者。実はスターリンよりも内戦期のボルシェビキが最も近い))の連合政府は、有力野党トラヴァイユール((KR初期だと多数のサンディカリスト))に糾弾され、委員会からも地上からもその姿を消した。
そしてマフノらアナーキストは、トラヴァイユールに褒め殺される形でパリに残り、そこでサヴィンコフの鉄槌を、赤旗印の金床にはめられながら受ける事となっている。

&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);…………

マフノは何も言わず、ブレアが残した手紙に目を通していた。彼は包囲される前にオランダ国境からイギリスに逃げ延びたらしく、この手紙にも北海の潮風が染みついて独特の香りを放っていた。

&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);お前も偉くなったな。ブレアよ。革命の先達たる俺に「生きろ」と命ずるか
&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);しかしそれは出来ないのだ、ブレア。俺はライン川で死ぬつもりだったのを助けられ落ち延びて来たのだ。ウクライナで負け、ドイツで負けた俺がフランスで負けて、イギリスで再起を図ると言うのか? ……Non.
&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);それにはあまりにも、アナーキーの黒い旗は血に染まり過ぎたんだよ。仲間と敵のでな

フランスから逃げる事を邪魔する者はいないのは事実だった。アンドレ・マルティもジャック・ドリオも、マフノを目の敵にしていた全員がギロチンに掛けられた今となっては。

しかしそんな事が何になろう? マフノは多くの仲間を失った。手勢は既に300を切り、残りも半数近くが戦闘不能になった。残るはここが死に場所と構える、元ソレリアンや元ジャコバン。
そして、パリの文化を愛し、新しい体制をも静かに受け入れ、その静けさを糾弾されてきた旧来のパリジャンたちだ。
彼らの歌と踊りが外から響く中、これを見捨ててあの霧に包まれた、貴族的な同志たちの下へ行く事は、マフノにとって死よりも不愉快な出来事だった。

&ref(一般兵.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);バトゥコ
&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);……あ? お前か。マルティの犬畜生。まだ、こんなところに居たのか
&ref(一般兵.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);帰れば死にます。家族の身も危うい。それにバトゥコ、俺は今、あんたが一番の指導者に見えます

この兵士はかつてワインを浴びせられた兵士だった。それが今や、マフノに付き従って生き延び、全ての名誉を捨ててまで戦いに参加すると言う。

&ref(一般兵.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);あのサン=テグジュペリが戦闘機に乗って、サヴィンコフの頭蓋に機関砲弾をぶち込んでやろうと躍起になってる。どこもかしこもパリジャンは、エッフェル塔や凱旋門に背を向ける気なんてありゃしないんだ
&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);フランス人はみんなパリジャンだ……それで。お前に頼んだ件だが

兵士はマフノの前で直立し、最敬礼した。

&ref(一般兵.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);総司令から承った命でありますが、成果を報告致します。全ロシア総督のボリス・サヴィンコフは、閣下の要請に応じて電話会談を行うとの事です

マフノは深く肯き、「ありがとう」と言った。兵士は呆気にとられた後、笑いながら泣いて部屋を出た。俺が死んだとてパリだけは残すのだ。マフノは兵士が去った後、神に祈るような格好でそう呟き続けていた。

***パリ前面 スタフカ本部 [#n61e30f4]

&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);……議長。ここいらで少し、このセルゲイ・レオニードヴィチも弱音を吐きたくなりましたよ
&ref(ピョートル・ヴラーンゲリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);いつものような皮肉でなければ、聞く
&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);それはそれは、ありがたい事だ……なら存分に言いましょう。ラインラント地方において出た死者の数、並びに破壊された工業設備や文化遺産。どれほどの額にのぼると思います?

セルゲイ・マルコフの鬢は下方向に垂れていた。彼の目の下には隈が出来ていて、何日も少ししか寝ていない事を理解させるには十分だった。

&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);我々の国家予算三年分ですよ! これを復興するには最低二〜三十年。彼らが自殺的なストライキに入れば、もはや西ドイツに文明は戻りません
&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);しかも我々の戦術と来たら! ……あぁ、ミハイル・ゴーデヴィチはやり過ぎたのだ。火炎放射器で壁際に並び立てた「吸血鬼」どもが炎と共に身をよじらせて断末魔をあげる。これを見た民衆はどう思う?
&ref(ピョートル・ヴラーンゲリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);過ぎた事だ。セルゲイ・レオニードヴィチ。吸血鬼として疑わしい事じたい、あの時のロシア軍にとってはペルソナ・ノン・グラータであった

そうは言うヴラーンゲリも、歯切れは良くなかった。得体の知れないトロツキーのイギリスを相手にするのはもちろん、ヨーロッパをロシアの軛に従わせるには、曲がりなりにもドイツの化学力が必要だった。
目下のところ、ブルガーコフらの発明によりロシア軍に死者、及び吸血鬼化したものはあまりにも少ない。だがそれ以上に、装甲化され不死身の錯覚に見まわれた彼らは、多くの敵を遮二無二殺し尽くしてしまっている。
悩み続けている彼らの下に、一人の来客が訪れて来た。

&ref(デーレンタール.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);いささか、お悩みのようですな
&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);……何だ、貴様か

マルコフはデーレンタールに舌打ちした。

&ref(デーレンタール.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);そこまでお嫌いになられなくとも。私は総督閣下の命でここに来たのですから
&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);(嫁を総督にやって高位を得た男なぞ、信用できるか)
&ref(ピョートル・ヴラーンゲリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);それで、何故あなたがここにいらしたので?

デーレンタールは広い額から浮き出た汗をハンカチで拭った。それからメガネを直して、二人の顔を見やってから話し出す。

&ref(デーレンタール.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);ただいま、フィンランド及びポーランド、或いはバルカン半島諸国の代表団と話を付けてきたところなのです。いわんば、ロシアによるヨーロッパ新秩序で、どのような体制が取られるかと言った旨の
&ref(デーレンタール.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);各国が角突き合わせ、口角泡を飛ばして議論をしたところ、やはり復興にはロシアの強大な工業力、潤沢な農地だけでなく、西方に巨大な同盟国を作る事が肝心だと、この結論に至りました
&ref(マルコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);話の流れが読めんのだが……
&ref(デーレンタール.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);将軍方

デーレンタールは踵を鳴らした。他者から見れば篤実そうな、身内から見ればロボットのように冷酷な無表情さで、デーレンタールは本筋を述べた。

&ref(デーレンタール.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);総督閣下がこのスタフカを訪います。両将軍にはパリ破壊を一週間以後に伸ばしていただき、フランスが敗戦を以てなお誇りある大国として、ロシアの覇権に協力できるようご配慮ください

デーレンタールが述べると共に、後ろから聞きなれた足音が両将軍の肝を冷やした。足音はゆっくりと滑らかに、低い音を伴ってこちらに進んで来る。
デーレンタールが道を開けると、部屋の光が射した闇の中から、荊を剣で串刺した勲章がキラリと光った。

&ref(親方サヴィンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);

三人は驚く間もなく、直立不動で敬礼する……サヴィンコフは、遠くを見つめるような目をしながら、無言で答礼した。

***ロアシー・アン・フランス [#u9705dfb]

マフノは、前面にあるペイ・ド・フランス自然公園を睥睨していた。あの公園にはロシアの旗が翻り、Ураが幾度となく響いている。サヴィンコフの到着で、将兵の士気があがっているのだ。

&ref(名無し.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);バトゥコ
&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);あの中にサヴィンコフが居る……首級を挙げれば、生きて帰れるかも知れん

マフノは、兵士に対しおよそ空想的な話をした。あの中に居るサヴィンコフを殺せる可能性はゼロに等しい。が、マフノにとってゼロとはやる気の問題だった。大事を為す人間は、ゼロを踏み越えなければならない。
退けば、パリの街は灰燼に帰すからだ。何もロシア人が野蛮だからというつもりはない。しかしロシア人ほど、修飾の白い手袋によって、鉄の拳をひた隠す事に長けている人種は居ない。
その時が来れば、プーシキンやトルストイの如き名文を駆使し、ヨーロッパの大虐殺を黒死病に対する偉大な闘争として喧伝するだろう……考え抜いた後、マフノは前進を止めた。

&ref(名無し.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);あれは……マルタ騎士団ではないですか

身震いして、副官が呻いた。カトリックの十字と共に、懐古趣味的な服装をした現代の騎士団連中は、古き良きパリジャンに対し効果的なほど動揺を与えた。彼らの中には、カトリックへの信仰を捨てぬ者が大勢いた。

&ref(innitzer.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);未だこの不浄の地において、聖なるキリストへの信心を捨てぬ者よ――

インニツァーは、顔中に汗を浮かべながら、懇願するように叫んでいた。左右には、カトリックとは異なる十字を身に付け、髭をたくわえた男たちが、インニツァーの背中を冷たく睨んでいる。

&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);なるほど、正教会か
&ref(名無し.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);彼らは、何故……
&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);決まっているさ。インニツァーの野郎。私兵をサヴィンコフに召し上げられて、あげく捨て駒として使われているのさ

マフノは副官にウィンクした後、後方のパリジャンに声を上げた。

&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);お前ら! インニツァーの左右を見ろ。あれはカトリックでは無く、正教徒だ
&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);奴は正教徒に魂を売り、カトリックの信仰を捻じ曲げようとしている
&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);ローマ以来分かたれた正統なるキリスト教が、シャルルマーニュやジャンヌダルクの崇高な騎士道精神が、イワン雷帝やコルニーロフが如き、田舎者の粗暴な教義に屈する事はならん!

マフノはこう言った後、高らかに「進発!」と言った。もはや自分のナショナリスティックな言動を自省する暇も無かった……ここでどう切り抜けるにしろ、自分が死ねばパリを守ると、サヴィンコフは約束した。

&ref(マフノ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);(お前には何も期待せん。だが、同時に俺は将帥でもあるのだ)

目の前が光に包まれると同時に、マフノは全身で生を実感しながら、一足先に星となった副官に向かって、腹の底から力を込めた「突撃」の号令を行った。

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http://art5.photozou.jp/pub/867/3222867/photo/255481823_org.v1525210326.png

パリは陥落した。マフノが遺体も残らぬほど壮烈な戦いを遂げた後、24時間以内にロシア軍へ無防備都市となる旨を通達した。

http://art1.photozou.jp/pub/867/3222867/photo/255481824_org.v1525210332.png

トラヴァイユールが政権を掌握したフランスは、サヴィンコフによるヨーロッパ大量虐殺を非難したものの、同調する者は少なかった。
肝心の同盟国イタリアや、その候補たるアメリカは死に体であった。多くの国の有力者は、議会で演説を打ったエドワード八世や、彼に対し最上の礼を示した荒木貞夫公爵の如く、

&ref(鰤天王江戸八助.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);&ref(KR荒木貞夫.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);アカは死すべし。慈悲は無い

という見解で一致していた。チャンドラ・ボースのインドに至っては、ヨーロッパ大虐殺に目をつむるばかりか、日本に「大乗亜細亜」の理念を唱え、主義主張を超えた友好関係を打ち建てるよう打診していた。
要は誰もが、サンディカリズムに疲れていたし、戦争に疲れていた。ロシアもこの情勢を見越してか、パリ攻略に第一の勲功を立てたカッペリ将軍に記者会見を行わせた。

&ref(カッペリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);我々は、もはやこの大戦争が一刻も早く、主要国の同意を以て、戦鼓の響きがオーケストラに、砲火が花火に、弾薬を作る工場が、重機や家具を作る工場に替わるのを待ちわびている。誰もがそうなんだ

彼の朴訥な訴えは、フランス人の戦意を挫いた。ロシア軍の進むところ政治士官が生贄として差し出され、また政治士官の中にも、自分を縛ってロシア軍の災いを逃れよと命じた者も居た。
ロシア軍も処刑を最低限とし、自らを縛った政治士官たちの特務班を結成し、他の高級将校が一刻も早く投降するよう呼びかけるラジオ放送を流した。トラヴァイユールの命運は、カッペリの演説を以て潰えた。

http://art1.photozou.jp/pub/867/3222867/photo/255481825_624.v1525210339.png

&ref(親方サヴィンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);これは勝利なのか? かつて身を震わせた感慨が消え、胸糞悪さだけが残る……人類が人類に対して、勝利したに過ぎないからか

最後の戦場の写真と共に、ヴラーンゲリの報告を聞いたサヴィンコフは、ひとり執務室でこう独白したと言われる。誰もが戦争に疲れていた。しかし彼らは分岐点を過ぎていた。
平和に終止符を打ったのは彼らであり、逃げ場のない鉄火場を作ったのも彼らだ。彼らは平和を唱えつつ、もはや彼ら以外が高邁な理想を口に出来ないよう、血まみれのこん棒で相手の息を止めるしかない……。
サヴィンコフはそう念じながら、ヴラーンゲリの報告書の中に混じっていた紙切れをじっと見た。

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''だけど、もし君がぼくと絆を結んだら、ぼくたちはお互いを必要とすることになる。''
''君は、ぼくにとって、世界でたった一人の友だちになるんだ。''
''そして、ぼくは、君にとって、世界でたった一人の友だちになる…''

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&ref(ピョートル・ヴラーンゲリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);軟弱

後にサヴィンコフが兵士に尋ねたところ、墜落していた戦闘機の中から発見された小説だったらしい……それを、ヴラーンゲリが一言で破り捨てたのだった。

***廃墟のワルシャワ [#ne6524c8]

黒装束のコサックたちは、荒廃したワルシャワにおいて戦争終結の報せを聞いた。彼らは加工した聖油を用いて火炎放射を行い、あちこちで湧いていた吸血鬼を一掃した。
当然その過程で、コサックらは多くの掠奪、強姦、殺戮を行った。吸血鬼騒動に便乗した学生が一揆を起こしたせいで、補給部隊が少なからぬ被害を受けた為である。

&ref(NRPR戦闘団員.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);我らは遥かな平野を進む〜♪ 曙光の立ち上るときに〜♪
&ref(MRUS Voskoboinik.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);奴らもご機嫌ですな、カミンスキー殿
&ref(MRUS Kaminski.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);ヴォスコボイニク。いま君が持っている貴婦人の宝石を見れば分かるだろう? 収穫の季節なのさ。ロシアの富がロシア人のもとへ戻る

名家の婦人に逸物をちらつかせ、脅して奪った宝石を抱えながら、ヴォスコボイニクは黄色い歯を見せた。

&ref(MRUS Voskoboinik.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);「神はアタマンと共にあり!」って奴ですな。アンネンコフ閣下も気前が良いでさ
&ref(MRUS Kaminski.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);今しがたはナイーヴみたいだがな

血に酔った男たちに燃やされるポーランド人を見ながら、ヴォスコボイニクとカミンスキーはアンネンコフの行方を探っていた。
学生運動最後の頭目を略式裁判で処刑した今、無意味な殺戮を止めるべきだと言う見解は二人の間でも一致していた為である。
ただ、アンネンコフは姿を見せなかった。そこら中をジープで走り回り殺戮の指示を下していた男は、戦局が定まるとどこかへ姿を消している。

&ref(MRUS Voskoboinik.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);そういや、何か眠たくなる音楽が聞こえてきますね
&ref(MRUS Kaminski.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);ヴォスコボイニク。クラシックだ。逃げ遅れた奴がピアノで弾いているに違いない
&ref(MRUS Voskoboinik.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);ピアノがあるなら、カネだってあるはずでさ
&ref(MRUS Kaminski.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);また盗むのか?

カミンスキーは笑いながら、瓦礫を越えて音の方へ歩き出した。ヴォスコボイニクは大小様々な宝石を落としているが、ひときわ大きな黒曜石と、ダイヤモンドだけは価値あるものと踏んで、手放さないでいる。
そのうち二人は、廃墟のうちの一つを探り当てた。

&ref(MRUS Voskoboinik.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);誰か居ますぜ
&ref(MRUS Kaminski.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);静かにしろ

カミンスキーがヴォスコボイニクの口を塞ぎ、壁から部屋の中を覗き込む……線の細い男が一心不乱に調べを奏で、黒装束のアンネンコフが、イスに座りながらそれを聞いていた。

&ref(MRUS Voskoboinik.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);ぶふっ

ヴォスコボイニクが、カミンスキーに物凄い勢いで顎を掴まれ悲鳴を上げた。しかし、ピアニストは演奏を続け、アンネンコフも声を荒げなかった。

&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);ショパンだ。静かに聞いて置け

カミンスキーは、常ならぬアンネンコフの静けさに違和感を覚え、やがて事の真相を察した。特に深い意味などなく、単にこの殺戮に飽きていたのだ。
この戦争にはかつての内戦とは違う。悪魔のような敵と崇高なる大義が無い。無軌道な殺戮と、出来合いのモニュメントと、尊厳を奪い取られた帝国の残骸だけが痛々しい姿をさらすだけだった。
ピアニストは演奏を終えると、つぶらな瞳でアンネンコフを見た。アンネンコフはロシア訛りのポーランド語を喋り、ピアニストもまたそれに答える。

&ref(MRUS Kaminski.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);何と申しておるので
&ref(MRUS Voskoboinik.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);宝石なら、やりませんよ

アンネンコフは二人に顔を向け、それから顎でピアニストを指した。

&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);食べ物と、水が欲しいそうだ

アンネンコフは笑った。腹の底から笑ったアンネンコフを、カミンスキーは初めて見た気がした。

&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);死ぬような思いをして、ショパンを弾いた奴が、その日の糧だけを欲しいんだとよ
&ref(MRUS Kaminski.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);しかし、ワルシャワの戸籍は役所の中にあったはずです。みんな燃えておりますよ……配給を受けられるか、どうか
&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);言わずとも分かっておる。そこのバカが、二つ良いものを持ってるな

カミンスキーがヴォスコボイニクの、後生大事に抱えた宝石二つを見た。

&ref(MRUS Voskoboinik.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);……もしかして、物々交換?
&ref(MRUS Kaminski.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);Давай.

ヴォスコボイニクが駆け出し、それからもたついた足取りで配給所に向かった。小さな宝石をかき集めてるなとカミンスキーは吐き捨てた後、ピアニストが拙いロシア語で「ありがとう」と言うのを聞き逃さなかった。

&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);良いって事よ

アンネンコフは、ロシア語でそう言った。

&ref(アンネンコフ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);裏切りは散々見て来た。俺も撃ち、お前も撃ち……今日はもう良い。うんざりだ

アンネンコフはイスにもたれ、冷たい光を放つ満月の方に顔を向けた……カミンスキーがラジオを見つけ、音量を絞りながら耳を傾ける。

&ref(名無し.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);雷鳴の如き砲撃のもと、砲弾が炸裂する只中より、我々は、貴女がたに兄弟的挨拶を送る
&ref(名無し.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);この挨拶は、マルセイユより貴女がたのところへ届けられる
&ref(名無し.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);この挨拶は、ボルドー・コミューンより貴女がたのところへ届けられる
&ref(名無し.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);我々は、貴女がたが、あらゆる抑圧と暴力からの解放をなしとげるよう、祈っている……

フランス国営放送が最後の断末魔を放っていた。あと数日のうちに大陸での戦争は終わるだろう。その後には、海峡を挟んだ露英のいかさまじみた戦争が、数年に渡って続くはずだ。
カミンスキーは敗れた靴に視線を落としてみる。その数年でロシア人は、西ヨーロッパに確固たる指導権を得られるだろうか?
もしそうでなければ、西ヨーロッパの怨嗟が吸血鬼に勝るとも劣らない力で、クレムリンを直撃せんと旗を掲げるに違いない……ロシアの旗は、その時においても翻り続けるのだろうか?
勝利においてなおカミンスキーは懸念を抱いていた。ゆいいつ彼のさざ波だった心を鎮めてくれるのは、ピアニストが奏でるショパンの夜想曲のみであった。

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[[【KRロシア】黒馬を見たり]]に飛ぶ

TIME:"2018-05-08 (火) 06:11:19"

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