#contents
CENTER:&ref(http://i.imgur.com/kMjcCmM.jpg,nolink);
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*概要 [#ofa5391b]
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|環境|Darkest Hour 1.03日本語化版|
|MOD|欧州小国乱立MOD DH FullMAP v2.5|
|シナリオ|怒りの欧州乱戦1936+|
|プレイ国家|%%イタリアのおやつ%%&br;%%果物の代用品%%&br;%%バルカンのファストフード%%&br;hoi2における最強無敵国家アルバニアこと鷲の国シュチパリア|
|目標|シュチパリアが欧州世界を征する|
|縛り|手動宣戦布告は休戦期間を守る|
|更新頻度|最低月1回/1カ月以上更新空いたら失踪・未完のAAR扱いでOK|
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*本編 [#u0be1ebb]
[[転校生が来た-最初の戦い>【EUWDHアルバニア】鷲の国バトルロワイヤル/転校生が来た]]
[[駄菓子屋に行った-弱肉強食>【EUWDHアルバニア】鷲の国バトルロワイヤル/駄菓子屋に行った]]
[[姉ちゃんと家出した-アドリア海を南へ北へ>【EUWDHアルバニア】鷲の国バトルロワイヤル/姉ちゃんと家出した]]
[[夏休みがはじまった-神聖ローマ帝国への侵入>【EUWDHアルバニア】鷲の国バトルロワイヤル/夏休みがはじまった]]
[[水着を忘れたふりをした-バルカン最後の敵>【EUWDHアルバニア】鷲の国バトルロワイヤル/水着を忘れたふりをした]]
[[おばけになってがんばった-ロシア遠征>【EUWDHアルバニア】鷲の国バトルロワイヤル/おばけになってがんばった]]
[[せんべいがカレーになった-チュートン騎士団の最期>【EUWDHアルバニア】鷲の国バトルロワイヤル/せんべいがカレーになった]]
[[学校でごはんを炊いた-決戦ラングドック>【EUWDHアルバニア】鷲の国バトルロワイヤル/学校でごはんを炊いた]]
[[文化祭をやってみた-双頭の鷲の行くところ>【EUWDHアルバニア】鷲の国バトルロワイヤル/文化祭をやってみた]]
[[初日の出を見た>【EUWDHアルバニア】鷲の国バトルロワイヤル/初日の出を見た]]
[[かまくらをつくった>【EUWDHアルバニア】鷲の国バトルロワイヤル/かまくらをつくった]]
[[また春が来た>【EUWDHアルバニア】鷲の国バトルロワイヤル/また春が来た]]
[[初日の出を見た-神の火>【EUWDHアルバニア】鷲の国バトルロワイヤル/初日の出を見た]]
[[かまくらをつくった-アルバニアン・コンクエスト>【EUWDHアルバニア】鷲の国バトルロワイヤル/かまくらをつくった]]
[[また春が来た-イリュリア人のローマ帝国>【EUWDHアルバニア】鷲の国バトルロワイヤル/また春が来た]]
[[沖縄へ行くことになった-コメント返信>【EUWDHアルバニア】鷲の国バトルロワイヤル/沖縄へ行くことになった]]
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*史実人物紹介 [#tc6dfca4]
&ref(ゾグー1世.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);''ゾグー1世''
[[こ↑こ↓:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%82%B0%E3%83%BC1%E4%B8%96]]

&ref(メフディ・フラシャリ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);''メフディ・(ベイ・)フラシャリ Mehdi (Bej) Frashëri (1872-1963)''
1936年1月1日当時のアルバニア王国首相。
''HoI2バニラのアルバニア政府首班はなぜか彼ではなくいとこの[[ミドハト・フラシャリ:https://en.wikipedia.org/wiki/Midhat_Frash%C3%ABri]]になっており、DH Fullでもミドハトのまま修正されていないという謎のパラド査定を受けている。''
コンスタンティノープルのオスマン帝国随一の名門学校で政治と行政を学んだ後官僚となるが、アルバニア民族運動に携わり1901年には起訴されている。
その後アルバニア中部の副知事やオスマン領エルサレムの知事を務めながらも、青年トルコ運動や秘密裏のアルバニア独立運動に関与し続けた。

アルバニア公国の成立と第一次世界大戦中の無政府状態の時期もアルバニア政府に残り、国際連盟加盟時には代表として出席する。
ゾグーが即位し王国になった後も政府要職を歴任し、1935年から翌年まで首相を務めた。
1939年に侵攻が始まるとムッソリーニのアルバニアへの野心に強く反発し、アルバニア青年に銃を取っての抗戦を呼び掛ける。
亡命に失敗した彼はイタリア軍が迫っても降伏や対伊協力を拒み、敗戦後は逮捕されイタリアに抑留された。
イタリア抑留中はドイツの元アルバニア大使エーリッヒ・フォン・ルックヴァルトに接近し、彼を通じてイタリアのアルバニア統治政策の穏健化を要請、実現させる。

1943年にイタリア降伏によってドイツ軍がイタリアに進駐すると彼は解放され、ティラナに戻るとアルバニアに進駐したドイツ軍の将軍と会談。
アルバニアがクロアチア独立国同様に主権国家として独立することで合意に達し、1943年から1944年まで傀儡政権である摂政評議会の長を務める。
大戦末期、パルチザンがアルバニアを制圧すると彼はドイツ軍と共に脱出しウィーンに逃れた。
戦後連合国からは何らかの罪に問われなかったものの、共産化した本国では依然彼は政治犯のままであり、帰国は叶わなくなる。
ローマに隠棲しアルバニア史などの執筆を続け、祖国に帰らないまま静かに死去した。

&ref(プレンク・ペルヴィジ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);''プレンク・ペルヴィジ Prenk Pervizi (1897-1977)''
ゾグーの右腕であった、陸軍軍人兼防衛大臣。
アルバニア北部でオスマン支配に抗するカトリック民衆蜂起の指導者も輩出した家の出。
ウィーンの士官学校に学び、第一次世界大戦終結の直後どさくさ紛れにアルバニア北部を侵そうとしていたセルビア(後のユーゴスラビア)軍と戦う。
その後はウィーン以来の付き合いであったゾグーに協力し、政情不安の中で幾度もゲリラやクーデタの鎮圧を行った。
1924年に正教会大主教ファン・ノリが起こしたクーデタを抑えられず一時ゾグーと共にユーゴスラビアへ亡命するが、まもなく政権奪還に成功する。
1926年、今度はユーゴスラビアが裏で支援する反乱が起き国家存亡の危機に陥るが、ゾグーに軍の全権を与えられるとわずか三日間で鎮圧、国民の名声を得る。

その後はイタリアに長期駐在し、イタリア語をマスターしながらイタリア社会でウンベルト王子や軍人などとコネクションを築いていく。
しかし1936年にムッソリーニと言葉を交わした際、彼がアルバニアへの影響力行使に留まらず直接支配まで目論んでいる事を確信。
急いで祖国に帰りゾグーに警告するが楽観的な王はこれを聞き入れず、それどころか南部コルチャへと左遷されてしまい、イタリア軍侵攻までの日々を無為に過ごす。
イタリアとの戦争が始まると速やかにゾグーに会い、軍と共にギリシアに逃れて亡命アルバニア王国軍として抗戦を続けることを進言するが拒否されてしまう。
やむなく亡命軍の組織化を諦め、王室のみを敵軍の手から守りながらギリシアに逃した。ゾグーは後にペルヴィジの提案を断ったことを後悔したという。
敗戦後アルバニアに戻ると進駐イタリア軍の将軍たちからアルバニア軍の維持を要請され、アルバニア国民の反イタリア運動に銃を向けない事を条件に引き受けた。
イタリアがギリシアとの戦端を開くとアルバニア軍の歩兵大隊もイタリア軍師団に組み入れられたが、イタリア兵はアルバニア兵を馬鹿にし、弾除けの如く使い捨てたという。
ペルヴィジはこれに猛抗議しアルバニア軍全てを前線から下げさせ、結果的にギリシアの一転攻勢成功とコルチャ失陥を招く。
怒ったイタリア軍はギリシア戦線苦戦の責任を彼にあるとしたが、彼を責めすぎてアルバニア軍の離反を招くことを恐れ、逆に少将へと昇進させた。

イタリアが降伏すると、左右の民族運動家が集まった国民会議で新生アルバニア陸軍の最高司令官に推されるが、国民会議の決裂とドイツ軍の進駐で構想は流れてしまう。
彼はSSスカンデルベク師団に勧誘されたがこれを拒否、アルバニア軍の一部を引き連れティラナから脱出し、故郷近くの北部山岳地帯に潜伏した。
その後はイギリスと連絡し共産パルチザンと戦い続けたが、終戦とバルカンの共産化に伴いイギリスがアルバニアから手を引くと、反共主義者の彼も1946年ギリシアに亡命する。
1965年にはイタリア市民権を得てイタリア軍の将軍としての再就職を目指したが失敗、ベルギーに移った後、再び祖国の土を踏むこと無く没した。

&ref(グスタフ・フォン・ムィルダチャ.png,[[閣僚画像置き場]],nolink);''グスタフ・フォン・ムィルダチャ Gustav von Myrdacz (1874-1945)''
シュレジエン(シロンスク)貴族の家系出身であるウィーン生まれのオーストリア人。
第一次世界大戦では二重帝国軍の軍司令部参謀としてセルビア、アルバニア北部、そしてイタリア戦線に従軍。
1918年にはウィーンで当時二重帝国軍の大佐であったゾグーと知り合っている。大戦末期にチロルでイタリア軍の捕虜になるが終戦後帰国した。
戦後もしばらくオーストリア共和国軍に残ったが、1920年にゾグーに軍事顧問として新生アルバニア軍を指導することを要請され、退役しアルバニアに赴く。

アルバニアではアルバニア語風にグスタフ・ミルダシGustav Mirdashiと呼ばれ、基礎的な軍隊組織や訓練に携わった。
彼はアルバニアがイタリアの外圧と経済植民地化に苦しむ中「先の大戦でイタリアと戦った男」として反イタリアの象徴的存在にもなっていたようである。
イタリアが侵攻してきた際、ゾグーが亡命した後も彼と彼に心酔する軍人たちは抗戦したようだが、力及ばず敗戦。
アルバニアにイタリアの傀儡政権が成立し職を失った後もアルバニアに残っていたが、イタリアの降伏で事態は一変。
進駐してきたドイツ軍の占領統治やSSスカンデルベク師団の人員募集に協力し、1944年には統治委員会のトップとなる。
大戦末期、エンヴェル・ホッジャ率いる共産パルチザンに捕らえられ1945年4月に処刑された。
姓のMyrdaczをどうカナ表記すればいいのか作者は長時間苦しんだ。少なくともポーランド語だとムィルダチャになるらしい。ドイツ語読みならミュルダチだろうか?
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*コメント欄 [#j2b92d94]
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TIME:"2015-11-21 (土) 11:41:53"

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