1936年11月5日

チアーノ.png「建設中の工場第一群が完成、設備の搬入も終わり稼働を開始し始めたようです」

1936.11.5 6line.png
6ラインに

ドゥーチェ.png「"鉄は国家なり"だ。これからも本計画が順調に進んでいくことを祈ろう」

1936年11月25日

チアーノ.png
「ここ二週間あまりで極東アジアの情勢は大きく変化しました。まずは11月10日に中華ソビエト共和国の首都が陥落。
毛沢東を始めとする党幹部はソビエトに亡命した模様です。彼らは11月21日にモスクワで声明を発表し、中国共産党はソ連軍と協力し内戦を継続すると宣言しました。これを受け同日、対ソ統一中華同盟が成立。
これまで距離を置いてきた広西・雲南の両軍閥、新疆が国民党へ合流しました」

1936.11.21 soviet vs china.png

ドゥーチェ.png「中央アジアでは中ソが一進一退の攻防を続けているな」
チアーノ.png「しかし、長期的に見ればソ連が優勢となるのは間違いないでしょう。彼らはシベリア鉄道で無尽蔵に兵力を送り込むことが出来ます」
ドゥーチェ.png「おっと、話の腰を折ってすまなかった。続けてくれ」
チアーノ.png「はい。そして本日25日、中国大陸の南北に戦火が広がる中で日本とタイの間に同盟が成立。極東は3つの勢力が割拠することとなりました」
1936.11.25 map.png

ドゥーチェ.png「うむ。今後の日本の動きに注視せよ。ソ満国境も俄かに緊張を強めている」

1936年12月13日

チアーノ.png「エチオピアが和平を求めています」
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ドゥーチェ.png「この条件だと、我々はソマリアとエリトリアを手放すことになるな」
チアーノ.png「それらの地域は占領下にあるわけですから、相応の要求ではありますね。付け加えますと、彼らはこれ以上和平を先延ばしにすることは出来かねると申しておりました」
ドゥーチェ.png「国際連盟へ正式に提訴する、とでも言うのかね」
チアーノ.png「間接的、直接的にせよそれなりの行動は取るでしょうね。弱者の戦術ではあるが、効果的なのは確かだ。」
ドゥーチェ.png「実質的な戦闘が終了してから9ヶ月が経ち、国民の関心も薄れてきている。ここらで講和した方が無駄な介入を招かず済むだろう」

1936年12月30日

イタリア全土で起こっていた共産系団体によるデモは、政府の予想とは裏腹に5ヶ月半もの長期に渡っていた。 

1936.12.30 revolution.png

民衆を巻き込んだ運動は首都ローマへと飛び火し、各所で軍隊と革命運動の志士達による市街戦が繰り広げられる。
だが、戦いが泥沼化するにつれ軍内部からも離反者が続出。
部隊単位の逃亡すら公然と行われ、その防衛線は櫛の歯が欠けるように脆弱なものとなっていく。
30日、ついにムッソリーニの住むトルローニア邸をデモ隊が包囲。彼らは不本意な籠城を余儀なくされていた。

チアーノ.png「閣下!イタリア共産党のトグリアッティ書記長から御電話です!」
ドゥーチェ.png「革命運動の親玉が降伏勧告かね?まぁいい、繋いでくれ」


トリアッティ.png「こんばんは、親愛なるドゥーチェ。電話越しからでも民衆のラブコールが聴こえるよ」
ドゥーチェ.png「老若男女からモテるのが独裁者の特権でね。さて書記長、君も冗談を言いにきた訳ではなかろう」
トリアッティ.png「その性急さは破滅を招きますよ、ドゥーチェ。もっとも貴方には今日でこの国を去って貰うことになるのですが」
ドゥーチェ.png「なるほど、地位の禅譲を要求するか。まぁ”我らが解放者”が暴力で権力を簒奪したとなっては、民衆も失望するに相違ない」
トリアッティ.png「見返りは用意します。脱出路の安全は保障しましょう。エマヌエーレ3世王族の国外脱出も認めます。」
ドゥーチェ.png「統領職も随分と安く見られたものだ」
トリアッティ.png「死んでは元も子もないとは思いませんか?」
ドゥーチェ.png「私もそう思うね」
トリアッティ.png「お節介かとは思いましたが、伍長のドイツ政府とは話を付けておきました。ですが、我々は相当嫌われてしまったようです」

1936.12.30 saraba.png

ドゥーチェ.png「まったく、貴殿には敬服させられる。国民の信が得られない以上、統領ムッソリーニは今日付けでその職を降りるべきだろう。栄光のイタリア王国も今日で終わりだ。後は好きにしたまえ」
トリアッティ.png「賢明な判断に感謝します、ドゥーチェ。我々は数時間後に特使を派遣する。彼らの案内に従って下さい」


ドゥーチェ.png「用意周到な男だ。一部始終は君も聞いていたろう」
チアーノ.png「はい、閣下」
ドゥーチェ.png「支度をしたまえ。陛下とともにこの国を出るぞ」
チアーノ.png「よろしいんですか?」
ドゥーチェ.png「要求を断れば、怒り狂った民衆が乱入してくるだろう。君は細君が陵辱される様を見たいかね?」
チアーノ.png「滅相もない。すぐに用意をさせます」
ドゥーチェ.png「生きてさえいればまた再興の目もあるだろう。生きてさえいれば…」

1936.12.30 revolutin after.png

ムッソリーニ含むイタリア政府高官は、罵声と投石が飛び交う中ローマを後にした。
独裁者だった男の敗走劇は各国メディアにスクープとして報じられ、ファシズムの凋落を、共産主義の台頭を国際社会へ強く印象付けるものとなったのだった。

1936年12月31日

街中が歓喜と興奮の熱気に包まれる中、イタリア共産党はモスクワからの使者を出迎える。

1936.12.30 4th italy.png

今日、王国は76年の短い生涯に幕を下ろし、一つの社会主義国家が生を受けたのだった。

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前回
1936年 帝国主義論

次回
1937年 共産主義における左翼小児病

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Last-modified: 2015-03-06 (金) 17:30:12 (1381d)