ドイツの欧州における勝利、日本のアジアにおける勝利は両国を国際政治のキープレイヤーへと押し上げた。
両国の勢力範囲の大幅な拡大に焦ったアメリカはアメリカ大陸の保護につとめ、North America Treaty of Organization
通称NATO、北米条約機構を成立させ北米を統合した。NATOには後に南米も加わる事となる。
ドイツはEU,ヨーロッパ連合を成立させ、欧州の一元化を目指した。
日本もEast Asia Community,EAC,東アジア共同体を成立させ、アジアの統合を果たした。
日独米は超大国として、世界の国々をリードする存在となった。
1944年にはこの3極体制が鼎立するようになり、3つの超大国によって世界は3分されることとなる。当初はファシズムという共通項があった日独は友好関係を保っていた。

1940年〜1950年代、頭一つ抜け出したのがドイツである。1949年にソ連の報復から起こった第二次独ソ戦で、世界で初めて原子爆弾を使用し、
ソ連人民、世界中の人々を驚愕させた。また、フォン・ブラウンを中心とした宇宙開発チームは1959年に初の月面着陸を成し遂げた。
しかし、過度な民族主義と行き過ぎた官僚制はシステムの硬直化を招き、社会の停滞を招いた。ドイツの栄光しか知らない世代は自由と民主主義を欲した。
EU各国の足並みも乱れる中、好関係にあった日本とカザフスタンを巡った激しい対立が起こるようになる。
この背景にはアメリカの対日融和政策があった。アメリカはインドネシアを日本の勢力圏とするかわりに、友好関係をちらつかせた。
これによってEUは徐々に追い詰められていき、1989年、ドイツのダンツィヒから始まった民主主義革命によって雪崩式にファシスト政権は崩れていった。
これによって日米の二大超大国時代の幕開けかと思われたが、日本の凋落も止まらなかった。中国の爆発的な経済成長によって
日本の地位は非常に不安定なものとなっていたのだ。結局、1994年、共産主義革命が発生し、日本人民共和国が成立した。
こうしてアメリカ合衆国が唯一の超大国として君臨するようになった。

どうして3超大国の内、アメリカが生き残ったのか? 様々要因が考えられるが、大きいものでは2つある。
1つめは経済力の違いである。 日独は共に本国人口は1億そこそこであった。その人口では軍事や宇宙産業を支えきれなかったのだ。
2つめは政治指導の違いである。ドイツは高度な科学力を持っているが、排外的な民族主義によって長期的な科学者流失を招いた。
日本はアジアの合衆国たる満州国を抱えていたが、科学力が足りなかった。
それに対してアメリカは全世界から科学者を引き寄せた。結局は経済力と科学力の2点が大切だったのである。

超大国レースに敗れたものの、大ドイツを保った。
1942大ドイツ.png

1936-1939 大ドイツ帝国へ向けて 
1939-1940 大ドイツ帝国の躍進  
1940-1941 ヨーロッパの大掃除
1941 イデオロギーを超えて
1942〜 欧洲大戦の後
ヨーロッパ新秩序を


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Last-modified: 2010-01-27 (水) 04:24:03 (3245d)