ヨーロッパを全てドイツの勢力圏に組み入れたヒトラーはソ連への関心が沸々と湧いてきた。元々の彼の目的はソ連の撃破であり、
その領土をドイツのものとすることだった。2年前に結んだ条約を反故にしてソ連へ進撃することに何のためらいも無かった。
1941年6月22日、ヒトラー率いるドイツとその同盟国はソビエト連邦へ進撃を開始した。

1941年6月22日 独ソ戦

ドイツを中心としたヨーロッパVSソ連
同盟国軍は治安維持のみの活用にとどめたが、ドイツの楽勝。背後の憂いが無いと楽だわ...年内には改造ビターピース発動。

長引くと予想された独ソ戦はわずか半年でドイツの勝利に終わった。高度に機械化された機動部隊と空からの複合攻撃にソ連軍は
組織的な反撃をする事も出来ずに、大敗北を喫した。1942年1月に、ドイツの大幅な拡大を嫌うアメリカの仲介によって和平が成立した。
この和平条約はキエフで締結されたため、キエフ条約と呼ばれる。条約の内容は
.疋ぅ弔療豌い任了拉杆△鯒Г瓠▲Εライナ・ベラルーシ・バルト三国・カフカースをドイツの保護下で独立させる。
▲戰奪汽薀咼◆Ε灰虍湘腓鬚修譴召譽襦璽泪縫△肇好ンディナヴィアへ割譲する。
F独ソの緩衝国として、大カザフスタンの独立を認める。
て本の東北アジアでの支配権を認め、モンゴル・タンヌトゥーバを蒙古国へ、沿海州を満州国へ、
樺太・カムチャッカ半島を日本へそれぞれ割譲する。
ゥ潺汽ぅ襦Τ吠軸錣粒発を禁止する。
という、ソ連にとって厳しいものであった。これによってスターリンは失脚し、ソ連は
国際政治のメインプレーヤーから転落する事となった。

1942欧州新秩序.png
1942東北アジア.png
1942アジア.png

英仏ソとの戦争に勝利したドイツはローゼンベルクプランに基づき、欧州を再編成した。緩衝国を作り、ナチ党のコッピー政党に
各国を支配させたのだ。ポーランドもこの時に再独立を果たした。圧倒的な小国としてだったのだが。

東アジアの覇権を手に入れた日本は資源問題も解決し、アメリカとの対立も次第に薄れていった。もう大きな戦争も起きずに時代が進むと思われたが.....

1936-1939 大ドイツ帝国へ向けて 
1939-1940 大ドイツ帝国の躍進  
1940-1941 ヨーロッパの大掃除
1941 イデオロギーを超えて  このページです
1942〜 欧洲大戦の後


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Last-modified: 2010-01-27 (水) 04:18:11 (3245d)