満州国? 違う、大清帝国だ!

盧溝橋と大清復辟―1937年 6月22日

――さて、時間は一気に飛んで6月22日、ひたすら歩兵の生産と配備、微量ずつながら希少資源の備蓄を繰り返しながら待つことしきり

戦争開始.png

盧溝橋事件による対山西戦の開始である。
なお、極東統合MODの影響により、盧溝橋では山西戦しか始まらない。

現時点で満州軍が揃えられている兵力は、歩兵21個・騎兵10個の合計31個師団。
日本は歩兵37・騎兵6・守備隊42・司令部3の合計88個師団である。

割と揃えられたほうだとは思うが、まあ、やってみるしかない。

まずはチャントーに配置された9個師団が、一気に北京を狙いに走る。(攻撃部隊の他に歩兵7個も置かれているが、指揮統制の減少を避けるため攻撃には参加しない)
ここで、日本軍に先んじて北京を取れなければ清国復興イベントのトリガーが消えてしまう。万が一も無いように、騎兵総勢10個中6個を配置して万全を期す。
チャントーを買い取っておいた意義の1つは、まさにここにある。

北京へ.png

こちらにも18年式騎兵が混ざっているが、相手はもっとひどく全軍が18年式、指揮統制についても、開戦前に塹壕戦ドクトリンまで終わらせたため、
ゲーム開始時に僅か28だったのが、今や70を越えている。負けるわけがない。

また、日本の山西宣戦によって、(本来は広西時に狙っていた)独立保障マジックが発動、介入は無事MAXに。
そして7月1日のスライダー移動は統制経済に。これでICに+15%の補正がついてくれる。増えたICで39年式騎兵の生産を開始する。

さらに7月2日、ぎりぎりのタイミングで大規模強襲ドクトリンの完了を見る。完璧だ! 
次の研究は行わずに、6月29日に陥落した北京を防衛しつつ、

天津占領.png

ついでにIC2のある天津も奪取した上で、イベントの発生を待ち――

5日

イベント発生.png

大清復辟イベントが発生。ここまではまさに予定通り、問題はここからだ。

3つの選択肢のうち、Aでは今プレイの意味が無いので除外。
BかCの選択だが、もしBを選んだ場合、国体としては満州国のまま、華北一帯に領有主張がかかると共に、日本の傀儡から脱することが出来る。
だが、その直後に起こるイベントで、日本と開戦するか不満度30かという二者択一を強いられることになる。
しかも、不満度30を甘んじて受けたとしても、AI日本のご機嫌と運次第で、極めて早い段階から、日中戦争を放り投げて宣戦されるという、最悪の可能性も残ってしまう(はず)。

というわけで正味C一択だ。日本とは即時戦闘開始となるが、覚悟の上で準備をしてきているのだ。
大体、どちらの選択を選んでも、いずれは大清帝国復活への道を歩むわけだから、やるなら早いほうがいいというもの。
では、いざ。

清爆誕.png

大清帝国の復活だ。

周辺地図.png

第二次清日戦争―1937年 7月8日

さて、こんなことをして、当然日本が黙っているはずがない。
盧溝橋に始まる対中戦争なんぞかなぐり捨て、山西と一瞬で講和を成立。

宣戦.png

清に対して宣戦を布告した。




さて、ここからが本当の勝負である。
山西侵攻のため、エレンホト・シリンホトに大挙集結していた日本軍を孤立させて干上がらせ、また、唐山や大連の日本軍を各個撃破しつつ、
日本とのみ講和を成立させ、清との戦闘は続けている山西軍閥の反撃をしのぎながら、

攻勢開始.png

この、国土半包囲状態を脱出しなければならない。
溥儀帝は国境線に配置した全軍に出動を下令。軍が上海に大挙移動して、がら空きになっている日本領を、少しでも掠め取っておかねばならない。
さあ、日本軍の3分の1程度の戦力でどこまでやれるか――!

まずは唐山に居る10個師団を撃滅にかかる。これを殲滅し、シリンホト方面に取り残された日本軍10数個師団の活路を完全に断ち切るのだ。
率いるは清国の誇る大エース、スキル3元帥蒋介石だ! 何故ここにいるとかいう突っ込みは厳禁だ! 他にも各軍閥の長や張学良、ファルケンハウゼンなんか揃い踏みだぞ!

唐山攻撃.png

が、第1次攻撃は、チャントーから出撃した我が主力10個師団に対して、シリンホトの日本軍が攻撃を仕掛けてきたため中止となる。
日本軍の攻撃は撃退できたため、まずは互角の立ち上がりというところだ。

他方面では、7月12日にウラジオストックを無血占領。続いて15日に大連をこれまた無血占領。
朝鮮進軍の最先鋒を努める、閻錫山率いる騎兵集団は、鴨緑江を越えてピョンヤンへ向かう。
18日にはタンシャンへ第二次攻撃を敢行、日本軍の一部が海路脱出していたため、

袋叩き.png

17個師団による袋叩きを浴びせて、守備隊8個師団を全軍降伏においやることに成功。最初の大戦果であると共に、
これで、シリンホト方面の日本軍の退路をほぼ断ち切ることに成功したことにもなる。

7月26日 ピョンヤン周辺において、小規模だが苛烈な騎兵戦が展開されている中

和平提案.png

こんな提案を頂く。無論却下だ。日本と戦うとなれば長期戦、山西のIC及び人的資源くらいは奪っておかないと、力負けする可能性が非常に高い。
大体、2年も再宣戦できないというのは、余りにも長すぎるというものだ。

この選択が、後に清国へ破局をもたらすとは、このとき誰も予測できなかった――

反撃の日本軍―1937年 8月1日〜 


8月1日時点での戦況図。

8月1日.png

日本軍の立ち上がりが非常に悪い中、山西軍を着々と撃破している。
まずは弱体な山西を叩き潰し、続いて冬が来る前に半島を制圧、最後に沿海州、という手順で攻略していく予定だ。
内戦の理を生かしての各個撃破以外、清軍に勝利は無い。
何しろ、半島方面の部隊は常時空襲で叩かれ続け、停止して塹壕を掘っても、指揮統制が回復するどころか削られる始末だし、
同じ36年式歩兵同士でも、日本師団のかなりの部分に砲兵なり工兵なり対空旅団なりが随伴しているのに対し、
こちらには旅団なんてものは存在していない。師団の増員だけでICはかつかつ、しかも重砲の研究レベルが未だに前大戦式軽砲止まりでは、付けた所で大差ない。
局所的な兵量優越を作り出しつつ、戦っていくほか、打つ手が存在しないのである。

対する日本軍は、実働部隊の半数前後が内陸に閉じ込められている中、この2日後にはウラジオストックに4個師団で強襲上陸を敢行。
敗退した守備部隊は空襲で散々に叩かれ、援軍を送る兵力の余裕も無く、おかげで沿海州方面での攻撃は完全に頓挫してしまった。
開戦から約1月、日本軍もようやく初動の混乱から立ち直ってきたのだろうか。

8月19日 

8月19日.png

ウラジオストックに10個師団以上が陸揚げされてしまい、清国首都・新京前面に迫られている。
半島から兵力を引き抜いて防衛に当てているものの、そうしたら今度は半島側でもじわじわ押されている状況だ。
急いで山西方面にケリをつけ、我が主力を向かわせなければ……やっぱり講和しておいたほうが良かったかもしれない……

8月25日.png

その後、空襲でさんざん叩かれながらもなんとか新京への攻撃を頓挫させ、
半島方面でも攻め上がってきた日本軍2個師団を包囲、殲滅することに成功したものの、

9月2日.png

その後の退却是非の判断を誤り、包囲戦の主役を張った、閻錫山率いる騎兵3個師団が逆包囲され、
陸空の同時攻撃を受けて壊滅させられてしまった。
なんてこった。

一方で、同日エレンホトに取り残されていた日本軍全軍を武装解除、少し余裕の出来た兵力を、崩壊寸前の東部戦線へと戦略再配置で急行させる。
今やウラジオ方面の日本軍は15乃至20個師団にまで増員され、一気に新京を攻め落とさんとしている。

9月12日

9月12日.png

日本軍の新京への攻撃を、かろうじて退け続けている一方、半島方面は主力の騎兵集団を失って以降後退が続いている。
鴨緑江沿いに部隊を集め、備えさせねばならないが……それ以前に新京の目前に迫る5個師団を排除しなければ。
いずれにしても兵力がカツカツだ。難しい。

一方では、山西首都・太原を蒋介石率いる3個師団がようやく占領、VPプロビは残り1つ、併合予定は10月11日となり、一部部隊の首都への移送を開始している。
後ひと月持ちこたえれば、それも丁度冬だ、増えたICと人的資源で兵を整える時間が与えられるはずだ。
なんとかなる! いや、する!

――と、このときはそう思っていました。

終わりの始まり―1937年 9月17日〜

その報告は突然飛び込んできた

国民党参戦.png

ここで上海事変イベントだと!? マジでか!?
いつももっと早い日付で起こるのに、起こらなかったから、てっきりイベントがスリープされてるか何かだと思ってたのに!

いやいやちょっと待てよ、これはチャンスじゃないか? 日本軍が上海の方に移動して、国民党と殴り合いを始めてくれれば一気に楽に……って、いや、ダメだ!

統一戦線.png

なんだってんだよーーーーーーーーーーーっ!!

俺挟み撃ちかよ!

即日中共の軍勢が攻勢に出てくる。VP確保に走り続けていた騎兵隊は、9対3の戦闘で瞬く間に敗退。山西併合への道が一気に遠くなる。

共産軍の攻撃.png

洒落にならない。全く笑えない。なんてこった畜生畜生。魔女の婆ァの呪いか。それとも蒋介石の陰謀か。清中日の3カ国全て手玉に取っているつもりか。

蒋介石.pngけっきょく ぼくが いちばん つよくて すごいん だよね

とでも言いたいのか清の元帥やってるくせによぉ!

さらにその2日後

山西終了.png

山西が国民党政府に併合される。
ああ、そうだよな、VPこれだけ失ってて、しかも日本と戦端開いてるんだから当然そうなるよな……

さあ。これからが本当の地獄だ。




9月26日の状況――

9月26日.png

上海は国府軍の攻撃によって陥落。華北では共産党軍・旧山西軍・国民党軍連合との殴り合いが始まっている。

兵力比率は概ね4:1というところ……というか、普通に2ケタの師団数が1プロビ内にいるのが見える。どうしようもない。
対日戦線においても、半島をほぼ奪還され、相変わらず新京は累卵の危機と、状況は悪化する一方だ。
二正面作戦やる(しかも兵力はそのどちらか単独と考えても、半分程度しかない)なんてまるっきり兵力が足りない。
あのとき欲張らず山西と和平しとけば良かったーーー!!!

なお、広州付近に共産党の飛び地が出来ている理由は良く分からない。

……こうなっては仕方ない、対中戦線は防衛ラインを北京・天津まで下げて、もぐらたたきに徹しよう。
まずは満州本土を脅かしている日本軍を撃退だ。日本との戦線正面を小さくできれば、日本軍がそれで生まれた余剰戦力を、上海や青島や広州へ送ってくれるかもしれない。
2強をかみ合わせて漁夫の利を狙うしか今は――ん?

ロシア.png

……検討の余地アリかもしれない。

夢の終わり―1937年 10月1日〜

10日1日

新編の師団と、各地からかき集めてきた兵力を集中し、東部戦線で反撃作戦を開始する。
目標はウラジオストック。首都に迫っている日本軍の脅威を一挙に排除し、可能なら一部の包囲殲滅を図るものだ。

反撃作戦.png

同日、日本軍、大連に強襲上陸敢行。

大連.png

通算3度目。3個師団が守る山岳地形が、強襲上陸で簡単に落ちるもんかよ。
だからこっちくんな。上海かせめて青島に行け。行ってください。





1ヶ月経過。

反撃失敗.png

ウラジオへの突破どころか、金床たるべく配置したチャムスの部隊が、北からの攻撃に耐え切れず敗退、
更に鴨緑江沿いの防衛線を破られ、南からも新京に迫られるなど、攻勢続行どころの話ではなくなっている。

おまえら頼むから中国行けよと。――あ、いや、こっちも中国か? って

大連陥落.png

北京・天津を放棄して奪還部隊を送り込むも

むりぽ.png

………………………

だめぽ.png

\(^o^)/オワタ!!

その後―1937年 12月〜

その後、清国は一冬は持ちこたえました。
満州の厳しい冬と険しい地形は、日本軍をして攻撃を躊躇させるほどのものだったのです。
しかし、鴨緑江沿いで頻発する小競り合い、陣地の奪い合い、連日の空襲、
そして、寒さも気にせず人の数に任せて押し込んでくる国民党軍との戦いで、満州の人的資源は年明けごろには完全に枯渇。
やがて雪解けと共に始まった日本軍の総攻撃を、持ちこたえる術はありませんでした。

日本と中華民国は、満州を東西から侵食・分割しつつ、やがてその中央で激突し、惨禍を撒き散らしました。
最後の皇帝・溥儀は、陥落寸前となった新京からの脱出を図るも、混乱の中行方不明となり、その最後を知るものはいません。

かくして、清国再興という夢は、あえなく潰え去ったのでした。

終劇。


1937 リスタート

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  • というわけで1stプレイはバッドエンドでした。現在2ndプレイのために1人反省会中です。 -- 作者 2009-11-06 (金) 22:12:16
  • がんがれ -- 2009-11-07 (土) 03:12:50
  • 次に期待大!!! -- 2009-11-07 (土) 15:42:14

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Last-modified: 2009-11-10 (火) 19:23:43 (3514d)