納得できない内乱と納得できない国民不満

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エンヴェル・パシャは納得できなかった。

ブルガリア侵攻に合わせたかのようなアラブ人の反乱。

続くクルド人の蜂起。

サウード家の謀反。

パレスチナ独立時にガジ・パシャが12個師団を抑えとしてアラビア半島に展開しているが、今や三方を敵に囲まれてしまっている。

増援の要請がやまない。

イスタンブールの皇帝からはブルガリアから撤退して帰還せよとの命令が届く。

将軍達はブルガリアで戦う間、アラブでの戦況を改善する為パレスチナかクルディスタンの独立を認めて味方にすべきと言う。

エンヴェルは消極案ばかりで納得できなかった。

不運にもブルガリア攻略と不埒者共の反乱が重なってしまった。

だが眼前の問題は一つとして避けてはならない。

バルカンの再征服は国家の使命である。

分離民族主義の阿呆共は夢から醒ます必要がある。

サウードに奪われた聖地はオスマントルコの物である。

これは問題を一網打尽にせよという神の思し召しに違いあるまい。

予定に変更なし。

このままブルガリアを攻め、それから忘恩の輩を討つべし。

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オスマントルコ軍43個師団はブルガリアに全面攻勢を仕掛ける。

半数にも満たないブルガリア軍は良く奮闘したが、反撃は更なる攻撃に押し潰された。

被害を顧みない突撃によって7月27日にブルガリアは降伏。

オスマン軍主力はアナトリアに引き返し、アンカラを目指すクルド軍と衝突する。

アンカラ攻略を諦めたクルディスタンは、ユーフラテス川を盾に要塞網へと籠った。

エンヴィルはブルガリアの戦いと変わらず、数に物を言わせた全面力押しを命じる。

アナトリア東部で激しい砲弾の応酬が繰り広げられ、クルド軍は防衛線を支えるためアラビア半島から兵を引き抜く。

ガジ・パシャは手薄となったクルディスタン首都キルクークを強襲し、モースルまで追撃した。

反乱の首魁ムスタファ・バルザニが戦いの中で命を落とし、旗頭を失ったクルディスタンは9月3日に崩壊したのだった。

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オスマントルコは敵を半分に減らし戦線を一つに整理できた。

四面楚歌から脱却できたのは三つの反乱それぞれに別の大国が背後にいたからである。

パレスチナはドイツ、クルディスタンはソビエト、サウジアラビアはイギリスが支援していた。

イデオロギーの反する三つの反乱は足並みを揃えられないで牽制しあい、オスマントルコに猶予を与えてしまう。

エンヴェルがブルガリアに固執し軍を分けなかったことと噛み合い、図らずとも各個撃破となった。

しかしオスマントルコの快進撃もここで止まる。

帝国では暴動・政治集会・デモ行進・座り込み・ストライキ・サボタージュ・ボイコットとありとあらゆる抗議活動が蔓延していたのだ。

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議会と憲法が停止してから三年が経過していた。

経済改革は独立騒動で中断し、政治改革はそもそも手つかずのまま。

大宰相は威勢だけはあるが発言をすぐに翻す。

戦争の犠牲が増えるに比例し、エンヴェルに対する国民の不満も増加している。

国内が戦場だというのに補給は滞り、前線は物資不足が常であった。

エンヴェルは非協力的な国民に納得できなかった。

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未だ帝国は非常事態にあるのだから専制もやむを得ない。

アブデュルハミト2世は三十年独裁を敷いた。三年程度なんだというのだ。

帝国存亡の危機にあって暢気に産業を育てる暇があるはずもない。政治もまた然り。

事態は流動的で言葉の一つ一つに責任を持つことは不可能だ。

自分の言葉に拘泥し視野を狭める方が愚かである。

戦死者が多いのはそれだけ兵が帝国に尽くしたからだ。

彼らの献身に報いるにはこの馬鹿げた騒動を終わらせるしかない。

何故銃後の者が不満を漏らすのか。

軍の一部をアナトリアの治安維持に置くとの意見はあったが、エンヴェルは一刻も早く戦争を終わらせるのだと全軍をアラビアの半島に展開した。

後方に不安を抱えながらもインフラのマシな地中海側から攻撃し、1937年2月11日にパレスチナを、7月2日にサウジアラビアを併合した。

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オスマントルコは崩壊の危機から脱出に成功する。

エンヴェルは国が落ち着くまで外征事業を一旦中止することにした。

そこで問題となったのがバルカン半島の情勢である。

ルーマニアは鉄衛団というナチスの猿真似集団が幅を利かせており、過激な行動で周辺の緊張を高めていたのだ。

1936年の末にはユーゴスラビアを侵略。

帝政復古したオーストリアが介入して対立していた。

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パン=オスマン主義の下、いずれはバルカン全域を支配するつもりでいるが、今は治安維持に忙しい。

当座をしのぐ為の緩衝国ブルガリア設立を反対されエンヴェルは納得できなかった。

独立運動を弾圧しておきながら攻め滅ぼしたブルガリアを独立させるのは道理に合わないと聞く。

60年前に独立した国と今回の反乱を同列にするのは馬鹿馬鹿しい。

それにこれは暫定的な措置である。

領土は削り、アルメニアと同じ保護国とする。

国内が片付いたら再び併合するからだ。

ブルガリアがドブリチを要求していたから却ってルーマニアを刺激するとも聞く。

オーストリアだけでも警戒されなければ十分だ。

ルーマニア風情が一国で騒いだところで何になる。

鼠が獅子に挑めるはずもない。

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ブルガリア独立の四日後、ルーマニアがブルガリアに対し宣戦布告した。

「ローマを騙る生ける屍よ、神聖なるヨーロッパから失せよ」

宗主国オスマントルコに対してはこの一言のみである。

エンヴェル・パシャは納得できなかった。


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Last-modified: 2020-02-01 (土) 20:26:28 (58d)