納得できない海軍と納得できない世界大戦

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エンヴェル・パシャは納得できなかった。

オスマントルコの海軍は一度壊滅している。

ケマルの軍縮で残った細やかな艦隊も相次ぐ戦争で全て沈んでしまった。

エンヴェルは海軍の再建を命じる上で一つ注文を付ける。

国威を示すことを第一として見栄えを重視させたのだ。

艦隊の見栄えとはすなわち船の大きさと数である。

だが予算は、大宰相エンヴェルが陸軍大臣と軍需大臣を兼任しているので、陸軍に偏重していた。

よって対空砲を載せた輸送艦隊30個の張り子未満の代物になるのも致し方ない。

新生帝国海軍の初任務は第二次希土戦争におけるクレタ島上陸作戦だった。

この戦いでギリシャの駆逐艦相手に2個艦隊が撃沈した。

そしてアル=アンダルス上陸作戦を成功させた後、イベリア・アナーキスト海軍に捕捉される。

運良く逃走に成功し、6個艦隊撃沈で済んだ。

エンヴェルは海軍の戦果に納得できなかった。

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敗北は仕方がない。

帝国海軍は再建したばかりなのだから。

だが敵船の一つも撃破できないのはどういうことだ。

対空砲とて砲であるのだから少しは功績を挙げてもらいたい。

さらに数を増やすとしよう。

45個艦隊も揃えれば十分だろうか。

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イベリア・アナーキスト連盟との戦いに試験的に創設された機甲師団が投入される。

エンヴェルはその価値に懐疑的で機動力を活かした暴徒鎮圧が関の山だろうと考えていた。

しかし軽戦車は目覚ましい活躍を披露する。

上陸後に素早く占領地を広げ、敗走する敵を追撃し、戦線に穴ができれば即座に埋めた。

指揮官は戦車の性能を絶賛し機甲師団の拡大を望んだ。

エンヴェルも理解は示したがオスマントルコの工業力で大々的には難しい。

改革を放置したツケである。

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1939年9月5日。独ソ不可侵条約が公表され世界に衝撃が走った。

10日にはドイツのポーランド・リトアニア侵攻が始まり、11日に英仏が対独宣戦布告。

20日にソビエトもポーランド・リトアニアを攻撃する。

瞬く間に戦争が欧州を席巻し、再び世界大戦が始まった。

オスマントルコは独ソ不可侵条約で取り決められたであろうソビエトの勢力圏を恐れた。

エンヴェルはソビエト脅威論に納得できなかった。

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帝国がソビエトと険悪であるのは事実である。

だが帝国だけではない。

先の対戦によってロシアから独立した国家が西にいる。

ロシアの三分の一を保有するロマノフの亡霊が極東にいる。

それらを差し置きオスマントルコを侵略するはずがない。

またアルメニアの代わりにくれてやれる物もある。

ルーマニアが厚かましくも英仏から恵まれたベッサラビアがそれだ。

まだ足りないと強請るならトランシルバニアまで譲歩したって良い。

所詮ルーマニアはパン=オスマン主義の外、矮小な裏切者の地だ。

どうなろうと構わん。

それに帝国が滅びるのを他の大国がみすみす許すはずはない。

ソビエトが黒海の出口ダーダネルス海峡を支配し、インドとエジプトへの道を手にするからだ。

オスマントルコは大戦の狭間にいる。

この奇貨を活かし帝国をより強大にすべきである。

アル=アンダルスを再び我らの物とせよ。

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イベリア統一はポルトガルによって頓挫する。

圧倒的な兵力で一週間かからずポルトガル本国は占領した。

しかし政府の脱出を許し、手も足も出せないブラジル植民地に逃げられたのだ。

敵の海軍は無傷であり大西洋横断のリスクは高すぎる。

ポルトガル側も陸軍がほぼ壊滅し逆転の手立ては無い。

大戦によって英葡永久同盟も無力である。

両国は交渉の席に着いた。

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結果、1940年3月2日に本国の南半分とアフリカ植民地と大西洋の島々の割譲で和平が成立した。

そしてオスマントルコの伸張は再び頭打ちになる。

要求をアフリカではなく南米にすべきだったと後悔するも後の祭りでしかない。

エンヴェルは活路を世界大戦への参加に求めた。

イギリスに対してエジプトの返還を条件としたが断られた。

ドイツにはオーストリア領のバルカンを相変わらず求めたが蹴られた。

エンヴェルは大戦の舞台に上がれず納得できなかった。

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なぜ我が帝国を味方にしようとしない。

バルカン領はオーストリアに突きつけられた匕首である。

スエズ運河も目と鼻の先だ。

アル=アンダルスを得た今ならジブラルタルにすら手が届く。

欧州大国は何故オスマントルコの価値を認めない。

所詮奴らの戦争は国内不満を逸らす演技なのだ。

前年の10月にポーランド・リトアニアが分割されてから何も動きが無い。

この戦争はまやかしにすぎないのだ。

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だが状況は4月10日、アメリカ合衆国がイギリスと同盟を結び大きく動く。

第二次南北戦争でアメリカ連合国に追い詰められ泣きついたのだ。

南部軍は勢いのままカナダへと攻め込んだ。

イギリスは軍を西に送らざるを得なくなった。

これを好機としてドイツは5月6日にベネルクスへ侵攻する。

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オスマントルコはようやく内乱が終息。

本国が安定したからには外征すべきであるとエンヴェルは再び同盟を両陣営に提案した。

結果は変わらず拒否であり、流石に世論を無視できなくなる。

渋々外征から内治へ政策転換を計画し始めた。

しかしマジノ線を迂回されパリが陥落したフランスは8月11日にドイツと単独講和を結び連合を離脱する。

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エンヴェルはイベリア派遣軍の帰還と改革の再開を放り出し、中立国となったフランスに宣戦した。

講和時に軍が解散されたと聞いての侵攻だ。

だが解散したのは陸軍だけであった。

海軍は健在でオスマントルコへ苛烈な通商破壊を実行した。

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輸送船団は全滅し補給は完全に停止する。

敵がいないのに軍は崩壊の危機に瀕した。

ならばとチュニスに上陸作戦を仕掛けたが急ごしらえの杜撰な計画はすぐに露見する。

オスマン海軍はダルラン提督から熱烈な歓迎を受けた。

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積み荷が軽戦車師団のみだったため辛くもチュニスを占領できた。

だがタラゴナ港に帰還できた船は一隻も無かった。

オスマン海軍は二度壊滅を喫する。

一方海で無双するフランスも陸では押され続けていた。

軍がいないから当然だ。

急遽義勇軍を募ったが、相手がオスマントルコとはいえ時間稼ぎもできない。

オスマントルコは大失態に本国の雲行きが怪しくなる。

フランスはイギリスもドイツも頼れず、国家存亡の危機に追い詰められる。

両国は交渉の席に着いた。

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エンヴェルはマグリブの帝国復帰に小躍りしかねないほど狂喜した。

フランスからアフリカ植民地全てを受け継いだとしてイギリスにブラザヴィル周辺の引き渡しを要求する。

自由フランスを名乗る組織が自らを正当なフランス政府だとして、ヴィシー政権との取り決めは全て無効だと言われた。

ペタンは亡命したド・ゴールの不審な動きを察知しており、あえてアフリカ植民地をオスマントルコに押し付けたのだった。

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エンヴェル・パシャは納得できなかった。


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Last-modified: 2020-02-08 (土) 10:35:43 (18d)