前史

孫文の偉業を完遂させるための同盟、国共合作と呼ばれる協調体制は、彼の後継者たる蒋介石の上海クーデターによって終わりを告げた。
奉天の張作霖が日本軍の謀略によって倒れた後、息子の張学良が降伏したことで一応の完遂を見た「北伐」は、蒋介石と彼の政府の権力を高めた。
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真の統一に向けて

しかし、未だ各地に残る軍閥が反蒋連合を組み「中原大戦」が勃発すると、中国共産党はその勢力を急速に拡大した。蒋介石は1935年までに大規模な対共軍事作戦を四度発動し、五度目の掃討戦によりついに共産党主力の捕捉に成功した。
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この戦いにより10万を超える共産党軍の勢力は35000程度まで減少、さらに西に転進する過程で盧定橋の奪取にも失敗し、目的地の延安に辿り着くことはおろか国民党軍の追撃を振り切ることも出来なくなった。
方針転換を迫られた共産党内部では深刻な意見対立が起こり、孤立した毛沢東は比較的弱体な馬家軍やチベット(カンデンポタン政府)軍と決戦し、これを破ってソビエト連邦との国境地帯への長征を主張した。一方周恩来らは独自に張学良との交渉を開始し、投降と合法闘争の準備を始めていた。
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結局、共産党軍の大部分は毛沢東に従い更に西進したが、馬家軍の攻撃に足止めを受けた挙句に蒋介石軍との挟撃を受け壊滅、一方で周恩来ら政治指導部は張学良の執り成しで蒋介石に帰順し、ここに国共内戦は終結を見た。
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共産党軍を打倒し、ついに対日戦に集中することができるようになった蒋介石は、国民党内部の派閥を弱体化し周辺軍閥の勢力削減に努めた。1936年に勃発した両広事変においては、広東の余漢謀の買収など巧みな切り崩しを行って勝利し、将来の日中全面戦争における総力戦体制を完成させていった。

さらに蒋介石は、ファルケンハウゼン将軍を顧問としドイツ式の近代軍を訓練する傍ら、中国市場への進出を狙っていたアメリカへと接近し、大量の装備やアメリカ式の戦術を導入し、日本軍を迎え撃つ体制を整えつつあった。
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Last-modified: 2019-10-14 (月) 20:10:37 (31d)