一九三三年の時であった。
 
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 全軍をOlgiiに集め、動乱続く中国北西部に介入しようとしていると第七世Changkya Dampaが反対した。Siberia鉄道からの収益による近代化で民心の掌握はできるのだから、無理に荒事を起こす必要はないと言う。

外蒙古の活仏であり皇帝であったBogd可汗が一九二四年に没してしまったので、転生先が見つかるまで内蒙古の活仏である彼をBogd可汗二世として推戴しようと招聘した。

しかし現代の内外蒙古衆生を救えるのはBodhisattvaの化身ではなく、Dharmapalaの化身であると言われ、第七世Changkya Dampaは宗教的指導者に留まり、Bogd可汗から親王の位を受けたおれが可汗となってしまった。

おれは露西亜の男爵であるのだから、第九世Jetsun Dampaが捜索され西蔵のDalai Lamaが認定した者が現れ次第可汗からは退くと決めている。

所詮我々は剣で権を得た異邦人である。外蒙古を中国から解放したのはこの地をSoviet反攻の拠点とするためである。もし清王朝が健在であったのなら、蒙古は愛新覚羅家の統治を受けるべきだとおれは考える。

そんな輩が蒙古で可汗と尊崇を受けていられるのは漢人を追い遣った武威がおれにあるからだ。いくら統治で成果をあげても武威を失っては蒙古人の支持も失われるだろうと思う。

ならば武威を得られるときを貪欲に捜すのが民心掌握の最善手である。

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 新疆の軍閥をその反乱軍ごと殲滅した。赤子の手を捻るより容易い戦いだった。しかし長らく中国の支配下に甘んじていた蒙古人に与える衝撃は大きい。辺境の孤立した弱小軍閥とは言え中国の領土を奪ったのだから自尊心は満たされただろう。

続けて新疆から収奪した物資を使い日中国境で抗日活動を続けるguerrillaを支援する。塘沽協定を結んだばかりの日中両国に察哈爾での大規模な軍事行動は取れないだろう。

当然相手に鎮圧を依頼することもできるはずがない。だが放置もできない。ならば第三国を頼るしかなくなる。つまり蒙古に依頼するしかない。狙い通りに山西軍閥はおれに暴徒鎮圧を要請してきた。

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 直ちにguerrillaを屠り進駐を行う。返還要求は握り潰す。おれは率いる騎兵全軍をそのまま日中の緩衝地帯である防共自治政府へ向けた。妥協で作られた自治区よりも強い国が間に入る方が両国の平和の為になる。

新たな紛争の火種と化す前に踏み躙り存在を消さねばならん。内蒙古の半分と北京を支配すれば蒙古人への演出も十全だ。彼らはSoviet誅殺の十字軍に喜んで参加して露西亜の為に死ぬだろう。

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 しかしおれはやりすぎたようだ。外蒙古に帰還すると狂騒でしかない歓声をぶつけられた。第七世Changkya Dampaは蒙古諸侯がおれを大可汗に推戴する決議をしたと伝えてきた。

さらにこの活仏は、太祖の孫抜都の血を引くUngern-Sternberg家はAltan uragに属する正統な蒙古の支配者であり、君は紛れもなく太祖の生まれ変わりであるとともにJamsaranの化身であると言った。

かなり前に、KavkazにてSemyonovの部下として赤軍と戦っていた、酒の席で、Ungern-Sternberg家には洪牙利人の血が流れているから、おれの血には朮赤の血が流れていると、そのような事を言った気がする。

おれはこの事を漏らした可能性のある部下に後で銃弾を振舞った。

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Last-modified: 2019-05-25 (土) 20:36:06 (30d)