四面楚歌

中ソ紛争

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日本軍から輸出され、満州で前線へと向かうチハ戦車

かつて遊牧民が駆けた、満州からカザフスタンに至る地域、中国の北辺では西欧列強の予想しない展開が続いていた。スターリンの期待を一身に受けていたジューコフ将軍の機械化軍団が、中国軍の執拗な抵抗の前に足止めされ、長城付近で数か月にわたる停滞を余儀なくされていたのである。中国軍はドイツから軍事技術や鹵獲装備などを提供されて強大化しており、「人の海」とも称される膨大な動員力を以てソ連軍を凌いでいた。

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全体として優勢にありながら攻めきれない状況にスターリンは焦りを感じていたが、かといって満州や朝鮮から増援を出すわけにもいかなかった。赤字経営だった朝鮮を放棄した日本の財政は敗戦前より好転しており、戦略目標や地域が縮小・単純化されたことで日本軍は急速に能力を改善していた。

史上最大の作戦

檻から出でた獣

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ソ連軍にとって重要な懸案事項はもう一つあった。ブリテン島を征服したドイツにとって、最早ソ連と同盟するメリットは皆無であり、むしろ黒海や中東への出口を求めて攻め込んでくる可能性は低くなかった。現状では食糧や戦略資源の輸出により友好関係を維持していたが、ドイツの貿易船がドーバー海峡を悠々と通過してコロンビアからコーヒー豆を仕入れるような状況になれば、その友好関係も近く破綻すると考えられていた。

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内閣情報局の組織図(1951年)

それは日本の町田内閣も明確に認識している事柄であった。新たに設置された内閣情報局を通じて香港から齎された情報や、チャーチルから重光外相に送られた手紙もそれを支持していた。日本がソ連に報復し、「極東における赤軍の存在」という安全保障上の課題をクリアする最大のチャンスは、まさに「その時」だといえた。

西部かキエフか

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「その時」、つまり1942年6月22日はスターリンにとって人生最悪の一日であった。スターリンの言うには「突如として、何の兆候もなく」、侵入してきたドイツ軍は300万以上の兵力を作戦に動員し、撤退するソ連軍を置き去りにするほどの速さでミンスクやキエフへと突進していった。

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ソ連軍はジューコフ将軍が防衛計画の見直しと旧ポーランド国境の防衛線強化を主張していたが、赤軍の攻勢論者の抵抗により殆ど実現しなかった。兵棋演習ではジューコフが圧倒したにも関わらず、彼は対中戦で戦果を挙げられていないという点で政治的に攻撃を受け、退かざるを得なかった。

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だが実際の戦況はほぼジューコフの想定通りで、中央から反撃を試みたソ連軍の機械化部隊は、あっさりと返り討ちにあって壊滅してしまった。ドイツ軍はソ連軍のT-34に面食らったものの「ソ連野戦軍の撃滅」という戦略目標が徹底されていたこともあり、迅速な機動でソ連の各軍団を包囲し、殲滅していった。

タイフーン

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ソ連軍はわずか600劼慮綢爐隆屬法∨悗描瓦討諒捨呂鯀喙困靴討靴泙辰討い拭ドニエプル河より西はウラル山脈まで、ドイツの侵攻を遮るものは何一つなく、兵の損失は対独戦術のノウハウが蓄積されない状況を生み出した。後方から送られてくる新兵は、何の教育を受ける間もなく無意味にドイツ兵のMGになぎ倒された。目の前の脅威を消滅させたドイツ中央軍集団は、安心して休息をとり、兵站構築を行うことが出来た。

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その段階になってようやく、モンゴルからジューコフと彼の機械化軍団が帰ってきた。ジューコフはソ連軍内で唯一ドイツ軍の行動を先読みしている男だったが、反撃を計画するには手持ちの兵力が少なすぎた。休息中のドイツ軍を奇襲することが、つい2か月前に自軍与えられたものと同じだけの動揺を敵軍に与えられると彼は考えていたが、それまでに必要な兵力が集中する見込みはなかった。

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必然的に彼は防戦に徹することとなったが、約1か月の休養を得たドイツ兵たちは、ドイツ最高の将帥の一人・グデーリアン大将に率いられ、ジューコフが必死で構築した防衛線を容赦なく打ち壊していった。ジューコフは紛れもない名将であり、二週間しかもたないと言われていた防衛ラインで二か月近い継戦を実現し、ソ連指導部の脱出を実現したが、敗北という結果まで変えることは出来なかった。

予防戦争

《槌》作戦

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ドイツ軍の快進撃は、日本政府にとって千載一遇の好機でもあったが、一方でドイツの勢力が極東まで進出してくるかもしれない、という危機でもあった。そうなれば、脅威の対象がソ連からドイツに代わっただけで安全保障環境が好転したとはいえなくなってしまう。大本営は対ソ作戦の専門家として石原莞爾陸軍中将を中心に、陸海の将帥をして対ソ作戦《槌》を策定させた。

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休戦協定の破棄は独ソ戦開始から半月後の七月中旬に行われ、対馬沖に集結した上陸部隊は釜山への上陸を開始した。砲兵の追加配備によって増強された火力は正確にソ連軍守備隊の陣地を墓穴に変え、重装備と自動車を与えられた歩兵部隊は迅速に戦果を拡大した。日本兵が素早く縦深を確保したため、撤退した部隊と後方の予備を以て反撃するというソ連軍の目論見は完全に外れた。

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日本軍はこの時点で既に戦車師団の編成さえも進めていた。中華民国で得た実戦記録を基に米国からの技術供与で完成した一式中戦車とその改良型は、ソ連のT-34には及ばずともT-28などは圧倒していた。かつてソ連から亡命してきたゲンリフ・リュシコフ元国家保安委員は「ソ連を倒すためには4000両の戦車が必要」と忠告し、それは日本の国策として実現しつつあった。完成自体は45年頃を見込んでいたがこの時点でも旧式戦車や後方配備のものを含めれば5割の2000両が製作されており、主力が欧州にある今のソ連軍には十分に対抗できた。

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南朝鮮における一連の戦闘で、日本政府と軍は「日本軍師団はソ連軍と対等に戦える」ことを証明して見せた。その自信をもとに更なる戦果拡張を目指した大本営は、満州制圧と沿海州への侵攻を命じた。即ち石原中将らの作戦は第二段階へと移行し、黄海と日本海は帝国海軍によって完全に封鎖された。

《捷》作戦

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かつて周辺海域を脅かしたソ連潜水艦は、日本の対潜戦術の進化によって殆ど無力化された。それはより強大な敵である群れる狼Uボートに対抗する第一歩と位置付けられ、周辺の制海権を得た日本軍は満州と沿海州に上陸した。遼東半島では、かつて日露戦争と同じ図式で日ソ両軍が激突したが、ロシア人は今度こそ強力な要塞ではなく脆弱な野戦陣地のみを頼みとしなければならなかった。

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沿海州では北へ北へと敗走するソ連軍を敢えて追撃することはせず、満州中央部へと戦車部隊が進出を図っていた。西竹一師団長の果敢な采配のもと吉林省から進撃した戦車第二師団は、あまりの素早い機動によりソ連軍から捕捉されることなく長春守備隊の背後に回り込むことに成功していた。いつの間にか退路を断たれたソ連軍は、籠城より野戦による突破を狙って南方の歩兵師団に攻撃を仕掛けた。しかし東條率いる第5軍による側面攻撃がその戦線を崩壊させ、長春を制圧したのち背後から強襲した戦車第二・第四師団の猛攻が、容赦なくソ連軍の戦闘力を奪った。

厳しい講和

シベリアの闇

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スターリンは、モスクワから発した最後の列車でノヴォシビルスクの中央駅に降り立つと、自分の中に却って清々しい気分が満ちていることを感じていた。猜疑心の強い彼であるが、今となっては自分の戦略の甘さや落ち度を認めざるを得ない。それほど、現実の状況は深刻だった。引退すら考えていたが、自分に代わる者は今となってはいなかった。ソヴィエトの古参は自分を除いてみな死んだか、彼自身が殺してしまった。

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彼を迎えに来た車から顔を出したのは、側近ベリヤだった。彼は慇懃な程の言葉づかいで主人を車に乗せると、護衛たちを置き去りにして走り去ってしまった。ベリヤは、スターリンが自分を後継者として指名することなど未来永劫無いということを知っていた。

日ソ講和

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独ソの講和を受け、日本軍は矛を収めた。ソ連からは先の戦争で失った千島・樺太だけでなく沿海州も割譲され、沿海州からバイカル湖に至る地域の全てがソ連軍の進入禁止エリアとして定められた。ドイツはヴォルガ・アルハンゲリスク・アストラハン線以東の全地域を獲得し、ヒトラーの言う「東宝生存圏」を獲得した。

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日本人などという「ユダヤ人と組んで世界中に商品を売りさばいているゲスな民族」がしゃしゃり出てきたのは気に入らなかったが、アメリカが参戦しない以上ドイツを脅かすものはいない。そう考えたヒトラーは欧州戦争の終結を一方的に宣言したが、東南アジアの魅力的な戦略資源を恒久的に手に入れるべく、少なくともインドは征服されなければならないとも主張していた。


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Last-modified: 2019-11-15 (金) 01:42:15 (28d)