ベルリン1949

背後からの一突き

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エーリッヒ・フォン・マンシュタインは銃後にあった。既に第三次大戦と呼ばれることも多くなった日米との戦争は、正確に言えば銃後の存在しない戦争であるが、マンシュタインの居るベルリンは流石にドイツ空軍の堅い守りにより平穏を保っていた。しかし街頭に出た彼の目に映る人々の表情は一様に重く、硬く、暗い。国家社会主義などという幻想と戦争に人々は疲れ切っていた。

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マンシュタインは既にドイツの敗戦を予測していた。かつて第一次大戦の敗北の後、所謂「背後からの一突き」を信じないでもなかった彼だったが、今では「あの時」のドイツ国内もこのように疲弊していたのだろうと思う。結局のところ自給自足経済(アウタルキー)を標榜する国家社会主義は虚構であり、現実には膨張を続けることでしか持続できない体制なのだ。それが結局世界を敵とする戦争を引き起こし、当然の如く敗れつつある。ヒトラーが豪語したドイツの「脅威のメカニズム」とやらも日本人や米国人に完全に追いつかれている。かつてのように兵器の性能や運用で敵を圧倒することも最早不可能となった。

再起

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軍服を着用せず私服で出歩いている彼は完全に一般市民に溶け込んでいた。戦況を打開する術はないかとヒトラーに問われた際、それに答えるどころか「ドイツは敗ける」とあまりにも率直に答えた男は無役になっていた。ルントシュテットも、ロンメルも、ハウサーも、ホトも、マントイフェルも…あの韋駄天ハインツさえも敗れたとあっては、ドイツに見るべき将帥は居なくなったと言ってよかった。マッケンゼンとケッセルリンクがイタリアで頑張っているが、彼らも米軍の勢いを止めることはできないだろう。

ふと彼の従卒が主人を呼び止めた。その声色から殆ど無意識的に読み取られた奇妙さが、瞬間的にマンシュタインを武者震いさせた。用兵の天才と謳われる彼の頭脳は、彼自身も追いつけないスピードで従卒の伝言の内容を先読みし、それは見事に的中した。従卒の伝言の大意は二つあり、一つは「ハスキー作戦」と呼ばれる米軍のシチリア島上陸作戦が開始され、それに呼応した日本軍がペロポネソス半島に上陸しつつあること。もう一つは、欧州本土の戦いを迎え、国防軍がヒトラーの懸念を押し切ってマンシュタインに防衛の指揮を委ねたことだった。つまり彼の願いは叶ったのだった。マンシュタインは好敵手と認めた相手と再戦する機会を得たのだった。

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米軍のハスキー作戦に呼応して発動された日本軍のギリシア攻略作戦は、拙速よりは巧遅に重きを置いた作戦だった。それは激しい抵抗が予想されるイタリア戦線の進捗に合わせるためであり、日本軍はペロポネソス半島と同時に周辺海域や島々に対し徹底した掃討戦を行い背後が脅かされないように注意した。結果として米軍のシチリア占領が終わった時点で日本軍はまだマケドニアにも到達出来ていなかったが、相対する敵がドイツ軍ではなく東欧の軍ばかりだったので、その後の進軍は容易に思われた。ドイツ軍の戦力の重点はイタリアに置かれたようであった。

兆候

モーゲンソー・プラン

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ドイツ軍がイタリア半島に傾注したのは、日米の戦後構想に大きな違いが発生していたからであった。日本政府はナチス崩壊後の欧州に必要なものはいち早い再建であり、そのためにドイツの生産力や軍事力は必要だと考えていた。一方アメリカは「モーゲンソー・プラン」に代表されるような強硬な政策が目立ち、たとえ民生に影響が出たとしても、ドイツから重工業と軍事力の全てを奪うつもりだった。

日本にとってはアメリカの政策が、ロシア国家の復活まで想定して作られたことに懸念を示していた。そしてドイツはより危険な存在であるアメリカを遠ざけたいと考えていたし、日本軍の実力は今までの戦いでよく知っていた。まずはアメリカの弱兵共をなぎ倒し、返す刀で日本軍と正面決戦を挑むはずだった。

ムッソリーニ失脚

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だが、ドイツと共同戦線を張るはずだったイタリアは、ヒトラーの認識よりもはるかに弱体化していた。これまでドイツの援軍を得ずにナイル流域で戦い続け、北アフリカに固執するフランスになけなしの兵を援軍として向かわせてきた結果、イタリア軍は本土の部隊にすら十分な人員と装備を持たせることが出来ていなかった。しかもムッソリーニはこの状況においても、(ドイツと違って)一般市民に武器を取らせることはしなかった。

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その結果、連合軍はあっさり中部イタリアまで押し込まれ、2か月の間にローマさえ陥落してしまった。マンシュタインが差し向けた援軍が北イタリアの防衛には成功したが、ムッソリーニは足元のファシスト党に裏切られて解任され、ドイツの空挺部隊に救出されるまで軟禁状態に置かれていた。ローマはファシスト党の切り崩しに成功した王党派のクーデターにより支配され、新たに誕生した政権は同盟側に寝返った。

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北イタリアは逃亡したムッソリーニを首班とするサロ共和国(イタリア社会共和国・RSI)が樹立され、交戦を継続していた。ムッソリーニは胃癌で衰弱した身体を奮い立たせながら民衆にファシズムの本来あるべき形を説いて回った。RSIの国家基盤は未整備の状態が続いたが、組織される軍は強力で、米軍を苦しめた。

白い闇を抜けて

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一方、ドイツ軍の主力と対することのない日本軍は快進撃を続けていた。サロニカが陥落した後、十分な縦深を確保した日本軍はだらだらと中部イタリアの山岳地帯で陣地戦を続ける米軍に遠慮する必要はなく、自慢の機械化軍をユーゴスラヴィアやパンノニアへと突進させていた。

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スロヴェニアからイストリア半島へと進軍した日本軍は、米軍との合流を目指すことなく包囲下の敵軍の殲滅に注力した。上空では同盟軍の苦戦は続き、《震電改》や新型の《八式戦闘爆撃機》がドイツ空軍《Ta283》などかの国の技術力の結晶とも言うべき戦闘機群と死闘を繰り広げていた。

マンネルヘイムの教え

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「戦える力が残っている今だからこそ和平協定のテーブルに着かねばならない。戦える力を失ったら我々は何を材料に彼らと協定を結べるというのか。残されるのは完全な屈服だけだ。」

日本軍の怒涛の攻勢に対し、マンシュタインは常に決戦を避け続けた。彼の意図はなるべく終戦を遅らせ、自国により有利な講和をエゥーゴから引き出すことにあった。それはかつて冬戦争においてフィンランドの指導者マンネルハイムが説いた戦略に範を採った方向性であった。日本軍が丁度ドイツ本国に接したタイミングで、ドイツ軍がコンペイトウへの再攻撃をかけたのも同じ意図により、あわよくばドイツに「まだ余力がある」と見せつけようとした。

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この攻撃は陽動とはとても思えない程、苛烈に行われた。既に戦争から離脱した東欧諸国の兵を構うことなく、ドイツ軍のみで行われた作戦は、指揮統制の容易さもあって効率よく遂行された。ほぼ前回と同じアルメニア・ルートから侵攻されたにも関わらず、ドイツこそ電撃戦の本場であると見せつけるが如き機動は、日韓軍の防衛線を次々と食い破っていった。韓国軍の白兵攻撃に対しては、装甲に自動車化歩兵の十分な護衛を付けることで完全に対策されており、日韓軍は急速に危機へと陥っていった。

マンシュタインの思惑通り、日本軍はコーカサスのドイツ軍に対処するため、兵をドイツ本国から転進させねばならなくなった。ドイツの領土を目前にして、最低限の守備隊を残して、日本軍はついにドイツとの決戦に踏み切る決断をした。何としてもコンペイトウは守られねばならない。コンペイトウの側面には既にドイツ軍が迫りつつあり、彼らの斥候がコンペイトウへの進入路を探すため、周辺の高所からコンペイトウの推定位置の観測を開始していた。


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Last-modified: 2019-12-04 (水) 15:22:32 (9d)