縦深突撃

アルデンヌ攻勢

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日本軍は、吉田内閣が立てた戦術原則に忠実に行動を開始した。まずは米国が反応弾を使わざるを得ないように、彼の国の同盟国への強襲を成功させることが重要だった。その第一の標的は勿論アメリカ最大の同盟国フランスであった。日本軍はフランスを攻略するに当たってまず、攻略軍(が陣取っているラインラントたネーデルラント南部)の後背、オランダに二個軍団を当てて早急に叩き潰した。脱出した戦力がフランス軍と合流するのを防ぐため、柳澤中将の機動艦隊が出撃しオランダの沿岸を徹底的に封鎖した。

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旧軍=ドイツ国防軍の将兵再雇用や装備の接収などに積極的であったドイツ軍(ドイツ国軍/連邦軍)に比べ、オランダやフランスはヴィシー政権や占領統治に関わった人間を冷遇していた。ナチス・ドイツの占領統治が十年近く続いた両国には、そんな経歴の人物がゴマンと居たはずだが、それらの人材を全く活用しなかったことで軍事・科学技術の伝統が新しい時代に十分に引き継がれなかった。それ故に両国の軍事力はドイツに比べて明らかに遅く、不十分であった。日本軍が両国の攻略のために立てた作戦はほぼ1940年-1941年にドイツ軍が立てた黄色作戦(ファル・ゲルプ)と変わらないものであったにも関わらず、その対策は皆無だった。

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日独軍に加えドナウ連邦軍も参加した攻撃が、フランス軍防衛線中央・アルデンヌの脆弱な陣地を破壊したとき、アイゼンハワー大統領はフランス人が二度の大戦から何も学んでいないことに気付き、絶望した。戦争はまだ独仏両国の国境紛争のレベルを越えておらず、日米両軍が大規模な戦闘行為に及んではいなかったが、状況は明らかに米国の介入を必要としていた。アイゼンハワー大統領やダレスを始めとする政府の閣僚たちはみな有能な男であったが、フランスのあまりにも早い危機は彼らを動揺させた。

大統領の選択

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A11N1《迅雷》

混乱の中で発動された反応弾投下作戦は当初ドイツ領内の都市を目標としていた。具体的には日独多軍が兵站拠点として利用していたライン川流域の大都市が目標として選定されていたが、飛び立った爆撃機は日独空軍機《迅雷》や《フッケバイン》によって固められた防空網を突破することが出来なかった。米軍は何としても作戦を成功させるべく最新鋭の重爆撃機《B-52 ストラトフォートレス(成層圏の要塞)》を投入するも第六航空軍所属で日本帝国最精鋭と謳われる飛行戦隊『振武隊』の迎撃を受け、同隊指揮官上原中佐によって撃墜されその搭載爆弾ごと喪失(ロスト)した。慌てふためくアイゼンハワー大統領に対し、副大統領でタカ派のニクソンが提案したのは、日和見している英国への投下だった。

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Ta183《フッケバイン》

英国への投下は、ダレス国務長官抜きで行われた。アイゼンハワー大統領は敵である日本の外相・重光葵が「ダレス国務長官がいないと話も出来ない」と評されるほどダレス国務長官を信頼していた。戦争を主導したいニクソンにとってダレスは邪魔な存在であり、ニクソンはダレスがカナダを訪れるタイミングでアイゼンハワーを動かしたのだった。軍部への根回しを完了した上での行動により、ニクソンは全ての責任をアイゼンハワーに負わせたうえで、望み通りの作戦を実行したのだった。だがニクソンは反応弾投下が亡国への第一歩になることに全く気が付いていなかった。

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リヴァプールへの反応弾投下の報告を聞いた日本政府の内閣と軍部の面々は、源田実空軍中将・総司令官と山口多聞海軍大将・総司令官の二名を除いて概ねこの戦争の勝ちを確信した。まず投下された反応弾がベルリンに投下されたものと同じ核分裂反応を利用したタイプであって融合弾ではなかったという情報は、米軍が反応弾技術を十分に発展させるだけの基礎データを得られていない可能性をより高めた。また、投下の方法がそれまでの期間で散々阻止され続けた大型爆撃機によるものだったということは、米軍がICBM(大陸間弾道ミサイル)による反応弾投射能力を得ておらず、かつ反応弾搭載可能なIRBM(中距離弾道ミサイル)SRBM(短距離弾道ミサイル)を欧州に配備していないか十分に精確な攻撃能力を保有していない、ということを証明してしまっていた。それらの可能性は、大型爆撃機の保有において米国に大きく劣る日本帝国がICBMによる反応弾攻撃を後押しした。

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建設中のペンタゴン

ワシントンへの攻撃は物理的破壊よりも政治的な効果が重要視されたため、最新型に比べれば低威力だが信頼性の高い従来型の核分裂反応を利用した"五号"が用いられた。主要な目標は国防総省本庁舎(ペンタゴン)とワシントン特別市であったが、当時の技術的困難により東に逸れ弾頭はアナポリス付近で炸裂した。そのため今回の反応弾投下作戦〈メテオ〉による損害は予想ほどではなかったが、ベルリンに投下されたものより二倍以上の威力を持つ反応弾はワシントン特別市のインフラ(特に通信設備)にダメージを与えた。大統領や議員たちの脱出に政府が貴重な時間を費やしたため、命令が滞った前線の部隊は混乱し、欧州に展開していた部隊は日本軍に後れを取った。

想像を絶する作戦

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北イタリアでは日本軍の援護を得た多腦軍とイタリア軍との死闘が始まっていた。既に民主制を回復していたイタリア国民の国家への忠誠心は高く、アメリカから見れば「期待を裏切った」フランスに比べれば、イタリア軍の勇戦は頼もしいものと映った。日本からしてみれば、故郷を守ることに対するイタリア人の熱意は第三次大戦で経験済みであり、厳しい戦いは既に覚悟・了解していたものの、厄介なものだった。イタリア戦線は互角の軍事力同士の衝突であり、両軍の激しい火力と機動により膨大な犠牲が生まれた。それは十二度にも及んだかつての"イゾンツォの戦い"を思い起こさせる烈しさだった。

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日多軍はイタリア方面での早期の突破には拘らず、飽くまでもフランス攻略に注力するようになった。アルデンヌを突破した日独の戦車隊は早々にパリ攻略を開始し、僅かな防衛部隊を一蹴して市内に突入した。フランスは第二次大戦以来三度、しかも連続で、敵にパリを明け渡したのだった。日独連合軍はかつてドイツ国防軍がかつて犯した過ち、即ち「ダンケルクの奇跡」を、二度起こす気はなく、そのまま英仏海峡へと突進を続けていった。

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ダンケルク海岸に追い詰められたフランス軍はアフリカへの脱出を図っていた。第二次大戦序盤でドイツ軍に攻め込まれたときはロンメル将軍があまりの快進撃に却って不安を感じたヒトラーによって停止命令が下されたことと、脱出先が目と鼻の先のブリテン島だったため命拾いをしたフランス軍であった。しかし今度の相手は電撃戦のスピード感に今更動揺など覚えない相手であり、しかも脱出先は遠くカサブランカやダカールである。フランス兵たちは絶望に打ちひしがれていた。

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アルザス=ロートリンゲン地方においてもフランス軍は危機的な状況に陥っていた。軍中央との連絡が遮断され、頼みの米軍もフランスから撤退しつつある現状で、彼らに意味のある命令を下せる存在はいなかった。彼らはあくまで自己の判断に基づき撤退しなければならなかったが、統制を欠いた散発的な軍事行動は迅速さを欠き、曖昧な目標に対する行動は徹底的ではなかった。結果、日本軍の先回りを許したフランス軍は、一部の幸運な者たちがスイス経由でイタリアに逃れた他は、殆どが包囲殲滅されてしまった。

ミッドウェー海戦

地上を撃つ巨光

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一方太平洋では日本軍の苦戦が続いていた。ハワイ諸島近海の海戦では〈飛龍〉一隻と引き換えに米空母二隻を沈める戦果を挙げたが、それは日米両海軍の規模や生産力を考えれば痛み分けと言うべき戦果でしかなかった。確かに《旋風》はグラマン《F9Fパンサー》やマクダネル《F-H ファントム》に対し優位に立ち、《輝星改》は存分に米海軍を叩くことができた。しかしその優位にも関わらず旧式戦艦を盾にした米海軍の空母を沈めることは叶わなかった。

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ミッドウェー島 1942年

一か月後、損害を受け本土に帰還していた日本の機動艦隊は戦闘不能となった空母戦隊を本土で待機していた新鋭艦と交代させる形で補充を受け、再戦のために再び中部太平洋へと進出していった。一方、日本艦隊の航路がミッドウェー島に向かっていることを察知したアメリカ側はこれを日本軍による(ハワイ諸島攻略の前哨戦としての)ミッドウェー攻略作戦と判断し、これの迎撃に向かった。ミッドウェー島の東、ハワイ諸島からは北西に位置する海域で敵艦隊を捉えたアメリカ側は敵の陣容に驚いていた。大規模な輸送艦隊と思われた敵艦隊は戦闘艦隊であり、その目標が島の攻略ではなく米艦隊への直接攻撃であると理解したからである。

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米艦隊がこのように誤認したのは、米艦隊自身が小規模ながら東京への空襲に成功したからであった。米海軍は日本軍がその復讐に必ず応じ、しかも今後の米艦隊進出を阻止するためミッドウェー攻略を企図するはずだ、と思い込んでいたのである。だが欧州戦線がひと段落するまでは太平洋における守勢を覚悟していた日本政府はあくまでも敵艦隊を哨戒によって発見し叩く、という方針を貫き通していた。先に日米戦争について厳しい見通しを抱いていた二人のうちの一人・山口大将は、新造空母の実戦配備や東アジアへの兵力集中の完成を忍耐強く待ち続けており、米軍とは(その段階では)艦隊決戦によってその戦力を漸減していく意志を崩さなかった、

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帝都空襲に対する報復は別の手段を以て行われた。反応弾《七号》は試作品であったが実戦データの収集という目的もあって作戦に投入された。第二次反応弾投下作戦〈メテオ供咾倭芦鷓鄒錣覇世蕕譴織如璽燭鯤析した上で更に精度を高めたものとして計画され、《七号》を搭載したICBMの新しい目標はアメリカ合衆国最大の経済規模を誇る都市ニューヨーク市と決定された。日本帝国はついに、アメリカ合衆国を政治・経済の両面から破壊するために動きだしたのだった。

スウィートウォーターの反乱

人類を滅ぼす力

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ニューヨークに投下された《七号》は、それまでの反応弾とは桁違いの物理的破壊を齎していた。所狭しと並ぶ摩天楼の硝子は衝撃で砕け散り、建造物の基本構造も巨大な熱と振動によって破壊されつくした。それは人類初の融合弾による攻撃であり、ベルリン、リヴァプールとワシントンに投下されたものの数倍〜数十倍の物理的破壊力を持つ兵器だった。だが〈メテオ供咾真に齎した災厄とはそうした都市の物理的被害ではない。《七号》の炸裂によって合衆国にとって最も重要な存在であり真に国を支配している者達、即ち企業家を抹殺したことこそ、〈メテオ供咾凌唇婬舛任△辰拭

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首都ワシントンを放棄し天然の要害であるロッキー山脈に避退していたアメリカ合衆国連邦政府はニューヨークが融合弾で「消滅」したことで狂乱状態に陥っていた。もはや合衆国が日本帝国に対して持っている優位は、日本の占領地や同盟国領土に報復攻撃できる大型爆撃機の存在のみとなっていた。日本軍も当然そのことは承知しており、欧州をアメリカの反応兵器から守るため、北アフリカの制圧作戦が発動された。

市民戦争

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米国が最も危惧するところの本土上陸は、日本艦隊の消耗もまた激しくなっていたことから、幸いにも実施されていなかった。また、米本土上陸に際してはハワイ諸島がその前線基地して使用できることが必須であったが、米軍がハワイ諸島のインフラや基地設備を破壊するために反応兵器を用いてくる可能性があり、日本軍は迂闊に米本土に接近できないというジレンマを抱えてしまっていた。国が滅亡するとあっては反応兵器を溜め込んだままにしていても戦略的に無意味だ、とアメリカ側が考えることもあり得た。

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だが日本軍が上陸するまでもなく、アメリカ合衆国の領土は既に分断が始まりつつあった。外地での無様な敗北は連邦軍と連邦政府の権威を失墜させ、反応兵器の恐怖と戦果を齎さない犠牲は国民の戦意低下を招いていた。厭戦感情の増大は合衆国中部から太平洋に近くなるほど顕著で、合衆国西部のスウィートウォーター郡では連邦政府からの離脱と無防備都市の宣言が出された。

サンダー・ボルト

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そのような状況下にあっても、兵士たちは敵軍に対して気を吐き続けていた。既に本国からの連絡も補給も途絶えつつあったが、北アフリカの米軍はマシュー・リッジウェイ将軍の粘り強い指揮監督の下で戦闘力を維持していた。エジプトにおける戦いではスエズ運河の西方の陣地を死守し続けたリッジウェイ将軍が、ナイル川沿いを南下し背後を取ろうとする日本陸軍を直率する第8軍の戦力で撃退したこともあった。この失敗により日本軍はエジプトに更なる増援を送り込まねばならなくなり、結果的にチュニジアやアルジェリアの基地攻略は大いに遅れた。

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リッジウェイ将軍と北アフリカ戦線将兵の奮闘はやっと米軍の真の実力を知らしめるものとなったが、銃後の士気低下は止めようもないレベルに達していた。前線の状況がどのようなものであろうと総力戦においては銃後が無防備である限り戦争に勝つことは出来ないと日本政府は理解していたので、アフリカにおける苦戦を受けて日本軍はアメリカ合衆国の銃後を更に破壊することで対抗しようとした。

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合衆国本土において無防備都市を宣言、あるいは連邦離脱を望む自治体は後を絶たなくなっていた。ピッツバーグの地上施設から全米に対し"諸君らの力が必要だ"と題する、連邦政府への帰順を求める悲鳴のような放送が繰り返し行われたが、スウィートウォーター事件を切っ掛けとした反連邦政府運動は留まることを知らなかった。政府と軍内部においては状況に絶望した者達の急進化・過激化が進み、反連邦政府運動に対抗して〈新しき選択(ニューディサイズ)〉という政治集団が彼らによって形成されていった。ニューディサイズの目標は強力な中央集権政府と軍産複合体を組織して日本帝国に対抗することであった。


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Last-modified: 2020-01-29 (水) 20:31:23 (28d)