二月革命

ゼネスト

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1941年2月、かつて近衛が首相就任時に行った大赦によって野に放たれていた日本共産党のメンバーが主導したゼネストは、あっさりと、レーニンらの十月革命のような闘争へと展開していった。皇居周辺を含む帝都全域が革命派の手に落ち、皇室は関東以外の地域へ落ち延びることを余儀なくされた。

松代臨時政府

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松代大本営

近衛を廃した後は東久邇宮稔彦王が臨時政府を組織していたが、臨時政府は皇室と政府機能を長野県松代へと移し、帝都奪還を進めていくこととなった。

警察予備隊

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東京中央委員会の様子

革命政府にとっては誤算であり、臨時政府にとって救いだったことは、外地から帰還する兵士たちが革命に賛同せず無関心でいてくれたことである。彼らの願いは恩給を家族に仕送りすることと、新しい職を得ることであった。

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そしてもう一つ臨時政府にとって救いだったことは、陸海軍上層部が忠実だったことであり、敗戦の責任を取って引退した永田に代わって参謀総長に就任していた東條や軍令部総長・永野修身の忠誠は他に代えがたい武器となった。彼らが軍を強力に統制する間、内務省と通じていた永田鉄山は、陸軍時代から目を付けていた将兵と陸軍から提供された重武装を集めて組織した「警察予備隊」を実力部隊として帝都に侵攻させた。

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内務省局員ではあるが、実際は陸海軍部隊と同様(それは最近まで実際に陸海軍属だったのだから当然である)の戦闘力を持つ彼らは次々と関東の主要部を制圧していった。「警察予備隊」が志向していたのは、かつてワイマール共和国がカール・リープクネヒトやローザ・ルクセンブルクらのドイツ革命に対抗するためにグレーナーやシュライヒャーらと作り上げたドイツ義勇軍(フライコーア)である。警察予備隊は、暴徒は国民ではない、という原則のもと大砲と機関銃の使用が許可されていた。

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革命派の活動は、彼らがアテにしていた帰還兵たちや農村の住民たちの無関心により、地方へは波及しなかった。警察予備隊の突入により皇居をはじめ主要施設が奪還された後、宮本顕治や徳田球一といった指導者は殺害され、野坂参三を含む他のメンバーもみなソ連に亡命するなど行方が分からなくなった。未だ左翼イデオロギーの支持者は多くあったが、それらの全てを収容所に送るわけにもいかず、臨時政府は治安維持法の廃止を内外に宣言し、動乱は収束していった。

昭和デモクラシー

五大改革

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臨時政府は動乱の収拾に当たって、革命派の要求を敢えて率先して実現する道を選んだ。過激な行動を取らずとも改革は実現される、ということを内外に「見せる」ことで更なる内乱を防ごうとしたのである。教育基本法の制定や財閥解体、農地改革といった政策が抽象的にではあるが提示され、それを実現するべき新たな政府を選択する選挙が実施された。

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この第21回帝国議会選挙を制したのは、町田忠治率いる立憲民政党だった。この勝利によって民政党の与党時代は十年続く見通しとなり、憲政の常道に従い町田は内閣総理大臣に就任した。77歳という高齢に達し、町田は「最後のご奉公」に臨む決意だった。

覇権国(ヘゲモニー) ドイツ

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ようやく日本に「憲政」と呼べるものが復活した直後、地球の裏側から衝撃的な報せが齎された。世界経済の中心にして大英帝国の総本山、ロンドンが敵の手に落ちたというのである。


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Last-modified: 2019-11-13 (水) 12:34:00 (30d)