ソロモンの悪夢

我、その意味を知らず

ソロモン陥落の報せが届いたその日、ベニート・ムッソリーニは野望の終わりを悟った。ソロモンの積極防衛を主張したムッソリーニに対し、未だインドの奪還に固執するヒトラーとや、自国植民地の防衛以外には興味の無いフランスの「老いぼれ」ペタンやルバテは一切力を貸さなかった。

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ドイツではゲーリング元帥が僅かに彼と同じ主張をしたようだが、それも実現はしなかった。ゲーリングという男はモルヒネ中毒の不健康極まりない男だったが、最近ではそれを克服して今やヒトラーのあの愚劣な取り巻き達をやっつけようと頑張っているらしい。

ローマの危機

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ロベルト・ファリナッチ

形だけは欧州連合の理事国として大国だの列強だのと肩書を与えられているイタリアが、その実ドイツやフランスの後塵を拝する二流国だということは、認めたくないが事実である。しかしムッソリーニがより心配していることはファシスト体制が無力化していることだった。彼が大局的な観点から、即ち東地中海の制海権を維持して日本人の欧州上陸を防ぐため、ソロモンの防衛を主張したとき、ファシスト政権の幹部たちですらドイツの方針を無批判的に支持していた。これでは、統領たる自身の立場など無いも同然だった。

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実際、ムッソリーニの危惧通り、スエズを突破した日本の機動艦隊がイオニア沿岸に居座り、艦載機がトルコやギリシアの基地を便所まで穴だらけにしていた。シリアではフランスへの反乱を成功させたアラウィー派アラブ人が日本人と手を組み、大規模な軍港と空港の建設に従事し食糧を輸出するなど巨利を得、ラタキアの基地から出撃した日本軍機はアナトリアの航空優勢を奪いつつあった。ソロモンを奪った日本の地上軍は上空を味方に守られながら悠々と進撃できた。

月の砂漠

コピーキャット

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一方、ペルシアにおいても日本軍はアーバーダーンの占領に成功し、ドイツ軍を駆逐しながら北上していた。ドイツ軍はこの迎撃のため東部での攻勢を諦めざるを得なかった。インドでの敗戦の責任を負わされ本国に召還されていたマンシュタイン将軍は、ア・バオア・クー攻撃の際の機動や奇襲性を重要視した戦略から、日本軍が明らかにドイツ軍から戦闘教義を学びつつある、と分析していた。

彼は彼の内面的君主たるヴィルヘルム二世ほどの黄禍論者ではなかったが、かの東洋人の見せる学習速度には率直に脅威を感じていた。十年ほど前までは「粗悪な模造品を売りつけて儲けようとする汚い商売人」としか思われなかった集団が、今や自分に武士道の何たるかを見せつけようとしているのだった。マンシュタインは、もう一度彼らと戦ってみたいとさえ思った。

政治的配慮

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後方に居て、重職もなく、ある意味気ままに事態を観察できるマンシュタインと違い、前線で戦うグデーリアン元帥は出来れば日本人とは戦いたくないと感じていた。彼は気が進まなかったが、ヒトラーに命じられたので渋々バローチスタンで日本軍に戦いを挑んでみたが、果たせなかった。戦力的には互角と言えたが、その半数がドイツ兵と違ってやる気も練度も低い属国の兵となれば、戦い慣れして粘り強い日本兵に勝てるわけがなかった。むしろ彼は、纏わりつく連合軍部隊の撃破には目もくれず戦略目標=カスピ海への到達へと突き進む日本軍こそ自分の思い描いた電撃戦の理想に近く、いっそ彼らを指揮したいとさえ思った。彼らが同盟者でないことは甚だ不幸かもしれなかった。

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独ソ戦に参加するルーマニア軍

だがグデーリアンは同盟国の兵士を置いて離脱するわけにはいかないことをよく承知していた。かつて独ソ戦序盤で、政治的・経済的理由からキエフ攻略を命じたヒトラーと対立してモスクワ進撃という電撃戦の理想に拘った彼だが、数年たった今では少しではあるが「政治的配慮」をするようになっていた。つまり置き去りにされた同盟国の兵を多数失うことで、彼らの祖国が戦争継続の意欲を失わないように配慮したのである。

飢餓戦線

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結果的に、同盟軍の存在はグデーリアンの足かせとなった。イラン高原の地形は装甲部隊の移動には明らかに不向きで、山岳戦に慣れた特殊編成の師団を中核とした日本軍とは速度に差が出ていた。結果、グデーリアンはバクーの友軍と連絡することなく本国と分断され、彼にとっては不向きな持久戦を強いられることとなった。だが、やはり彼も無能な男ではなかった。不得意とはいえ並みの将では務まらない大軍の統率を数か月も維持し続け、包囲下での抵抗に成功し続けた。日本軍は包囲下の軍が多数だったこともあり、これの殲滅に6か月もかかった。

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ペルシア南部の包囲網は深く、既に本国との連絡は数100劼睥イ譴討い拭最寄りの航空基地からは既に戦闘機が到達可能な距離ではなく、日本のパイロットたちの追撃を振り切って大規模な空輸を行うことは不可能だった。海上から補給を行うためには喜望峰を経由するしかなく、その長旅の過程でアメリカの潜水艦や日本の戦艦に見つからずにいることなどできるはずもない。ドイツ兵が抵抗する限り、彼らに待つのは死のみであった。

無意味な死

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にも拘わらず、絶望的な状況こそ却ってドイツ兵の敢闘精神を呼び起こすらしく、ドイツ兵たちは一向に降伏に応じなかった。最悪餓死するまで塹壕や陣地に立てこもり続けるのだ。まさに死兵・鬼兵となった彼らに対し、勝ち戦の日本兵たちは攻撃を行うことが出来なかった。既に勝ちが決まった戦で敢えて死にたくはない。敢闘する敵兵への憐みもある。

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ドイツ軍の闘争心は、ドイツの同盟国の兵にも伝染しているようだった。特にフィンランドはソ連と敵対関係にあったことから独ソ戦をきっかけにドイツと同盟して、結果的にかつての友人と戦うことになったのだが、今やドイツの同盟軍で最も手ごわい敵として日本軍の前に立ちはだかっていた。

祖国とは似つかない異境での死がフィンランド兵に何の意味があるのか?それは、大国の都合に翻弄される祖国を持ち、現にそれ故に死に行く者にしか導き得ない答えを持つ問いなのかも知れなかった。それは日本兵に戦争の虚しさを認識させるのに十分だった。前線の兵士の心境を察した司令官・栗林忠道陸軍大将は、それでも任務に忠実だった。彼は麾下の軍全てにあらゆる状況における白兵を禁じ、砲撃、機銃掃射と火炎放射器による敵軍掃討を命じた。それは兵たちの罪悪感を和らげる措置だった。


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Last-modified: 2019-11-30 (土) 15:56:50 (13d)