憎しみの光

反応兵器第一号

https://i.imgur.com/jxJ9qVP.png

ドレスデン近郊の飛行場から飛び立ったB-36大型爆撃機は、その弾倉に未だ人類が同胞に対し一度も使用したことのない道具を搭載していた。現代物理学の成果の一つであるそれは、日独も実用化に必要な技術を習得していたものの、兵器として生産したのはアメリカ合衆国が初めてだった。

https://i.imgur.com/2WGM67U.jpg

アメリカ軍はベルリン周辺の自軍に退避命令を発したが、友軍であるはずの日本軍や赤十字に対しては曖昧な警告を発したのみで具体的な連絡を行わなかった。目標である総統地下壕の上空300mで炸裂したそれは、期待したほどの物理的衝撃を齎さなかったが(この一撃によってヒトラーが死亡することはなかった)、強烈な放射線とまき散らされた放射性降下物はベルリン市民と兵だけでなく、周辺を飛行していた日本軍機や支援組織に死と恐怖を齎した。

https://i.imgur.com/pzdlbB6.jpg

当然の如く、日本兵たちの失望と怒りは凄まじい。危険を顧みず、あるいは無知によって、市内に突入した彼らは懸命に救助活動を行ったが、それ、即ち核攻撃の威力を調査するために訪れたアメリカ人の侵入は徹底的に拒んだ。日本兵は時にアメリカ人を追い返すのに銃を突きつけることさえした。

共同戦線

https://i.imgur.com/jzoT4f5.jpg

アメリカ合衆国は、核攻撃が未だ抵抗を続けるブリテン島の兵士たちの戦意を削ぐものだと主張したが、寧ろ現地の兵たちはエゥーゴへの反感を強めて、例えばエーリヒ・バイ提督はドイツ海軍の〈ティルピッツ〉以下残存艦艇をスウェーデンに避難させ、核攻撃に抗議する国王の援助を得て北海で抗戦を継続しようとしていた。

https://i.imgur.com/DWT4o4l.jpg

アメリカの核攻撃はがその日行われたのは日本の単独和平を阻止するためだったが、結局日本政府はボンのホイスやアデナウアー率いる政治権力をドイツの後継政府として認め、講和交渉に入った。新たな核攻撃に対しては日本がアメリカに対し迎撃も辞さないという強硬な態度で臨んだため、米政府も退いた。現在、域内で最大最強の軍事力を展開させているという事実そのものが日本にとって有利に働いていた。

ドイツ残党軍

ブリティッシュ作戦

https://i.imgur.com/qbOmHmJ.png

日米両政府は、ひとまずドイツとの和平に合意し、残党軍の壊滅までは手を組むということで妥協した。目下の目標はゲーリングのブリテン総督府を壊滅させ、英国政府をロンドンに帰還させることであった。日本軍はそのために、北仏に大量のミサイルを展開させた。そのミサイル《龍勢》は、占領地にドイツが残していったV2ロケットの諸型を徹底的に解析し、その構造を取り入れて実用化された対地攻撃用の兵器である。電算機によって目標の座標をインプットされたそれらは1950年の春に段階的に発射され、イングランドの生産設備を完膚なきまでに破壊しつくした。

https://i.imgur.com/IXCrejF.gif

ドイツ軍は飛来するミサイル群を《ヴァッサーファル》や対空砲によって撃墜しようと試みたが、当時の技術では実現は不可能だった。それはイングランドの住民にバトル・オブ・ブリテンの時の空襲を思い出させる示威行為であり、ナチスの尖兵と成り果てたイギリス人に対する警告であった。そして何より、市民に対する無差別攻撃を率先して始めたアメリカに対する意趣返しであった。

アルビオンの戦い

https://i.imgur.com/ukLimCu.jpg

2週間ほどの間に100発以上が着弾したイングランドの大地は、最早死体と瓦礫以外は何も見つからない程に荒廃していた。海岸を守る兵士に与えられるべき小銃や弾丸を製造するはずの工場は野良犬の便所となり、上空を守るパイロットのゴーグルはその後ずっとひび割れたままだった。アルビオンに殺到した日本人がいつ休養を取っているのか不思議なくらい休みなく砲撃してくるので、海岸陣地のドイツ兵達はこのままイングランド全体が海に沈没するのではないかと感じた。

https://i.imgur.com/2dfHUZB.jpg
ロイ・コーランダー

残党軍側の抵抗があまりに烈しいので、日本兵たちは敵を「ドイツ人」だと思っていたがいざ上陸してみるとそれが間違いであることがすぐにわかった。塹壕に埋もれたまま酸欠で死んだ兵士の名札にはイングランドの男の名が英語で記されていた。

https://i.imgur.com/00i0uuW.png

ロンドンに入城したとき市民が自分たちに石を投げてきた。その表情には怒りよりも、かの大英帝国の終わりを知った悲しみが溢れていた。何を今更これならドイツ人の方がずっと自分たちに親切だったと若い兵士たちは思ったが、老年兵は市民などどこもこんなもんさ、と笑った。

戦争責任

https://i.imgur.com/9GRBymR.jpg
後に旧ワルシャワ・ゲットーの前で跪くドイツのブラント首相

実際、敗北の受け止め方はドイツ人とイングランド人の間で大きく違っていた。戦争の主導者であるドイツ人には明確な当事者意識があり、部分的にではあるがナチスの戦争犯罪についても知っていた。ドイツ人にとって、第三次大戦の敗北とは、自分自身の敗北であった。しかしイングランド人はこれまで銃後に置かれていたために当事者意識が薄く、また同盟国国民として手心を加えられていたこともあって、敗北者としての自覚が弱いのだった。

https://i.imgur.com/1XarU1z.jpg

同様の傾向はフランス人にもあった。フランスはドイツ最大のパートナーとして第三次世界大戦に加担しており、その政府(ヴィシー政府)はフランス第三共和政の正当な後継者として国際的に認知されてきた。しかしながら、フランス人は政権やドイツ軍に協力した同胞達を街頭上で吊し上げ、自分たちが「最初からずっと」ドイツに敵対していたように振る舞った。

一部の良識人の非難は、大衆が羞恥を覆い隠すための歓声にかき消された。そして絶対に日本人が勝者として振る舞うのを良しとしなかった。日本兵に対してはその肌の色と小さな体躯を笑ったが、アメリカ兵には商品の値を下げて売った。彼らが敗北という事実を、そして何者と戦って負けたのかを受け容れるのは時間がかかることである。


トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2019-12-11 (水) 20:48:21 (284d)