新大陸へ

ダンケルク

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1941年の春、先年にフランスを降したドイツがついに英国本土上陸を果たし、ロンドンは今やヒトラーの任じた総督の支配下となっていた。国内外の諸機関から届く、現地についての情報は一様に英軍の必死の抵抗と敗北を表していた。米国の支援も途切れ、健気に軍需物資を供給してくれるのは、三つの大洋を越えた先にある日本帝国だけだった。

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またエジプトではドイツの援軍を得たイタリア軍が北アフリカの制覇に成功しており、英軍はスエズ運河〜パレスチナの一帯からも撤退していた。主力を躱され、補給を失った英軍にこれを奪還する力は無かった。今のところ、スエズ運河を通過する日本を含む非交戦国の船に被害は出ていないが、英国の潜在的同盟国である日本の船舶が独伊から敵対行動を受けるのは時間の問題であり、この時点で既に英軍と独伊軍の戦闘行動により日本船は有形無形の損害を受けていた。

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英国稀代の楽観論者は演説で述べた―「我々はあらゆる場所で戦い、敗れた。しかし我々は諦めない。新世界と東洋の古き帝国が欧州の解放と救済に立ち上がるその日まで」

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英国政府は、希望を抱いてカナダへと脱出していった。

ゲルマンの荒鷲

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チャーチルが述べた通り英国は1000年間でも戦い続けるかも知れなかったが、それでも英国が苦しい状況にあることは明らかだった。英国の若い将校団はドイツの本土上陸(アシカ作戦ゼーレヴェ)前に「ドイツが上陸してきたとしても、英国は郷土防衛のために民兵を動員し、王立海軍がドイツの補給を阻止するので英国は勝利できる」と豪語していたというが、実際の状況はそれとかけ離れていた。ドイツ海軍の航空母艦<ハンザ>とドイツ空軍は、不足する海上戦力を補う以上の働きを見せて王立海軍を圧倒し、民兵たちの健気な塹壕を軽々と墓穴に変えていった。秋が来る前後には、ドイツ陸軍はハイランドの大半さえ占領してみせた。

苦境

ストレーザ戦線

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あるいはスエズが無事であったなら、本土を失っても英国はインドで継戦できたのかもしれなかった。しかし戦前の英国はポーランド侵攻が始まる直前までストレーザ戦線の再建ができると信じており、そのためにイタリア軍への備えは万全ではなかった。

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イタリアがドイツとの提携を選んだのはフランスとの軋轢が直接の原因だったが、イギリスとフランスの足並みは英独海軍協定締結の時点で既に揃っているとは言えない状態にあり、イギリスのフランスに対する不信感はもともと大きなものであった。フランスが敗れた後に発生したメルセルケルビール海戦も、それが原因といえた。

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また英国本土の戦いで、少数を率いて勇敢にも前に出たシャルル・ド・ゴール将軍が敵弾に倒れたのちは、彼を指導者としていた自由フランスも英国にとって有力な味方とはいえなくなり、イギリスにとって「フランス」とは最早味方でも何でもない存在と化していた。

失われた20年

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「失われた10年」と呼ばれる米国経済の苦境は、1936年に大統領となったランドン氏の自由放任政策により「失われた20年」へと延長されつつあった。米国が対英支援に消極的な一方で、市場を提供してくれる日中に協力的なのはそのためだった。


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Last-modified: 2019-11-14 (木) 17:26:14 (29d)