眠れる巨人の始動

単独主義

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日本軍がインドで死闘を繰り広げているころ、アメリカ合衆国では対独戦に加わるかどうか、激しい議論が交わされていた。当時のアメリカでは、ニューディール的な景気介入政策=政府による需要創出が行われていたが、その一環として大規模な軍拡と徴兵が行われており、1947年の段階でその「使い道」が議論の的となっていたのだ。

ソ連がシベリアに追放された今、アメリカを脅かす(程の)敵はどう考えてもドイツしかいないはずだったが、ドイツとの戦いが1年や2年で終わるはずはなく、犠牲も膨大なものになると考えられていた。日本が英国との協調を選んだからといって、アメリカ合衆国までもがそれに同調する必要はない…であるならば、英国の植民地や構成国を切り崩していって占領してしまえば、ドイツに負けない市場規模を確保するほうが、アメリカの国益になるのではないか。

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そのように考える者たちも大勢いる中で、大統領は殆ど独断で、英国支援再開を決めたのだった。合衆国海軍に守られた船団が南アフリカや、オセアニア、東インドといった地域に届けられた。大統領はドイツとアメリカの国益が必ず対立することには気付いていたし、ナチスを滅ぼすことはアメリカの道徳的使命と考えていた。日英同盟が復活し、日本がドイツとの勇敢な闘争に臨んだことは、アメリカにとってある程度不都合なことがあるとしても、賞賛すべき出来事と捉えていた。

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しかし、ランドン大統領には本格的介入、即ち英国と同盟して参戦する、という選択をすることは出来なかった。ランドン大統領は信用していなかったのだ。30年近い平和の中で、アメリカの軍隊がもはや戦士ではなくなっているのではないか、と彼は疑っていた。実際、アメリカの主力戦車M4は全く性能不足で、航空隊のP-80などは同様の技術で作られたドイツ軍機や日本の《火龍》などに比べると劣っていた。なおかつ将兵は経験不足で、戦争をパーティーだとでも思っているようだった。

大西洋、血に染めて

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ところが、ドイツの方は合衆国のそのような現実を認識していなかった。ヒトラーはアメリカの経済力を恐れていた。インドで大敗したにも関わらず日独の力関係は未だ逆転しておらず、ドイツが恐れるべき唯一の相手はまだアメリカだけだった。そのアメリカがついに英国支援に動いたという事実は、ヒトラーにアメリカに対する戦端を開く動機となった。

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ヒトラーはドイツ海軍を出撃させ、カリブ海から西アフリカへと向かうアメリカの船団を阻止しようとした。ミッチャー提督を総司令官とするアメリカ艦隊は、ドイツ空母<ハンザ>やビスマルク級<ティルピッツ>といったZ計画の賜物たちの猛攻を受けた。ミッチャー提督は敢闘精神を見せ大統領の不信を希望に変えたが、ドイツ軍機の爆撃と突入で乗艦のブリッジを破壊され戦死した。

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最新技術で戦闘力を最大限まで高められたドイツ艦に比べ老頭児ばかりの米艦をドイツの海兵たちは嘲笑したが、ミッチャー提督のファイティング・スピリットは無意味なものではなかった。つい最近まで不況下にあったとはいえ米国の底知れぬ経済力は容易に損失艦の代わりを用意したが、ドイツは補充のため一々本国まで艦隊を呼び戻さなければならなかった。アメリカ人の戦意を挫くというヒトラーの狙いに反して、アメリカ人は戦傷者が出るたびにその闘志を増すようだった。

エゥーゴ設立

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ドイツとアメリカの開戦とほぼ同時期、ドイツ主導の「ヨーロッパ連合」に対抗して、日英同盟と米英同盟が共同戦線を張るための会議がトロントで開かれた。ウィンストン・チャーチル、吉田茂、そしてダグラス・マッカーサー元帥の三名がそれぞれの国家ないし国家連合を代表し、彼らの手で反欧州連合グループ、通称エゥーゴ"Anti European Union Group"が結成された。AEUGの目的は第一に、当然、ナチスとその同盟者の打倒、第二にドイツ崩壊に便乗したソビエト連邦復活の阻止、そして第三に覇権国単独による世界秩序形成の予防の3つだった。

三国の同盟は日本にとって、メリットはあるものの若干不利なものといえた。アジアを征しつつある今、自国の市場を守るという日本の当初の戦争目的は達成されており、日本はドイツと単独講和することも不可能ではなかったが、米国の介入により実現できなくなった。また、今までは同盟内で最大戦力を現有している、という強み故に殆ど独善的に戦略目標を決定していたのが、これからは米国の動向を考慮しなければならなくなった。ただ、米国の経済力が裏付ける「少なくとも負けは無い」という安心感は日本政府の戦争遂行を助けた。

ソロモン攻略戦

ダカールの日

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米国が参戦したとはいえ、その戦力が盤石でない内は、まだヨーロッパへの侵攻など実現できない。その状況をよく理解しているエゥーゴの首脳陣は、インドにおける日独対決の教訓から、まず西アフリカの攻略を目指した。欧州連合軍が容易に増援を送ったり補給したりできず、かつエゥーゴの同盟軍は容易くそれができる距離における攻勢である。その試みは成功し、比較的弱体なフランスやイタリア軍は米英軍の攻撃で次々と粉砕されていった。ドイツにはわざわざサハラ砂漠の向こうまで援軍を回す気などなかった。

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西アフリカの成功は、明らかに連合国の注意を東側の戦線から逸らした。日本軍はドイツ艦隊が大西洋に気を取られている間に奪取しておいたアラビア半島南端の地域を拠点に更なる攻勢を意図していた。考えられる方面は二つあり、紅海からシナイ半島に上陸するか、あるいはエチオピアの占領を目指すのかといういずれかであった。

熱砂の攻防戦

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結局、この状況下でなら紅海からシナイ・パレスチナ方面への攻撃で奇襲効果を得られると判断した日本軍は、エチオピア上陸という欺瞞情報で連合軍をかく乱しつつ、シナイ半島へ上陸を開始した。

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中東ではイタリア軍がソロモン要塞という陣地帯を築いて日本軍を待ち受けていた。激戦の末辛くも上陸に成功した日本軍は、ソロモンへの正面攻撃を避け、逆に機械化軍団を迂回させスエズ運河の奪取を優先した。奇襲効果は絶大であり、まともな防衛戦力を用意できなかったイタリア軍はスエズ運河をあっさり捨ててエジプトとソロモン方面に後退していった。だが、エジプト側にも米英軍が迫りつつあった。

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スエズ運河を越え、機動艦隊が東地中海に突入したことにより、ソロモンは完全に孤立した要塞となった。司令官は本国に、とにかく数が足りない、要塞は完全に包囲されていると窮状を訴えたが、防衛戦力をイタリア半島や北アフリカに集中させたい独伊本国の反応は冷淡だった。ソロモンは日本軍機にハチの巣にされ、イタリア軍は総撤退を開始した。目指すはフランスの総督が支配するダマスカスであった。

パレスチナ・ヨルダン自治政府

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日本兵たちは占領したその土地の、あまりに凄惨な状況に息を飲んだ。無計画に巨大な移民によりパレスチナの社会基盤は破壊されており、アラブ人もユダヤ人も飢えていた。双方が組織した武装集団による殺戮が日常的に繰り返されており、死体の山と過剰な生産により荒廃した農地が一面に広がっていた。

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日本政府は状況を収拾すべく、パレスチナやトランスヨルダンから独伊やこれに与した全ての組織を排除していった。特にユダヤ人たちが組織した「ハガナー」のような過激な組織は完全に解体され、指導者や従わないメンバーは全て拘束され北米の戦争犯罪者の収容所へと移送された。少数派として細々と生活していたキリスト教徒やアラブ・ユダヤ双方の穏健派は妥協し、日本の軍政下で共同自治を行うことを約束させられた。


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Last-modified: 2019-11-25 (月) 02:52:11 (18d)