新月の夜が明けるとき

解放区

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ペルシア戦線が停滞している間、日本軍の北上は欧州連合軍によって遅らせられていた。ペルシア戦線に兵力を奪われていた日本軍は止むを得ず守勢に回ったが、この地で連合軍と対抗するために、西北ザグロスの地中に築かれたのが「コンペイトウ」ことマハーバード要塞であった。

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現代のザグロス山脈

マハーバード要塞は険しい山岳地帯に築かれた迎撃拠点であり、一部の鉄道や滑走路、対空設備など地上に設置せざるを得ないもの以外は大部分を地中に擁する。コンペイトウという名は、入り組んだジグザグの構造に因んで付けられた。コンペイトウは連合軍を迎撃するばかりでなく、日本軍の中東における同盟者・クルド人やアゼリ人、あるいはいくつかの民族・宗教少数派と、彼らにとっての解放区であるマハーバード共和国を防衛するために建造された。

反逆の英雄

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マハーバード共和国は正式にはクルディスタン共和国と言い、その名の通りクルド人たちによって築かれた史上初の近代クルド国家である。母体はソ連がイランに進駐していた僅かな期間に設置された親ソ自治政府組織である。ソ連がドイツに敗れた後、かの地に進軍してきたドイツ軍によって一度は崩壊し大統領カーズィー・ムハンマドも処刑されたが、イラク・クルディスタン地域出身のムスタファ・バルザニによってその武力と命脈を保たれた共和国は、再起を図りながら闘争を続け、ついにその機会を得ていたのである。

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東條は、初めて会ったその異国の男に不思議な共感を抱いていた。それは、父親が「朝敵」の系譜として不遇な扱いを受けてきたというその出自が、クルド人たちの現状に対して抱かせた共感なのかもしれなかった。ムスタファの方は小柄で素朴な顔立ちのモンゴロイド達に対し、大きな好奇心を抱いていた。かつてフレグがアッバース朝を滅ぼしたときもきっと祖先は同じ気持ちだったろう、と彼は思った。

異境・異教の同志

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サイクス・ピコ協定

ムスタファは日本人が、英国の同盟者として旧国境を再現するつもりではないかと危惧していた。だが両者の会談において、東條が明らかに中東を再編しトルコに中立を捨てた対価を支払わせるつもりであることが分かって、彼は安堵した。東條は中東に疎い自軍にとっての道先案内人であることをクルドに求め、その報奨としてクルド国家の再建を提示した。

東條は将来的にクルドを中東の憲兵として利用することも考えていたが彼らに必要以上の大きな力を与えることを警戒し、提示されたクルド国家の領域は限定的なものとなった。ムスタファはかつてセーブル条約成立時にクルド人代表が主張したような広大な領域(それは地中海沿岸からペルシャ湾の近くまで)を統治することは、今のクルドには不可能だと考えていたので、これを了承した。

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かつてケマル・アタテュルクが述べたように、クルド人は明確に後進的な存在である、とムスタファは理解していた。その居住環境を一つの源とする閉鎖性と部族主義が、統一的な運動を組織する妨げとなり、結果武装・政治闘争の失敗の背景となってきた。それは自分自身「部族主義者」と非難されてきたムスタファも認めざるを得ない過去だった。だが、彼は未来に明るい展望を持っていた。

強烈な人種主義を掲げるナチスとトルコやイラクが同盟したことは、クルドに絶滅という恐怖を共有させた。そして多くのクルド人が都市部や人口希薄地域へと強制移住させられたことは、無論悲しむべきことだが、近い将来に部族の垣根を突き崩すだろう。つい先日生まれたばかりの四男の顔をふと思い浮かべながら、ムスタファは新しい世代のためにクルド国家をプレゼントしたい、と東條に語った。

天は赤い川のほとり

アンカラ放棄

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かくして日本人と同盟したクルディスタン共和国は急速にその領域と組織を回復し、連合軍からの鹵獲品を与えられた軍は「死に立ち向かうもの(ペシュメルガ)」として、単なる水先案内人以上の働きを見せた。元より民族に漂う尚武の気風と山中に大敵と渡り合ってきた戦闘経験、そして何より地の利を生かした戦術で、兵力としても活躍できた。

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中東で頼りになる味方を得た日本は、ペルシアの平定後すぐに軍を北部に差し向けることができた。既に北アフリカでも米英軍の勝利が決定づけられており、北アフリカの航空基地から発進した得たエゥーゴ各国の航空機によるカバーのもと、空母も戦艦も安全に地中海を航行できるようになっていた。連合軍にとってアナトリアの喪失は、これからの戦場が欧州本土に移ることを意味する。既に劣勢となった状況を覆すべく、欧州連合による一大反攻作戦が準備されつつあった。

アルメニア攻勢

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日本政府はドイツ軍との前線に、最も信頼できる援軍、即ち自らが育て上げた直系の弟子にあたる(つわもの)を呼んだ。韓国軍の10万が今ドイツ軍と撃ち合っているのはそのためだった。

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朴正煕少佐もその内の一人で、彼は社会主義に傾倒しておりそれは日韓両政府も知るところであったが、日本の軍学校で優秀な成績を収めたエリートであり、ソ連の満州侵攻時はまだ見習いでありながら小部隊を率いて戦い、居留民の避難を成功させた実績を買われて選ばれた男だった。

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彼の率いる第八師団第二連隊もまた、旧日本軍に伝統を遡る部隊で、麾下の将兵も実戦経験のある者を中心に集められていた。朴は彼らに猛訓練を課し、いつしか周囲から「虎」と呼ばれるほど、その実力は日本軍の正規兵以上のものと見られていた。

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とはいえ「虎」たちの牙は基本的に歩兵の軽装備が多く、ドイツ軍の装甲部隊には歯が立たないことも多かった。1947年ごろからは対戦車装備が豊富に支給され、対戦車戦闘の訓練も積み重ねてきたが、それでも現在相対しているドイツのレーヴェにはやはり歯が立たなかった。険しい山岳地帯を越えてそいつを持ってくるのはさぞ大変だったろう、と朴は思った。朴は冷静なままだったが、手持ちの対戦車ライフルも、砲兵の正確な狙撃も悉く跳ね返す怪物に対抗する有効な手段は多くない。

韓国軍の勇戦

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真っ当な手段でレーヴェを撃破するのは不可能であり、距離を取った攻撃が弾かれる以上は白兵しかないだろう。それを為せるのは共和国軍10万の内でもわが部隊だけだと朴は奮い立った。朴は上司である元容徳将軍を通じ派遣軍統括の李青天将軍に殿を務める旨を申し出た。

李青天は日本統治時代には独立派を率いて日本統治に抗っていた人物だが、韓国建国の際にの洪思翊少将(当時)の招きで政府に参加していた。それ以来彼は、新しい国が単に日本帝国の手先として使われないようにするため、強い軍隊の建設に邁進してそのトップに座していた。

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ドイツ軍のアナトリア攻撃は、純粋にトルコを救援することと同時にコンペイトウ攻撃の側面を確保する目的を持っていた。従ってある程度進出したからといって、そこで戦力を消耗しつくしてしまっては作戦は失敗になってしまうのだった。その意味で韓国軍の奮闘は重要な意味を持った。撃破はできないまでも、果敢な反撃により履帯や照準器、通信装備を破壊されたレーヴェは、最早戦場に辿り着くことができない。

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険しいコーカサス山脈を越えて装甲(パンツァー)の予備部品を補充するのは時間がかかり、日朝軍は進出してきたドイツ軍を撃退する準備をその間に完了していた。一連の攻防戦による韓国人の犠牲者は大きかったが、連合軍のそれも同様だった。ドイツ軍は不足し始めた人的資源を補うため、ついに一般市民さえも前線に送るようになった。

日本政府は韓国軍が少なくとも援軍としてはANZAC軍と同程度以上に信頼できる存在へと成長したことを好意的に捉えていた。日本の新聞は「隣人の友諠」を称え、民衆はつい数年前まで自分たちが半島の人間をどのように扱っていたかということには触れず、両国の「新しい関係」を賛美した。


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Last-modified: 2019-11-30 (土) 23:38:27 (12d)