極東共和国

韓国の独立

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ソ連の敗北により、日本帝国再び朝鮮半島を支配することとなった。だが再び朝鮮総督府を一から建設する場合のコストは膨大で、なおかつ一度ソ連に敗北した日本帝国に、あっさり朝鮮人たちが従うとも思えなかった。穿った見方をすれば、意地を張ったまま三等国の国民として生きるより、国を売って一等国の住民となったのが彼らである。つまるところ、国を売ってまで手に入れたものを奪われたことを「日本人の裏切り」とさえ思っているのだった。

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町田内閣はこの際、朝鮮を同君連合下にある独立国とすることで、半島の政治・経済を日本の間接統治下に置くこととした…名目上の独立を与えて朝鮮人の自尊心を満たしつつ、実を取ろうというのである。

約束の地

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また、意図しないこととは言え、日ソ戦争により日本は米国の満州における門戸開放政策を助けていた。東三省には中華民国の主権が回復されていたがそれは形だけで、軍事的には日本の、経済的には米国・ユダヤロビーの支配が存在していた。日本はその上沿海州の自治を認め、そこではロシア人よりもウクライナ人、中国人とユダヤ人が力を持っていた。

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ユダヤ人たちはドイツの勢力拡大に伴って続々と欧州を脱出していったが、その行先はパレスチナではなく米国や極東だった。彼らは日本が着の身着のままで逃れてきたが、日本政府が最低限の食糧や衣服を提供してくれるので、喜んで北海道、樺太、満州やプリモルスクを「約束の地」と認めて定着していった。ドイツはシオニストを利用してパレスチナにユダヤ人を送り込んだが、明らかに食糧キャパシティをオーバーして増加する人口のために、ユダヤ人やアラブ人が何万人も餓死しても知らぬ顔をしていた。パレスチナの惨状が知られるにつれ、米国以外の地域のユダヤ社会におけるシオニストの求心力は急速に下がっていった。

日米協商

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内地においても、自動車産業振興のためフォード社の工場が雨後の筍のように建設され、対抗するGMは満州や沿海州へと市場を移した。人件費の安いアジアへ工場設備や資本が奪われていくことで米国の労働者はさらにやせ細っていったが、財政の悪化を極端に恐れる(その点においてこそルーズベルトを非難したのだから当然である)ランドン政権が行った中途半端な公共投資は、何の効果も生まなかった。

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一向に改善しない景気のせいで、アメリカは非常に内向きな社会へと変質しつつあった。ソ連の敗北により展望を失った社会主義運動は衰退し、代わりにファシズム思想への傾斜が危険な程に進んでいた。アメリカの民主主義を維持するため一刻も早く経済を建て直さなければならなくなったランドン政権は、最も迅速で簡単な「公共投資」である軍拡という麻薬に手を出し始めていた。

東洋へ

王冠を飾る宝石

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ドイツ国内にはインドなど放っておけばよい、そう考える向きもあった。特にエーリッヒ・フォン・マンシュタイン将軍を始めとする国防軍の一部は、補給の困難さを理由にインド征服をためらっていた。そもそも彼らの忠誠は国家に対してであって、ヒトラー個人に対するのではない。ベルリンからミンスク・ヴォルゴグラード経由でバクーまで建設された高速装軌鉄道(ブライトシュプールバーン)は現地のインフラを大きく改善したが、それでもバクー以東は険しい山脈を馬やラクダも使って越えていかなければならない。

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だがヒトラーの野心は、マンシュタインらの現実論など一蹴するほどに膨れ上がっていた。というより、自身のプライドを刺激するマンシュタインという男の存在が、却って彼を燃え上がらせていた。彼はロシアを征服した自分について「トラヤヌスやナポレオンを越えた」と評していたが、その次のライバルはアレクサンドロス大王というわけだった。

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実際、インド征服が不可能というわけではなかった。確かに補給上の不利はあったが、ドイツ軍の実力を以てすれば旧式化した英印軍など物の数ではなかった。インドの徴兵人口がどれほど膨大であろうとも、彼らのうちたった一人に小銃と弾丸を与えて兵士に仕立て上げることすら、今の大英帝国は難儀していた。

第二次日英同盟

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大英帝国はインドで継戦、それは不可能と思われたがせめて兵を脱出させるため、新たな力を欲していた。それが可能な唯一の国家は、かつての同盟国・日本帝国だけだった。日本帝国の陸上戦力はまだ発展途上にあったが、海上戦力はドイツに互するものがあり、英国は東南アジアの膨大な戦略資源をかの国に提供することを決意した。英国王はオランダ女王・ウィルヘルミナと連名で天皇に援けを求める親書を出し、それは受け容れられた。

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はじめヒトラーが側近から、日本の宣戦布告という報告を聞いたとき、彼はそれを信じることが出来なかった。今やアレクサンドロス大王の威をわが身の物としたドイツ第三帝国に、今更歯向かってくる国があろうはずもなかったからである。だが、日本の航空母艦<赤城>から発進した艦爆隊が、仏領インドシナ政府の庁舎を木端微塵にしたという事実が、それを彼に現実の出来事として認識させた。

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インドシナに上陸した日本軍は、はっきり言って不安を感じていた。というのも、ソ連に勝ったとはいえあくまで火事場泥棒的な状況であったし、敵はそれに圧勝したドイツ軍である。なにより、それ以前にソ連にコテンパンにやられた記憶も、まだ新しい。自分たちがドイツ軍を相手にどれだけ戦えるか、フランス軍相手の戦いはその試金石となるはずだった。

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しかして、フランス軍はドイツから支援を受けているにもかかわらず、日本軍にまるで歯が立っていなかった。日本軍はフランス兵の抵抗にさしたる損害も受けず、二か月も立たないうちにインドシナ全域を支配下においた。


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Last-modified: 2019-11-19 (火) 01:42:41 (24d)