華北分離工作

史実とは異なった国体明徴声明

岡田啓介.png(←司会役)1935年に浮上した天皇機関説問題、これに対して政府は美濃部達吉の説を採用する旨を明らかにした。これが国体明徴声明である。
岡田啓介.png天皇は法人たる国家の一機関に過ぎないということを認めたことに皇道派を中心とする陸軍過激派は猛反対した。
岡田啓介.pngしかし、それでもこれによってわが国は確実に民主化への道を辿っていった。その結果1936年の第19回衆議院議員総選挙によってわが国の政体は社会保守派となった。
広田弘毅.png(←補足役)1936年のスライダー移動で民主へ

起こらなかった2・26事件

岡田啓介.pngしかし、陸軍の過激派の勢いはとどまるところを知らない。この選挙に前後して私たち政府高官を暗殺しようという動きを公安が嗅ぎ付けた。
岡田啓介.pngそこで私は一案を講じた。現在内戦中である中国国民党と中国共産党の戦争への介入である。
岡田啓介.pngもとよりわが国に最も近い隣国はソ連である。その影響を封じ込める必要性は陸軍過激派の多くも理解していた。
岡田啓介.pngしたがって私は国民党の蒋介石と南京で会談を重ね、以下の点で合意に達し、中国共産党への宣戦布告を行ったのだ。
広田弘毅.png国民党に独立保障→共産党に宣戦布告。

1.日本は中国国民党政権を中国大陸唯一の正当な政権と見なす。
2.ただし、中国国民党は日本が満州に保有する特殊権益を黙認する。
3.日本は中国の各軍閥勢力と共謀しない。

岡田啓介.pngこれによってわが国は中国共産党と交戦状態に入った上に、ソ連にまで気を配らねばならなくなり、陸軍は結果としてクーデターごっこなどやっている場合ではなくなったのだ。
岡田啓介.pngまた、日本が満州に保有する特殊権益を国民党は事実上認めたことになり、日本も一定の外交成果を上げたのだ。
岡田啓介.pngこうして、陸軍内で計画されていたクーデター計画はいつの間にかお流れになった。
広田弘毅.png戦争中は2.26発生しない。

西安事件

岡田啓介.png張学良が蒋介石を監禁し中国共産党との即時停戦を呼びかけたそうだ。
岡田啓介.pngあれほど共産党を毛嫌いしていた蒋介石に何があったのかは気になるが、結果として両者は停戦で合意したのだ。
岡田啓介.pngそして、国民党の矛先は共産党から地方勢力へと向けられる。

蒋介石の軍閥討伐

岡田啓介.png国民党はまず広西に、次にユンナン軍閥に宣戦布告した。
岡田啓介.pngその次はチベットと新疆であった。
岡田啓介.pngしかし、ここまではある程度予想していたことであった。
岡田啓介.png南京会談で日本がほかの軍閥と共謀しないと約束したのはこのためであったのであろう。
広田弘毅.png軍閥から同盟参加申請あったけど蹴ったよ。あと独立保障もかけなかった。
広田弘毅.pngもっと言うと独立保障かけちゃうと国民党は攻めてくれない。
岡田啓介.pngこのようにしてある程度日本政府の予想通りに中国の内戦は進んでいた。


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Last-modified: 2014-02-19 (水) 21:25:05 (2093d)