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 オスマントルコの軍勢を、海峡で押しとどめていたギリシャ軍も、背後からブルガリア軍が迫ると瞬く間に壊走した。ムハンマド常勝軍と云う奇怪な軍は、海峡を乗り越えると八面六臂の活躍でアドリアノープルを占領した。

その指揮官が山嵐だと報告を受けると、間を置かずして本人が訪ねてきた。土埃に汚れた顔で、草臥れた軍服に、火薬の臭いを漂わせていた。1年戦場で過ごすとこうなるものかと思った。おれも同じような様な状態だが。

君遅かったじゃないか、と愉快そうに山嵐は云った。機を見ていたんだ、上手くいったろう、とおれは云った。ギリシャの領土は最早ペロポネソス半島と、いくらかの島島しかない。軍も今の戦闘でほとんど失ったはずだ。

山嵐は、約束は守ったぜ、と云った。シルケジ駅は無傷であるとの報告も既に受けている。おれは礼を云い、どうやってこの戦争を閉める腹積もりか尋ねた。ギリシャに反撃の手は無いが、おれ等にもクレタ島に上陸し、とどめを刺す手が無い。

ブルガリアがアテネを占領したからには、ギリシャはブルガリアの望むままに領土を差し出すだろう。先刻もギリシャから希望以上の領土割譲の申し出が来ていた。だがトルコと話しを合わせるまで、受ける気はないので送り返した。

トルコにはどう云った話が来ているのか、俺は聞いたが山嵐は、計画があるから、君はどっしりと構えて待っていたまえ、と云った。ブルガリアの勝利には、先陣を切ったトルコの存在が大きい。山嵐がそう云うのであるなら、それが良いんだろうと了承した。


 補給品のビスケットを茶請にして、コーヒーを山嵐と飲んでいると、戦争が終わったと実感した。正式には終わってないが、ギリシャ軍も抵抗を諦めたのか動く気配はないそうだ。自覚していなかった緊張が解けていくのが分かる。

ローマと云う馬鹿馬鹿しくはあるが、誇りを傷つけられたギリシャ人と、どう交渉しよう。戦後の政務を今からでも考えなければならないが、浮かぶのは妻と子の事ばかりだ。

まだ戦地であるが、腹の子の事が気がかりになった。どうしたものかと、のつそつしていると、おれに伝えに来るなと云ったが、おれが聞く事は禁止していないと思い、聞きに行かせようと弟を呼び出すと、元気な男の子で、母子ともに問題は無いと云った。

どうして知っているのか聞くと、弟は、私は伝える事を禁じていませんので、確か宣戦布告の1週間後に報告を受けました、陛下以外皆知っております、と澄ました顔で云う。するとおれは1年程、ブルガリアでおれだけが自分の息子の事を知らなかったと云うのか。

戦勝の安堵と疲労、跡継ぎの誕生の歓喜と、それを知らなかった口惜しさを、どう表していいか困ってしまう。山嵐はいつものようにアハハハと笑い、後継者が産まれていたとは、めでたいじゃないか、と云った。その笑いは祝ってるように思えない。

おれは今すぐソフィアに帰ろうと立ち上がったが、山嵐と弟に止められた。まだ誕生日まで1月はあり、建国以来の悲願を達成した勝ち戦なんだから、後処理を終えて堂々と帰還すべきだと云われた。山嵐はイスタンブールで土産でも買っていったらどうかと付け加えた。

感情を持て余して、付き人を呼び出すと、近くの街から買えるだけ酒と食い物を買って来いと怒鳴った。全ての兵に通常の規定の10倍の酒を今日に限り支給しろとも云った。もう戦争は終わりだ。物資をため込む必要はない。

慌てて飛び出した付き人を尻目に、君はムスリムだろう、酒以外を楽しんでくれ、と山嵐に云った。奴はまた笑って、オスマントルコは世俗主義改革をしているから、皇帝たるもの陣頭に立って規範を示さねばならん、酒も頂戴しよう、と云った。

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 ギリシャとセルビアの占領地政策に忙殺されていると、オスマントルコがギリシャとの和平条約に調印したと云う報告が届いた。イスタンブールで開かれた講和会議で、トルコはアナトリア西部とイスタンブール周辺以外にも、多額の賠償金とエーゲ諸島を要求した。

この条件を受け入れたギリシャ政府を、国民は恨んだ。相次ぐ敗北で悪化した経済は、賠償金の支払いによって破滅したのだ。臨時首都が置かれたコリントスでは、イスタンブール講和条約に反対する国民集会が連日開かれているらしい。

集会に参加した民衆は、静まらない怒りに我を忘れて、連日暴徒と化した。政府関係施設、御用新聞と目された新聞社、警察署などが焼き討ちされ、銀行と商店は荒らされた。条約に調印した政治家は命の危機を感じて亡命したそうだ。

アテネでの戦闘以来、ギリシャ軍の銃口はブルガリア軍には向けられていない、自国民に向けられている。誇らし気に掲げた、ビザンツの金と赤の旗は焼かれ、破かれ、打ち捨てられ、捨てたはずの、白と青の旗が上がっている。

山嵐がなぜおれに待てと云ったかは、クレタ島がトルコに割譲されたと聞いて理解した。おれはゲオルギウスに対して、政府首脳の身の安全を保障するから、無条件降伏するよう要求した。しかし数日経っても返答がこない。

近づく息子の誕生日に焦っていると、5年前ギリシャ軍が旧東ルメリアに無断で進駐した時の外交官が来て、ギリシャ王はエジプトに逃げたと云った。おれは頭を抱えた。王族たるもの、敵軍が迫ったとしても国に残り、自国に追放される日まで責務を果たすべきだろうに。

おれは外交官に、ブルガリアは誰と交渉すればいいか尋ねた。奴は首相メタクサスが降伏を宣明したと云った。このまま革命が起きても困るので、軍に治安出動を命じた。この外交官に何か云ってやろうかと思ったが、早くソフィアに帰りたかったからやめた。

ビザンツの名を捨てた、ローマでもマケドニアでもないギリシャは、1938年5月19日に降伏した。

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 おれがソフィアへ着くとそのまま凱旋式が執り行われた。出来る事なら、一刻も早く妻の下へ駆け込みたかったが、王としての務めを果たさないで、まだ見ぬ息子に会うことはできない。戦車が先導する行列は、詰めかけた市民があふれる大通りを進む。

長い事なかった慶事に街中が歓声に包まれた。見物する民衆の顔にも、行進する兵士の顔にも、笑顔が浮かぶ。おれは車の上から、国民へ手を振る。ブルガリアを称える声も、おれを称える声も、軍楽隊の勇ましい音楽に合わせて進む軍の威容も、国王の喜びだ。だがおれが望むものはここにない。

パレードを終え、礼服から着替えぬまま、イオアンナや帰ったよと飛び込んだら、あら陛下、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。娘も母親につられて泣き出した。

おれも妻の腕に抱かれた息子を見て、あまり嬉しかったから、もう戦場へは行かない、ソフィアで家族とブルガリアを繁栄させるんだと云った。ブルガリアには黒スカーフも、黒パンも、これ以上はいらない。

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Last-modified: 2019-05-03 (金) 22:38:12 (19d)