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 フリスト・ルコフ参謀総長から軍の報告が来た。ブルガリアの軍拡は順調だと云う。だがそれでも、セルビアを支配したギリシャとの差を覆す事は、到底できそうにないそうだ。よってブルガリア単独での戦争は自殺行為に他ならない。

幸な事は、旧東ルメリを強奪して以降、ギリシャがブルガリアに野心を向けて来ない。ギリシャから戦争を吹っ掛けられることはない。ギリシャの目は、復活を果たして復讐を誓うオスマントルコと、ドデカネス諸島を巡って睨み合うイタリアに向いている。

希土戦争が起きた場合、ギリシャはアナトリアの領土を維持できないが、トルコもイスタンブールまでは進めず、両軍はボスポラス―ダーダネルス間で戦線の膠着に陥る可能性が高いそうだ。

希伊戦争が起きた場合は、海空軍はイタリアが圧倒しているが、緩衝国であるユーゴスラビアを失い、陸続きになったので、アフリカ植民地に兵を取られるイタリアが不利のようだ。

イタリアとトルコが挟み撃ちをすれば、ギリシャは呆気無く敗北するだろうが、イタリアとトルコの間に、その様な動きは無いと云う。

ブルガリア軍がとるべき方針は、ギリシャがイタリアかトルコと戦争状態になり、ギリシャ・セルビア軍が前線に送られ、国境が手薄となってから、攻め込むことだ。できるなら、まずはセルビアを強襲して降伏させ、半包囲状態を解消させる。

どちらにしても、ヴァルダル川を下り、エーゲ海沿岸に進駐して、ギリシャ本国を他の領土と分断する。その後は防衛に努め、ギリシャから譲歩を引き出す、と云う計画を説明された。

高慢ちきなギリシャも、他国との戦争中に、国を分断されれば交渉の席に着くしかない。ギリシャのブルガリア人を解放できるだろう。おれは卑怯な作戦だとはっきり断言する。

だがそれは、ギリシャとの経済力と軍事力の差を、3年で埋められなかったおれが悪い。他国との戦争中に横っ腹を殴ったとしても、アテネまで進むのは難しいと誰もが思っている。国民の流血を減らせるならそれに越したことはない。

旧東ルメリで、先日暴動が起きたと聞いた。ギリシャ人は国内のブルガリア人に、ギリシャ語を強制させ、公職から追放し、居住地を規制している。おれが求めたブルガリア人の権利は踏み躙られたのだ。

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 ルコフは作戦の成功を確実なものとするために、機甲師団が必要であるから、師団が完成する1938年までは戦端を開くべきではない、と云った。首相のニコラ・ムシャノフもルーマニアとの外交懸念から政府も早期開戦を避けるべきであると云う。

日ソ戦争から始まり、ユーゴスラビア分割、ドイツのラインラント進駐、オスマントルコのクルジスタン・アルメニア併合と国際連盟を無視する動きが続き、各国への影響力を失っている。今更ブルガリアの戦争を咎める国はいない。

特に横暴を極めているギリシャが相手であるならば、ほとんどの国はブルガリアの行動を黙認するだろう。だが、ルーマニアだけは、今もギリシャとの友好関係を続けている。

ギリシャに立ち向かう意気地がないのか、おこぼれを貰おうとしてるのか、欧州大戦の頃から認識が変わらないのか、あのゲオルギウスの妹である王妃に引け目があるのか、時勢の読めない大違いの勘五郎なのか。

理由はどうでもいいが、この状態を放置して開戦すれば、ルーマニアは独立保障を正義として、背後から刺してくるだろう。ブルガリアにギリシャと戦いながら、ルーマニアに備える余裕なんて物はない。

ムシャノフは今からでもルーマニアと親交を重ねるべきだと云う、コミンテルンの影響力が強い東欧では、王制の維持に国民の支持は不可欠であるからだ。20世紀にもなれば、専制君主であっても世論を無視して政治はできん。

だが、国民感情は一朝一夕で変わる物ではない。おれもブルガリア国民の親露感情に配慮している。たとえ今のロシアが、おれの代父であった皇帝を弑逆した国家であってもだ。国家としての貿易禁止は連盟の要請であり、企業等の取引にまで目を光らせるつもりはない。

それとおれはどうにも、あのカロルと云う王が信用ならない。奴は国民の人気を王制のためではなく、王位の維持のために使っているようだ。国王の地位を守るために、兄弟姉妹の追放に熱心だと聞く。そういう奴は手近な利益に目が眩んで、未来も正義も見えなくなる。

おれと奴は新興国の王同士で、その国で生を受けた初めての王同士でもある。政党間の争いを利用して国王親政を成し遂げたのも同じ。さらに親戚でもあるのだから腹立たしい。何で奴のような王が統治を続けられるのか。

ルーマニアと親交を深めても、王があんな奴だから、簡単なもので裏切りそうだ。友好を深めるよりも、酔わせてでも、脅しでも、買収でもいいから、不可侵条約を調印させて公表すれば、自分の権威に傷が付く事を恐れて案外守るのではないか。

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 それから三月ばかりして、ある日の午後、山嵐が憤然とやって来て、いよいよ時機が来た、おれはギリシャとの戦争を断行するつもりだと云うから、なぜ今かと聞くと、アンカラに駐留するギリシャ軍が理由だと云った。

セーヴル条約に基づいた期限を越え居座り、横柄な態度でトルコ国民と摩擦を生じさせているが、問題を起こすのはギリシャ人士官ばかりで、駐留軍の兵士であるトルコ人も、国民と同じく、不満を覚えているのだと云う。

先日も問題を起こしたギリシャ人仕官が罪に問われず、トルコ人の怒りは頂点に達しているから、今開戦すれば、アンカラ駐留軍のトルコ人兵士が反乱を起こし、帝国に味方するだろうと山嵐は考えたそうだ。博打じみた事だが、他にも用意を終えた上で、時機が来たとしたんだろう。

山嵐はおれに手を組まないかと云ったが断った。山嵐がおれの顔を見てちょっと稲光をさした。おれは返電として、人指し指でべっかんこうをして見せた。山嵐は二三秒の間毒気を抜かれた体で、ぼんやりしていたが、正気に返ってなぜかと云った。

そうかそれじゃおれもやろうと、即座に一味徒党に加盟しようにも、今のブルガリアは戦うことがまだできないのだ。後で必ず助太刀をする、と云うと、それならば仕方あるまい、君はゆるりと来たまえ、と云って帰った。物資をいくらか贈ってやった。

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 第三次希土戦争は、軍の予想通りに膠着した。ルーマニアと不可侵条約を結び、あとは機甲師団の完成を待つのみとなった。しかし1937年6月9日、イタリアの輸送船コスタ・コンコルディア号拿捕から始まった、イタリアとギリシャの騒動は戦争へと進んでいった。

おれは直ちに政府要人を集め、緊急会議を開いた。ギリシャとの戦争を今すぐ始めるのか、見送るのか。国民は降って湧いたブルガリア人開放の好機に気焔を上げた。新聞は連日開戦論で埋め尽くされ、及び腰の首脳部を糾弾した。

会議は即開戦すべしと云う者、セルビア・クロアチア国境の動きを見てから決めるべしと云う者、当初の予定通り計画完了まで待つべしと云う者で紛糾した。おれは全員の意見を聞きたあとで、速やかな開戦を決定した。

何より避けなければならないのは、在外ブルガリア人の土地が、イタリアとトルコに占領される様を、指をくわえて眺める事だ。ギリシャが敗北し両国に支配されては介入の機を失い、その地は永久にブルガリアに戻ってくることは無いだろう。

急な開戦のために誰もが目まぐるしく動いた。おれも弟も王族としての責務を果たすため、将校として戦地へ向かう。欧州の大戦に連絡将校として参加して以来だ。

支度を終えて部屋で一息つくと、妻が娘を連れ、大きく膨れた腹を抱えて訪ねてきた。もう何時産まれてもおかしくはないから、安静にしていろ、とおれは云った。二人はじっとしてただおれを見ていた。

妻ジョヴァンナ・ディ・サヴォイアは気の毒な女だ。イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の3番目の娘として生を受けた。上の姉は王と縁が深いサヴォワ貴族に嫁ぎ、下の姉はドイツのヘッセン=カッセル家次期当主と結婚している。

妻も幼い時から王族の女として、サヴォイア家の繁栄を支えると云う自身の使命を自覚していただろう。だが相手は東欧の小国の王だ。ブルガリアはイタリアと友好関係にあるが、一度としてイタリアに利益を与えたことは無い。

だが妻は母親がスラブ系であったことから、ブルガリア国民に歓迎された。アッシジでカトリックの儀礼に則った婚礼を挙げたのに、ソフィアで正教式の2度目の婚礼を挙げた。名前にはブルガリア語読みのイオアンナを使っている。おれは救われる思いだった。

おれは継母エレオノーレを想い出す。おれが5歳の時、母親が死んだ。おやじが9年後に再婚したのが彼女だった。おやじは年年、男色に傾倒していた。おれと弟がいたから、子もこれ以上は要らなかったんだろう。おやじは継母に愛も関心もなかった。ブルガリア王妃と云う存在だけをを求めた。

継母はおれを非常に可愛がってくれた。ブルガリア国民も愛してくれた。3度の戦争に看護婦として献身的に働いて、それが祟って戦争の終わりを見ることなく病で亡くなった。継母の最期の願いはソフィアの教会に埋葬されることだった。

おれは弟をソフィアの防衛指揮に置くから、おれが死ぬような事になったら弟に任せろ、と妻に云った。腹の子が息子なら、弟は摂政として支えるだろう。娘なら、王位を継いで妻と子の世話をするだろう。

娘を抱き上げその目を見る。カトリック教徒になる約束を破り、正教徒として洗礼を受けた。まだ母親が死んだ時のおれの歳に届いていない。娘を下ろして部屋を出る。付き人に、戦地にいる間は子の事は一切伝えに来るな、とおれは云った。

大ブルガリアを成し遂げなければならない。王制こそが一番重要な国民的資産足り得るのは、民族と云うアイデンティティーを、国民が感じるための一番重要な要素だからだ。そして、王は歴史継承の柱なのだ。

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Last-modified: 2019-05-02 (木) 07:03:11 (107d)