革命


「我が国にジョークなど必要ない。なぜなら、我が国の存在自体がジョークだからだ」


彼らが獲得するものは世界である

第一次世界大戦は、ロシアの運命を大きく変えた。
大戦中の1917年に起きた二度の革命によって歴史あるロマノフ王朝は倒れ、代わって成立した臨時政府もまた崩壊し、ボリシェヴィキが権力を握った。
その後の内戦(革命に対する干渉戦争)に勝利した後、ロシアを始めとする諸共和国は世界初の社会主義国家、ソビエト社会主義共和国連邦の樹立を宣言した。

革命の指導者レーニンが死亡した後の権力闘争には、スターリンが一時的に勝利した。
しかし、彼の専横に危機感を抱いたジノヴィエフやカーメネフらは、それまでの態度を翻してトロツキーと同盟。
彼らはスターリンの追放に成功し、その後のトロイカ体制を経て、トロツキーが新たなソ連最高指導者の地位についた。*1

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トロツキーは社会民主主義勢力と共産党が協力してファシストに対抗する「人民戦線戦術」を提唱。
また、1936年には、「スターリニズムに毒された」第三インターナショナルに代わる新たな国際共産主義組織、第四インターナショナルを創設し、各国の左派政権に加盟を呼びかけた。

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この呼びかけに最初に応じたのが、左派諸政党の連合政権が成立していたフランスだった。

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当時のフランスにとって最大の脅威は、前年3月に再軍備宣言を行ったナチスドイツである。
その為、フランスは同様にドイツを脅威と見るソ連に接近し、1935年5月に相互援助条約を締結、翌年に批准発効している。

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その一方で、前大戦以来協調が続いていた英仏関係は不調であった。
英仏伊による対独提携「ストレーザ戦線」は、イギリスがドイツとの間に独自に――仏伊の反対を無視して――海軍協定を結んだ為に崩壊。
さらに、ラインラント進駐に対する軍事制裁についても、イギリスが消極的かつ冷淡な対応を取った事で断念を余儀なくされていた。

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こうした経緯から英仏関係は瓦解し、フランスは対独提携の相手をイギリスからソ連へと切り替えたのだった。

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自国の安全保障という点において、中華ソビエト共和国は、あるいはフランスよりもさらに切実な危機感から第四インターナショナルへの参加を表明した。

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国民党軍の圧迫から逃れるべく、拠点としていた江西省瑞金から陝西省延安へ「長征」と呼ばれる大逃避行を成功させた中国共産党であったが、
その過程で多くの兵士が死亡・脱落し、また、国民党軍の追撃も激しく、当時の中華ソビエト共和国は壊滅寸前の状態にあった。
張学良や楊虎城といった共産党と国民党の連帯(国共合作)を唱える者も国民党軍内部に存在したが、
そうした者達の活動が実を結ぶまで中国共産党軍が持ちこたえるのは、難しく思われた。

こうした背景から、中国共産党の指導者である毛沢東はソビエト連邦の支援を要請。
第四インターナショナルに参加する事でソ連の後援を獲得し、それを以て中国国民党との戦いをおさめようと考えたのだった。

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そして、フランスと中華ソビエトに続いて第四インターナショナルに参加したのが日本、すなわち、日本民主主義人民共和国である。*2

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無産の民よ決起せよ

日本民主主義人民共和国(Democratic People's Republic of Japan / DPRJ)が成立したのは、1936年2月の事である。

それ以前の日本を支配していた大日本帝国政府は、国家予算の半分近くを軍事費に投じる一方、農村の貧困を放置し、
さらに、財閥と癒着した政治家は公然と資本家を優遇するなど政治腐敗が進み、人民は根深い政治不信を抱くようになっていた。*3

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こうした状況を憂えた磯部浅一、村中孝次ら青年将校は、農地改革、華族制度廃止、財閥の解体と国有化、私有財産制限などの主張を掲げ、革命を志した。
彼らはあえて右翼的な「昭和維新」という単語を用いる事で官憲の目を欺き、周到に準備を整えた後、1936年2月26日、ついに決起した。

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この「二・二六革命」(または日本革命、日本二月革命)は一時鎮圧されかけるが、革命の混乱に乗じて宮本顕治ら共産党幹部が出獄。
宮本らは唯一獄外にいた幹部、袴田里見(前年の検挙を辛くも逃れていた)*4と協力して、武力闘争を開始する。
日本共産党は翌27日には旧体制を打倒して革命政権を樹立する事に成功し、新政府は日本民主主義人民共和国の成立を宣言した。

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新政府の国家元首、他国の大統領に相当する人民会議幹部会議長には、革命後に帰国した野坂参三が就任したが、この役職は名誉職に過ぎず、実権は革命を主導した宮本顕治(首相に相当する閣僚会議議長に就任)が握った。

天皇制については異論なく廃止が決まったが、皇族の処遇――生かすべきか殺すべきか――については意見が分かれた。
革命の成功に酔う一部党員からは「人民広場(以前の宮城前広場)で公開処刑を行う」との過激な意見も出されたが、党幹部は慎重な姿勢を崩さなかった。
皇室尊崇の念を抱いていたから、ではもちろんない。
彼らが天皇処刑に否定的であったのは、それが革命政権の勝利宣言であると同時に、国粋主義勢力にとっての「殉教者」を作り上げる行為でもあるからだった。
原始キリスト教の例を挙げるまでもなく「殉教者」を得た集団が実に始末が悪いものだという事は自明であるから、党が処刑に躊躇するのも当然だった。

最終的に「死んだ天皇は生きている天皇よりも扱いに困る」との意見が通り、天皇を含む皇族は助命され、政治犯として収監される。
後の話となるが、収監中に「再教育」を受けた裕仁らは、共産主義思想への転向が認められ、一市民として釈放される事となる。

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旧帝国軍の将官は、身分保障を条件に革命政府に忠誠を誓った。
大日本帝国軍は日本赤軍となり、帝国陸海軍はそれぞれ人民陸軍、人民海軍となった。
また、陸海軍の航空戦力を統合し、人民空軍が組織された。

近衛師団は二・二六革命における貢献から、首相警護師団として再編成される栄誉を受けた。
連合艦隊は赤衛艦隊と名を変えたほか、一部艦艇も「社会主義国の艦艇に相応しい」艦名に変更された。

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こうした革命の「成果」を、その先駆けとなった青年将校は見る事は叶わなかった。彼らは革命の最中に命を落としていた。
しかし、天皇を頂点とする封建体制の打倒という大義に殉じた彼らは、「革命英雄」としてその名を永く記憶される事となる。

第二次満州事変

革命勢力に敗れた保守反動勢力は日本本土から脱出し、外地での立て直しを図ったが、
朝鮮・台湾・南洋諸島の人民が革命政権を支持した事でその思惑は頓挫し、彼らは唯一「反革命」を掲げた満州へと逃げ込む事となった。
これに対し、宮本首相は「革命完遂の為に満州に巣くう反動勢力を粉砕せよ」と発言。
人民陸軍参謀総長・林銑十郎大将*5は政府からの命令に従い、朝鮮および華北に展開していた部隊に満州への進撃、いわゆる「越境指令」を下した。

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満州へと殺到するかつての帝国軍に対し、満州=日本反動勢力は何ら有効な手立てを打てなかった。
あまりにも戦力が違いすぎた。何しろ、関東軍さえ革命政権側についている。
満州国の首都、新京は程なく陥落し、奉天(瀋陽)、哈爾浜も日本赤軍の手に落ちた。

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それでもなお反動勢力は馬賊を駆り立て、ゲリラ戦を展開して抵抗したが、
日本の第四インターナショナル加盟によってその同盟国となったソ連およびモンゴル軍による後背からの一撃で遂に崩壊した。*6

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日本民主主義人民共和国政府は、この反動勢力の壊滅を以て二・二六革命の完遂を宣言。
旧満州国領は、中華ソビエト共和国およびモンゴル人民共和国へ、日中蒙友好の証として贈呈された。

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爾後国民政府を対手とせず

満州(中国東北部)での戦いを終えた日本軍は、直ちに本土へと帰還し、休養・戦力補充・再編成を行った後、中国大陸へと向かった。
中国における唯一の正統政府である中華ソビエト共和国からの救援要請に従い、第四インターナショナル加盟国による中国国共内戦への介入が決定されたからである。

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諸軍閥を束ねて「反共統一戦線」を称する国民党側(ただし、広西軍閥とは紛争状態にあった)に対し、インターナショナル――事実上のソ仏日3カ国連合は、全方位から攻勢をかけた。
すなわち、ソ連はモンゴルおよび満州を経由して北方から、フランスは植民地インドシナを拠点として南方から、そして日本は東シナ海沿岸部への渡洋侵攻、である。

8月23日、「人民」「民主」「独立」「自由」合計4隻の戦艦*7による支援の下、東久邇稔彦人民陸軍大将率いる第1軍が上海への上陸作戦を開始し、27日に上陸に成功する。

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上海を占領した日本軍は速やかに戦果を拡大し、9月5日には国民党が首都とする南京を攻略。
南京城には日章旗と共に中華ソビエトの赤旗が翻った。*8

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無論、制海権は完全に共産陣営の手にあった。
中国国民党に対して日本だけでも海軍戦力で圧倒しており、さらにはソ連太平洋艦隊、フランス・インドシナ艦隊も中国近海で活動している。
また、日本の旧式巡洋艦「出雲」「平戸」など合計6隻*9の供与を受けた中華ソビエト共和国艦隊も、中国沿岸の警備活動に参加している。

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南京攻略後、日本軍は北上を開始する。
延安・満州・東シナ海沿岸と各地に分散する中華ソビエト領の接続を目指すと共に、ソ連軍と協力して黄河以北の中国国民党・軍閥連合軍を包囲する事が目的であった。

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それぞれの戦争、それぞれの平和

急速に拡大する共産圏に対し、周囲の資本主義国家――イギリスやアメリカ合衆国は当然面白からぬ思いを抱いていたが、彼らが直接的な行動に出る事はなかった。
その理由はいくつかあるが、第一に、彼らが共産陣営の団結を実情よりも強固なものだと見誤っていた点にある。

トロツキーによる第四インターナショナルの提唱後、すぐさま日中仏といった諸国が参加を表明し、それらの国が協同で戦争を遂行している事実は、
インターナショナル陣営を「左派政権諸国の寄せ集め」ではなく、「ソ連を盟主とする強固な同盟」であるように、英米に見せていた。
実情は前者と言って良いものだったが、ともかく英米はソ仏日中連合を1つの巨大な勢力圏として認識し、恐れていた。

また、英米は日中ソにはないもの――選挙を意識せねばならなかった。
有権者は平和を望んでおり、中国のような遠く離れた国が戦火に見舞われていても、同情こそすれ、自国がそこに飛び込んでいく事は全く望んでいなかった。
ヨーロッパ諸国の耳目を集めていたスペイン内乱に仏ソが直接介入し、共産陣営の一員としての統一スペインが成立してなお、彼らは意見を変えなかった。

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アメリカ合衆国では、中国の銀を買い支える「ピットマン法」が成立するなど、時のフランクリン・ルーズベルト政権は中国国民党を支持し、共産圏の拡大に神経を尖らせていたが、
11月に行われた大統領選挙では「アメリカの青少年をいかなる外国の戦争にも送り込む事はない」と公約し、国内の孤立主義者の支持を集め、再選を果たした。
当時のアメリカ合衆国は未だ大恐慌の影響から抜け出し切れておらず、合衆国国民にとっては海の向こうの戦争よりも今日と明日の生活こそが重大事だった。

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このほか、ドイツやイタリアが自らのイデオロギーとは相いれない共産主義の蔓延に強い危機感を抱いていたが、目立った行動はとれなかった。
第二次エチオピア戦争、スペイン内乱への介入などで経済に大きく負担をかけているイタリアは、中国問題に関わる余裕などなく、
ドイツとしても、共産陣営との対立の先鋭化は仏ソを同時に敵に回す事、すなわち前大戦の焼き直しを意味するから、慎重にならざるを得なかった。
結局、ドイツに取りうる方策は、フォン・ファルケンハウゼン将軍ら軍事顧問団の派遣継続など、中独合作を細々と続ける事だけだった。

英米独伊といった非共産陣営の大国が手をこまねいている間にも共産主義諸国は中国での戦争を優位に進め続け、1936年12月には黄河以北をほぼ制圧。
山西軍閥の軍主力を包囲下に置き、中華ソビエト共和国の支配地域を一続きにする事にも成功した。

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日本の共産革命から数えて約10カ月、第四インターナショナル成立からは半年足らず。
その僅かな期間で、極東の勢力図は塗り替えられつつあった。

 

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*1 トロツキーが権力を獲得する経緯は本AARでの設定。
*2 「第四インターナショナルの提唱」イベントはソ連と同盟する効果があるが、うまく動作せず発生してもソ連と同盟を結べない場合がある(原因は不明)。今回のプレイでは、イベントが正しく動作するまで何度かリロードを繰り返した。
*3 文化枠の国策を「個人主義的起業文化」に変更。なお、左派独裁政権になった後もこの国策が引き続き使用する。
*4 史実では1935年に逮捕され、日本共産党中央委員会は完全に壊滅する事となった。
*5 政体と登場年の設定から、左派独裁日本の陸軍総司令官は林銑十郎、または宇垣一成のどちらかとなる。交代要員はいない。
*6 ソ連との同盟イベント発生まで、満州国を併合せずに戦時状態を維持した。
*7 それぞれ「長門」「陸奥」「扶桑」「山城」をリネーム。
*8 南京を攻略した後、占領地を中華ソビエト共和国に譲渡した。
*9 それぞれ中国艦艇らしい名前に変更。

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Last-modified: 2016-08-07 (日) 19:25:56 (625d)