オランダ海上帝国
オランダ海上帝国/1936年 全体主義の胎動

日本

 第一次大戦時には、大戦景気による好況に沸いた日本だが、終戦時にはヨーロッパ経済の立ち直りとともに深刻な不況に陥った。
 この不況のさなか、関東大震災*1による被害や金融恐慌*2を受け、世界恐慌の波を受けた。
 この後、満州事変*3を起こし満州国を建国したが、国際連盟で満州国が認められなかったため、国際連盟(1933年))を脱退した。
 この後、五・一五事件*4や二・二六事件*5などを契機として軍部の政治的発言権が強まった。
 
 1937年7月7日*6に、日中の国境線付近で夜間演習を行っていた日本軍に対し中国領内から銃声があり、応戦した日本軍との間で紛争が発生した。この国境紛争は、大規模な戦争となり、盧溝橋近辺で起きた事件のため、盧溝橋事件と呼ばれる。

盧溝橋.jpg

 なお、銃撃があったのか、銃撃した人物は誰なのか、真実は今でも闇の中である。


スペイン内戦終了

年末戦況.jpg

 スペイン内戦は、開始から1年以内に終結した。
 ドイツの支援を抜きに、自力で戦い抜いたスペインは、この後の世界大戦では中立を保つことに成功した。
 また、内戦が短期で終わり、コンドル師団の都市爆撃もなかったため、今後スペインは順調に成長・・・

フランコ.png いやっほう。自力で勝利したぜ!!

ムッソリーニ.png ちょちょっと、イタリアは、手伝ったよ

フランコ.png しらんな

ムッソリーニ.png そ、そんな・・・・

スターリン.png もちろん、優しいスターリン叔父さんも手伝ったぞ

ムッソリーニ.png お前と一緒にすんな!!おい、フランコ、うそだろ??

フランコ.png ( ゚д゚)、ペッ シランナ

ムッソリーニ.png 。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン

 ところで、モロッコに居たフランコ軍は、海の向こうのイベリア半島に動のようにして渡ったのだろうか?
 ジブラルタルなら、泳いで渡ることも可能なのだろうか・・・・・

オランダ

NSB

 世界恐慌と、その後の英仏のブロック経済政策により、不況に陥ったオランダは、アメリカのニューディール政策を模倣した工場立地政策や経済制裁を受けていたイタリアへの輸出などを行っていたが、経済は芳しくなかった。。
 しかし、弱い経済は政治を弱くするという格言どおり、国内政権は不安定だった。
 隣国ドイツでナチスの勢力が増大し、ドイツの国力が増大するとともに、周辺国でも親ナチスの勢力が台頭してきた。一番有名な勢力は、オーストリアであり、翌1938年に親ナチス政権が成立してドイツ併合の道を選ぶこととなる。
 オランダでも・・・・
ムッサート.png おっと、ここからは、NSB党首の俺様が説明しよう。
ムッサート.png 俺様は、NSB党首のアントン・ムッサート様だ。今年の選挙で4議席を取得し、議席の約1割を占めることになった。
ムッサート.png 俺様の公約は、議会の閉鎖だ。ナチスドイツと同じように強力な指導者の下、オランダの黄金時代を迎えるのだ。

暴走政治家.jpg

コレイン.png 議員が議会の閉鎖はないでしょ。王権強化は賛成ですけどね。
ムッサート.png 王権じゃねーよ。強力な指導者。つまり、俺様の出番だと言うことだ。
コレイン.png (∩゚д゚)アーアーきこえなーい
ムッサート.png ガ━━━(゚Д゚;)━( ゚Д)━(  ゚)━(   )━(゚;  )━(Д゚; )━(゚Д゚;)━━━ン!!!!!

メモ

 年初のスライダーは独裁に+1
 オランダ本土への工場建設を続行
 暴走政治家で独裁に+2

オランダ海上帝国/1938年 オランダ連合入り
オランダ海上帝国


*1 1923年
*2 1927年 蔵相の失言から起きた銀行の取り付け騒ぎで休業に陥る銀行もあった
*3 1931年
*4 1932年 海軍青年将校が首相官邸などを襲撃し、犬養首相らを殺害した事件
*5 1936年 今回は鎮圧しました
*6 ゲーム上は、10日ごとに50%の確立で起こるイベントのために1937年6月11日に起きました

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Last-modified: 2011-06-01 (水) 21:20:23 (3007d)