さらば、さらば故郷の娘よ

the Darkst Hour

復興したロンドン

KRチャーチル.png私が帰還したその街は、かつての栄光も伝統も消えうせた、灰色の煙だけ市内に漂う抜け殻であった。……ロンドン。国王が亡命し、逃げ遅れた伯爵の類がみな殺されたこの国は、ロシアから丁重に返還された「はず」のものである
KRチャーチル.pngしかし我らがエドワード八世は元愛人・いまは妃を侍らせてこう言った
エドワード8世.pngドラキュラの国に戻るよりも、余はここに新しいハリウッドを築きたい
KRチャーチル.pngと。パーティに参加したものはみな、笑った。笑っていないのは私くらいだ。影のものとして英国に尽くしてきたヴァン・ヘルシングの家が気の毒でならなかった
KRチャーチル.pngだから私はロンドンに残り、私がかつて「私の軍隊」と呼んだロシアの兵士たちにじっくり監視を受けながら、彼等に紅茶の作り方、フィッシュアンドチップスの美味い食べ方を教えてやろうと思っている
KRチャーチル.pngあの戦争の顛末を語らいながら、ゆっくりと

イリヤー・ムーロメツ…またの名を「蒼ざめた馬」

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ペトログラード臨時軍事総督区

ピョートル・ヴラーンゲリ.png……皆、揃ったかな?
マルコフ.png……
ドロズドフスキー.png……
カッペリ.png……
アンネンコフ.png……

ピョートル・ヴラーンゲリ.pngよろしい。では始めよう

ヴラーンゲリは、イギリス全土の地図を示し、沿岸部に集中する戦力を随時指摘しながら、いかなる手段でこれを突破しロンドンのカリスト政権を叩くか、意見を求めた。
戦争はもう終わりに差し掛かり、次の対立へ向かおうとしていた。日本はブリタニアと組み、インドとは好意的な中立を結んで、ロシア包囲網形成に動き出したのである。

ピョートル・ヴラーンゲリ.png彼らに対抗するには、ヨーロッパ全土を確保し、残った資源や農作物をロシアの手で管理する体制を整えねばならん。そしてそれには、ロンドンまで行き、ブロンシュテインを殺さねばならないのだ

ヴラーンゲリに食いついたのはアンネンコフだった。彼はサヴィンコフから辞表を目の前で切り裂かれ、酒浸りになりながらも軍務を続けている。

アンネンコフ.pngけどねぇ、旦那ぁ。無理があるでしょぉ。ロシアの海軍は陸空軍に比べて、大した戦力など持っておりゃしないじゃないですかぁ

マルコフは首を横に振った。

マルコフ.pngいや、それが絶対必要なのだ。なぜならば、イギリスを支配することは北大西洋を防波堤にする事と一緒だ。ブリタニアは旧米国の政治制度を再建しながら重工業を移転させ、特に造船では目覚ましい成果を遂げている
マルコフ.pngそれにあのヤギ頭。何を考えておるかわからん。スペインでは化け物が人間を喰らい、仲間にしてマドリッドを席巻しようと試みていた。あれがイスカリオテの残党によってもろとも消し飛ばされなければ何が起きていたか……
ドロズドフスキー.png生かしておけば、また次の謀略に付き合わなければならないという訳ですね
カッペリ.png冗談ではない!

カッペリがいきなり机を叩いて立ち上がった。これまでのうっ憤を露わにして、地図を指しながら怒鳴りに怒鳴った。

カッペリ.png奴は正真正銘の悪魔だ! 悪魔に比べれば怪物など稚児に等しい。ましてその「化け物」とやらも、頭部を切開され正気を保っているかすら怪しい黒髪の少女ではあるまいか?
カッペリ.png奴を生かせば第二、第三のウリヤノフが出てくるだろう、この美しいヨーロッパに!

カッペリはそこまで言った後、急に席に座り込み、頭を抱えながら声を絞り出した。

アンネンコフ.png俺たちの壊したヨーロッパに、か?

アンネンコフは皮肉な笑みを漏らした。しかしその瞳は潤んでいた。俗悪の軍団長が英雄的な戦士にこれ以上ない共感を抱いていたのである。
皆、戦争に飽きていた。戦争とは国益の追及であって、青書生の求める理論を一から十まで全うするか、弾圧するかのゼロサムゲームでは無いはずだったのに。
自分たちの古さを自覚しながらそれでも彼らは、おそらく自分たちが最後に戦うであろう大戦争の幕を下ろそうと必死になっていた……アントーン・ツルクルとアレクサンドル・デーレンタールが一緒に来たのは、その時だ。

ツルクル.pngデーレンタール.png失礼いたします

二人は一様に書類を、分厚いのを持ち運んでいた。ヴラーンゲリが立ち上がって二人から資料を貰うと、集まった将星たちに次々とこれを配り、驚く面々に淡々と告げた。

ピョートル・ヴラーンゲリ.png原子爆弾が完成した

ドロズドフスキーは腰を宙に浮かし、

ドロズドフスキー.png実用化されたのですか?

と、青い声で言った。「そうだ」と短く答えたヴラーンゲリは、書類を横の退けて、ロンドンとドーバーに×印をつけながら、

ピョートル・ヴラーンゲリ.png次の作戦ではロンドンとドーバーに、原爆を投下する

こう言った。アンネンコフは上半身を揺らしながら被りを振って、収まる事のない笑いに身を震わしている。

カッペリ.pngどうしてもやるのか?
マルコフ.pngやらねばならんだろうさ。ロシアの兵士が大勢死ぬ事より、陽の沈まぬ帝国の都だったロンドンを、廃墟にしてしまう方が効率良い

カッペリが凄まじい目つきでマルコフを睨んだが、何も言わなかった。誰しも、これ以上の犠牲が反戦デモやストライキ、そして四度目の革命につながる事を知り抜いていた。

デーレンタール.png総督は貴方がたに対し、いかなる軍事的行動についても無制限の裁量権を与えると仰せです
ツルクル.pngトロツキーの居場所も知れています。化け物の母親がどの地下牢に潜っているか……
マルコフ.png情報源は?
ツルクル.png偽名ですがね。中々上位クラスにいるようで、トロツキーの策謀もここから徐々に漏れていったんですよ

ツルクルが白い歯を見せて柔和に笑うと、アルファベットで情報源の名前を書いた。

「ジョージ・オーウェル」

将星たちの腹は決まった。

ドロズドフスキー.pngすべて全能なる神の思し召しのままに、我々はアルビオンの断崖まで血に染めて戦争を終わらせなければなりますまい

そうでもしなければあの島国を絞りつくすまで、トロツキーは戦うのを止めないだろうと、誰もが確信していた。

ロンドン 地下

今やトロツキーの顔は、亡霊のそれであった。

トロツキー.png革命の都・パリは劫火に崩れ落ちた。ローマにはイスカリオテが、マドリッドにはカルリスタが、デトロイトには落ちぶれたはずのウィンザー朝がある……

トロツキーは閉口した。彼がいま居るのも、ロンドンからエディンバラまでつながる地下大本営である。
エリック・ブレアらの部隊が本土決戦の折、「革命の前衛たるため、世界の面前で名誉ある死を遂げる」ために作った絶望の要塞であった。
最もここをトロツキーは好んでいて、兵士たちは口をそろえて「トロツキーが地獄と交信している……レーニンの助言を仰ぐために」と、散々陰口をたたいているのだった。
トロツキーは地下に設けられた自室に籠り、呆然とペンを握ったまま原稿の散らばった机を見つめている。

ライリー.pngブロンシュテインの様子はどうだ

シドニー・ライリーは、そんなトロツキーの様子を伺いに本国へ戻ってきた。作戦が失敗に終わったので、モズレーに報告を終え直行してきた。

オーウェル.png良くないな。そっちはどうだ
ライリー.png「積荷」をオタワまで運ぶ用意をしてきた。ブロンシュテインの足掻きさ、資本主義国家の内紛を煽るための最後の抵抗……が、その前には兵隊を揃えねば

エリック・ブレアは、ライリーも見ずうつろに答えた。

オーウェル.png兵力は十分に補充できる。何せ、あの化け物と血液を交換した処女童貞の奴等を中国からも集めて来たんだ。エリートの吸血鬼部隊は我が方でかき集めて、本土決戦の際にはあらゆる手段でロシア軍に対抗させるつもりだ
ライリー.pngあのガキも物好きだな。不利になればなるほど、トロツキーに従順になっている。フランスが落ちた頃には夜も眠れなかったんだ。奴が本気で刃向かって来れば
オーウェル.png俺の部隊じゃ到底追いつかん

ライリーとブレアは、肩を竦め合った。その間を赤い目をした、牙を持つ少女が通り過ぎていく。震える手で小銃を持つのに精いっぱいで、ライリーとブレアに気付かなかったのだ。

オーウェル.png007
ライリー.png何だ
オーウェル.pngどうしてお前は戦っている? 何故、お前は赤くなったブリテンに戻って来たんだ

笑い顔を取り繕うライリーに、ブレアは終始まじめな顔で尋ねて来た。観念したライリーはなお口端を吊り上げながら、

ライリー.png自由だ

と切り出す。

ライリー.png皇帝がいないロシアの八月を、フロッグコートも無く好きな女と歩いてみたかった。ボリショイには目もくれず白樺の森を散策して、鳥と囀りながら女と木陰でキスをする
オーウェル.pngははは……
ライリー.png本当だぞ? 俺は、自由で民主的な、統一されたロシアで生きたかった。だから、セルゲイ大公を殺したサヴィンコフと手を組めば無敵に思えた。奴なら民主主義を実現してくれると……だが違った。奴も皇帝と同じだった

ブレアは笑うのを止めた。ライリーも諧謔的な笑いを終え、口を一文字に噤んだ。伝令が駆け込んで来る。
彼は13才くらいの年齢で、軍事教練もまともに受けていなかったが、童貞であることを理由に精鋭部隊に配属され鼻高々だった。

ライリー.png

その彼が言うには、ロシアの巨大な爆撃機がジェット戦闘機と共にロンドンと、ドーバー上空へ迫っているらしい。都市への爆撃なら、なす術はあった。しかし今回は、爆撃機2機と最新鋭戦闘機数十である。

オーウェル.pngどういう意図なんだ、連中は……
ライリー.png良くない兆候なのは、確かだ

言って、ライリーはトロツキーがいる執務室の扉をノックした。トロツキーの反応は芳しくなかったが、ライリーは勝手に入り込む。

ライリー.png同志
トロツキー.png何だ

ライリーは机の上に目を落とした後、トロツキーの顔を見ながら問うた。

ライリー.png何を書いておらっしゃるので?
トロツキー.png「伝記」だ。革命とその顛末と、新しい共産主義に向けた私の遺言だ

トロツキーは笑った。目には隈が出来ているのに、少年のような輝きを失っていないのがライリーにとっては異常に思えた。

ライリー.png同志は恐れを知らないのですか
トロツキー.pngレーニンでさえ銃弾に倒れた。ジュガシヴィリでさえ、死ぬときは自ら電流付きの鉄条網に突っ込んでいった。私の同志はみな勇敢であったし、誰も彼も死を恐れたことは無い
ライリー.pngですが、死よりも恐ろしい事態が起きるやもしれません

ライリーは進み出て、トロツキーに報告書を渡した。
ヤギ頭のトロツキーは頭を掻きながら、一都市を灰に出来るイリヤー・ムーロメツ巨大爆撃機が、BI-1と呼ばれるジェット戦闘機を伴いロンドン上空へ達しようとしているとの報告を見た。

トロツキー.pngホットラインにつなげ
ライリー.png地下城塞にですか
トロツキー.pngそれから、サヴィンコフのクレムリンだ

トロツキーは立ちあがった。それから懐にあった拳銃を握り直し、銀の銃弾を込めながら自分のこめかみに銃口を向け、引き鉄をぎりぎりのところまで絞った。

トロツキー.pngあの男と話がしたい

クレムリン 執務室

親方サヴィンコフ.png……

サヴィンコフは、電話がロンドンにつながるのを待っていた。あそこにはトロツキーが居て、彼はクレムリン占有のホットラインを知っている。
この電話からかければ、必ず出るはずだった。

エマ婦人.png総督

エマ・デーレンタールが、サヴィンコフの部屋に入ってきた。永らくサヴィンコフがいすに座っていたためか、見かねてロシアンティーを持ってきたらしい。
サヴィンコフはそれにキイチゴのジャムを入れて、熱いにもかかわらずカップに口をつけた。

親方サヴィンコフ.png何だ
エマ婦人.png政治局から連絡があったわ。行方不明だったユスポフ公爵と……アンナのこと
親方サヴィンコフ.pngアナスタシア・ロマノヴァでは無く?

サヴィンコフはカップを返し、机に散らばる資料を全てひとまとめにした。一方エマは資料のうち一つを斜め読みした。
ブリテン島のロンドンやリバプールが原子核のマークで塗りつぶされ、そこから赤いものがブリテン中に散らばっている……。

エマ婦人.png(私の懸念が正しければ)

ボリス・ヴィクトロヴィチ・サヴィンコフは「インドラの矢」を手に入れ、それを使おうとしているということになる。
かつて専制君主や独裁者を倒そうと命を賭したこの男は、今やそれ以上の力を以て世界に自ら望む姿を強いようとしている。
あらゆる革命を志した人間の末路がこれならば、彼等の人生には何の意義があったのだろう。
エマがサヴィンコフに憐憫を抱く中、遂にロンドンとの回線がつながった。

トロツキー.png……久しぶりだな。ベー・ヴェー
親方サヴィンコフ.pngキャメロットの様子はどうかな、レフ・ダヴィドヴィチ。アーサー王にお目にかかったかね

トロツキーは鼻で笑った後、

トロツキー.pngこれから私は忙しい身なのだ。何せ、戦後ヨーロッパの統治計画も練っていてね……無論クレムリン等と言った代物は存在しないし、冬宮殿も存在しない理想のヨーロッパについてだが

とまで言った。サヴィンコフも負けてはいない。

親方サヴィンコフ.png驚いたな。風の噂では君は悪魔と手を結び、天国を革命すべく進軍中と聞いた。ほら、欧州全土であれが有ったろう……カニバリズムと、墓漁りが

トロツキーに比べ、サヴィンコフの声には張りがあると、エマは断定した。そうでなければ、右手でペンを弄ぶ余裕の態度を示しようがない。
彼はトロツキーの哄笑を微笑みながら聞き、ついでにブリテン統治計画の文書にサインまでしている。

親方サヴィンコフ.png私がウラジーミル・イリイチと論戦した時のことは話したか?
トロツキー.pngレーニンからは、「時代遅れのロマンチシズム」と聞いた。エリートが革命を導くというのは貴族主義で、ボナパルティックだと
親方サヴィンコフ.png彼ならそう言ったかもしれんな。だが実際はどうだ? 今ロシアは、実に豊かだ。モスクワもペトログラードも、ツァリーツィンもカザニもサマーラも、オムスクもイルクーツクも、ウラジオストックも
親方サヴィンコフ.png全てヨーロッパの都市に勝るとも劣らない繁栄を手にしている。一方きみはどうだね。モズレーや得体の知れない化け物を従えいい気になっていたのは君らしいが、他に誰が革命家としている?
親方サヴィンコフ.pngジャック・リードは、ずいぶん前に鬼籍に入った。マフノは砲弾の前に散った。テールマンは今ごろ、シベリアかガス室だろう。理想とした革命と世界労働者共和国の夢はどこに行った?

トロツキーはわずかなよどみも無しに、サヴィンコフへと即答した。

トロツキー.png「私」だ。「私こそ」が革命だ。そのためなら王侯の血でも怪物の残りかすでも絞り尽くして、罰を私が享け人民には永遠の豊かさを、平等を、愛や正義を、生まれ得た喜びを授けよう
トロツキー.png貴様はわずか四半世紀の勝利で有頂天になったのかも知れんが、歴史の法廷は平等に捌きを下す。我ら死すとも赤旗を掲げ、社会を進歩させようと試みる人間は必ず現れる……君たちの掲げる歪んだ、まがい物の革命は永続し得ない

サヴィンコフは、エマに対し笑いかけた。彼女は彼の瞳に一瞬だけ、憧憬の光が宿っているのを見た。

親方サヴィンコフ.png「つるこけももの汁」だ

トロツキーが一瞬戸惑ったのを見るや、サヴィンコフは本題を切り出し、文字通りの決着をつけにかかった。

親方サヴィンコフ.png誰が誰を蹴落とそうと関係ない。かつて皇帝とその後継者たちは、ステンカ・ラージンを八つ裂きにし、デカブリストの夫婦をシベリアに送り、我ら戦闘団の仲間をギロチンにかけ、狂人にして精神病院に幽閉した
親方サヴィンコフ.pngその一方で、我々は皇帝に恥じ入らないで良いほど高潔だったか? ケレンスキーは、皇帝をシベリアに追いやり自ら皇帝を気取った写真をサロン仲間に送り付けた。諸君は諸君でロマノフ一族を殺した時
親方サヴィンコフ.png私は彼等の遺体のそばに硫酸入りのバケツがあったのを見た。酸で遺体を溶かし、十字架も無く土に埋めるのが革命家のすることなら、私は喜んで社会主義と決別しよう。これまで信じたあらゆる正義とも……それに、もう時間切れだ

トロツキーがあれこれ勝ち誇ったり、怒鳴り散らしたりしている間、サヴィンコフは腕時計をちらっと見て、それからトロツキーに聞いた。

親方サヴィンコフ.png今、そっちは何時だ?
トロツキー.pngは?
親方サヴィンコフ.png何時だと聞いている。時差があるからな
トロツキー.png……午前0時だ
親方サヴィンコフ.png今から贈り物が届く

サヴィンコフがそう言って、更に言葉を続けようとした時、突然キィンと高音が鳴り響いた。エマが耳を塞ぎ、サヴィンコフすら受話器から耳を遠ざけた。
後には何も聞こえず、ただ無音ばかりが執務室を支配した。

親方サヴィンコフ.png……電話はつないでおけ。警告するはずだったのに!

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We'll meet again.

対英軍事作戦臨時大本営「グロン」

マルコフ.png…………
ピョートル・ヴラーンゲリ.png……

アーヘンの廃墟に創設された、稲妻を意味する大本営は沈黙の中にあった。
幕僚の頂点に居るマルコフ、ヴラーンゲリが瞑目しているので、誰も新型爆弾のロンドン投下に対する議論が出来ていなかった。
だが、それを咎める者は存在しない。ロシア全軍の将兵が命を賭して戦い、大陸を制してもなお惨めな抵抗を続けるボルシェビキの悪魔どもに、慈悲を与えることこそ、あってはならないのである。

NRPR戦闘団員.png閣下。ロンドン上空から続報です。イリヤー・ムーロメツIIから……
名無し司令官.pngしーっ
ピョートル・ヴラーンゲリ.pngいや。もう良い

ヴラーンゲリが、間の悪い伝令を前に沈黙を破った。いつまでも黙とうを捧げていては戦争を終わらせることなど出来ないのだ。マルコフも同意するように、伝令に状況を尋ねた。

マルコフ.pngそれで、成果は
NRPR戦闘団員.png素晴らしい成果です! ダウニング街上空で炸裂したツァーリ・ボンバは、イギリス政治中枢を蒸発させ、時計塔を半壊させました
NRPR戦闘団員.pngトラファルガー広場の記念碑などは、彼のウェルズリーやブリュッヒャー、ボナパルトの後を……

マルコフは吐き気をこらえていた。報告される情報はどれもこれも、あの博物館が炎上中だ、ロンドン橋が燃えている、「人民宮殿」が更地になっただの、ロクでも無い報告ばかりだ。
イギリス軍司令部の崩壊やモズレー、トロツキーの失踪等は、たいした問題では無かった。
彼等が地下に築いた脆弱な要塞が、ロンドンの古めかしい建造物によって復讐をなされたとて、これから行われる絶望的な本土決戦を前に、何の慰めにもならないのだ。

名無し司令官.pngしかし、油断はならんな。この報告だと、肝心のスコットランド・ハイランダーズの情報が入っていない。あれは、革命の際に英王室を追い出す決定打になった連中だ
名無し司令官.png政治中枢の蒸発とは。講和を一体どうする? ボルシェビキの細胞を全て抹殺するまでイギリス奥地まで攻め入るのか?
名無し司令官.png問題ない。ノルマン人は北欧のみでブリテンを征した。我々は? ヨーロッパにアフリカ、アジアまで勢力を広めている。アカに屈したドン百姓など一ひねりだ
ピョートル・ヴラーンゲリ.png戦争では無い

ヴラーンゲリ鶴の一声によって、幕僚たちは静けさを取り戻した。

ピョートル・ヴラーンゲリ.png戦争では無いのだ。諸君。ツァーリ・ボンバがトロツキーの肉体を抹消したとて、彼を支持する連中はまだ生き残っているかもしれない
ピョートル・ヴラーンゲリ.pngいわんやイギリスの市民は? ロンドンを石器時代に戻した我々を許すだろうか? 諸君らが逆の立場であれば、たとえ五体不満足になっても敵に降伏するだろうか?
ピョートル・ヴラーンゲリ.pngこれは、既に戦争では無くなってしまった……そのことを念頭に。諸君には次の策を講じてもらいたい。いかに戦争を早期終結させ、全ヨーロッパに汎人種的な兄弟愛をもたらすか

マルコフは、ヴラーンゲリに全てを委ねた。彼が最終兵器としてのボンバを作っていたのを知っていても、この言葉に虚偽は無いように思われた。
全ての人々が希求するこの戦争の終わりをトロツキーは望まなかった。それでも先の爆弾は人類史に深い影を投げかけるに違いない。
だからこそ現在の戦争を終わらせ、次の、次の次の戦争を抑止する最良、あるいは次善の方策を練らなければならなかった。

デーレンタール.pngあぁ。湿っぽいところ良いかね?

デーレンタールが訪いに来たのはその時だ。彼は額から、こめかみから、首筋から凄まじい量の汗をどっと流していた。マルコフもヴラーンゲリも、その他幕僚も一斉に目を見張った。
この男が焦燥に駆られているのを初めて見た……とはいえ間もなく、彼等もデーレンタールと同じ焦燥に駆られ、静かな大本営の中は鼎をひっくり返したような騒ぎとなるのだった。

ドーバー

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アンネンコフ.pngハハハ! 見ろよこの空を。爆弾が一個落っこちただけでこうだ

ボリス・アンネンコフは、カッペルを総大将とする対英上陸軍の先駆けを務めていた。彼等が沿岸要塞の一を陥落させた直後、市街地の方角が真っ白な光に包まれ、やがてどす黒いキノコ雲に覆われていったことから、噂の新型爆弾が落ちたのだとまことしやかに囁かれた。
噂通り、彼と彼の部隊は真っ先に黒い雨を浴びることとなった。

NRPR戦闘団員.pngお頭!
アンネンコフ.png何だ!
NRPR戦闘団員.png雨です! 黒い雨が降ってまぁす!

アンネンコフは、ふと軍帽から垂れた粘性の強い液体に触れ、舐めてみた。それは天から降ってくる雨で、しかも色は黒かった。

NRPR戦闘団員.pngお頭!
アンネンコフ.png今度はいったい何だ!

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NRPR戦闘団員.png旗が……俺たちの旗が泣いております!

頭蓋の黒い眼窩から、雫が旗の下へと流れていく様を、コサックは「泣いている」と表現した。アンネンコフは口を大きく開けて笑い、黒いキノコ雲を見やりながら嘯いた。

アンネンコフ.png見ろよこの雲を! この雲の下、草原の馬やコサックの槍が速さを保ち、その輝きのままに駆け巡ることが出来ようか!
アンネンコフ.png戦争はボタン一つで、益荒男が百人を馘るよりも多くの人間を殺せるようになった。偉大な時代だ!
アンネンコフ.pngコサックの男は勲を得る機会を失い、女子供は旧い草原に縛り付けられ、時代遅れの刺繍をやせ衰えるまでせねばならなくなる
アンネンコフ.pngさもなくばコサックの掟を捨て、都会を流れるどぶ川を啜って生きるほかない!

アンネンコフは涙を流した。多くの人間を殺したこの男は、いまキノコ雲を前に一時代の終わりを悟り、原野を駆けた騎馬や、戦士たちの放歌高吟の終わりを予期していた。

アンネンコフ.pngだが進もう。たとえ終わるにしてもケジメをつける。男の宿命だ。山羊の頭を持つ悪魔を討ち、その首を晒し、我々が地獄に叩き込んだジュガシヴィリ、ブハーリン、カーメネフ、ジノヴィエフに挨拶させてやろうじゃないか

コサックたちは叫ばず、アンネンコフが手に取った勝利ジンをラッパ飲みすると同時に、銘々が古き良き時代に最後の献杯を捧げた。

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「ツァーリ・ボンバ」は英国に衝撃を与えた。一度目はトロツキーら首脳部の消息を不明にし、二度目は光と雨を一身に浴びたワーカーズ・ネイビーを、新バルチック艦隊の待つ海上におびき出した。
ワーカーズ・ネイビーは核による直接的な損害と、爾後判明した放射性による人員の消耗によって新バルチック艦隊に敗北し、主力空母の大半を喪失。
英国周辺の制海権がロシアに奪われた後、残存していた英国赤軍は成人の男女をかき集め、鉄の蹄ですべてを踏み荒らすアンネンコフ兵団を迎撃。

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だが、黒男爵ヴラーンゲリ率いる精鋭部隊が続けて上陸したこと。アンネンコフ兵団が前進しながら英本土を焦土化していったことで、たまらなくなった英国赤軍は潰走していった……後に残ったのは廃墟と、死体の山。
死体の山は埋葬も焼却もされず、ただ腐敗に任せることとなった。アンネンコフはイギリスという国の歴史を伝説の代から抹殺するつもりらしかった。

グラストンベリー修道院はたちまち略奪に晒され、アーサー王と思しき人骨はコサック達に運ばれていった。また、ローマ帝国に反旗を翻したブーティカ像には執拗な砲撃が加えられた。
反ローマの伝説を言い伝える村々を焼き、女子供をさらっていった。カルタゴに塩を撒くが如く、ローマ式の敬礼を行うコサック達は容赦ない殺りくと略奪で英国を洗礼していった。

伝説上や古代の人物さえこのような目に遭遇するなら、現代に近い英雄はもっとひどい目に遭った。聖ジョージ教会は略奪と破壊の憂き目に遭い、ヘンリー八世の遺体は目ぼしいものを奪われた挙句、遺灰を川流しされた。
原爆によって半分以上損壊したカンタベリー大聖堂は、ヴラーンゲリ男爵の麾下・シャチーロフ将軍が軽率に発した命令によって爆破され、そこに野営地が築かれた。

エドワード黒太子にとって幸福なのは、諸王とは違い略奪されなかったことだろう。運悪く居場所の知れた歴代の王、女王の眠る教会や墓は暴かれ、宝物は奪われていった。
大臣たちの残った遺産は全てコサックの手に落ち、価値の無いものはペトログラード行きの貨物船から直に放棄された。
アーサー王の遺骨を巡って争いも起き、激怒したアンネンコフの命令により、首謀者はみな船の下に吊るされ、その死体を鳥や魚によって啄まれることとなる。

英国の歴史は一刻一刻、経つごとに滅びようとしていた。何故ならロシア人ばかりでなく、英国人すら眼前の敵を屠るため禁忌に手を出した……鉄鎖につながれた怪物の治癒力を会得する、地獄の兵団が前進を始めた。

風が吹くとき

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カッペリ.png(人間とは)

ウラジーミル・カッペリは、大英帝国の落陽を眺めていた。彼が望むのは、テムズ川の岸辺。午前0時を指しているにもかかわらず時計塔の鐘は鳴らない。
彼の望む場所からはロンドン橋が見えたはずだが、それも無い。あるのは中腹のぽっかりと欠けた橋の端だけだ。
ロンドンの火祭りは続いていた。何もかもが焼け落ちた。トラファルガー広場は更地だった。ロンドン大火に耐え続けたウェストミンスター寺院もついに、カッペリの前で崩れ落ちた。
創業は数百年に及んだのに、崩壊は一夜。ツァーリ・ボンバの一撃によって全て終わった。
大英帝国は赤旗によって死に、その忌み子であるイギリス連合もまた、革命戦争の中で生まれた劫火に包まれていった。

カッペリ.png(人生は空しく、人が築き上げた帝国も、また虚しい)

けれどもは彼は、しばらくそこを離れる気が無かった。自分が第一に仕えた皇帝ニコライ二世は、ボルシェビキの思慮なき行為で昇天した。
レーニンもまた死に、遺灰は彼の故郷シンビルスクに撒かれた。他の有力な革命家たちもみな死んで、残ったのはファシストを称するサヴィンコフだけだった。
カッペリが駆けた時代にあっては、皇帝も王も、書記長も大統領も等しく権力のイスから叩き出された。残ったのは総帥と、将軍。そして、王冠を戴いたプレイボーイだけである。
「戦争は悪だ」空疎だが、その中にこそ真実があった。この光景を目の当たりにし、三食を骸の山の隣で味わってきた人間だけが、身に沁みてそれを知っている。

カッペリ.png(のちの世にこの酸鼻を伝え、戦争を死滅させるために戦うのだ)

さもなくば、五十年後にはこの劫火がロシアに降り注ぐかもしれない。そしてその時、今度はペテルブルクが、モスクワが同じ目に晒されよう……。
カッペリが意を決した後、マルコフ附の副官から文書を受け取った。前線に出て欲しいとのことだ。何があったのかは知らないが、今さらアンネンコフが後れを取る敵など現れまい。
廃墟や死体の山を見て来たカッペリには、ギャランホルンが響いてラグナレクを招いたことを知る由も無かった。

アンネンコフ兵団本営

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カッペリが月を背に悲嘆を吟じる頃、アンネンコフは後退に次ぐ後退を指揮していた。
彼とその近親たちは、敗北の最中にあるにもかかわらずむき出しの笑顔で、膾切りにされた動く死体を切りつけては大笑いしていた。

アンネンコフ.pngなんだこの畜生どもは!
NRPR戦闘団員.png例の生ける屍でさぁ! デーレンタールの糞が抜かしていた化け物どもですよぉ!

近親たちで無傷のものはいなかった。彼等がスコットランドに向かって地獄の凱歌をあげ進んでいた時、北から暴風のような軍隊が襲ってきた。
彼等はこぞって腐臭を放ち、血肉を啜り、何やら分からぬ世迷いごとを呟きながら、黒ずくめの軍団に襲い掛かって来たのである。

アンネンコフ.pngハハハ! 俺たちこそふさわしいと見て、地獄からここまで這いつくばって来たなぁ!
NRPR戦闘団員.png最後の戦いだ、これくらい楽しくなきゃな!

近親がシャーシュカを屍の胸に突き刺すと、屍は仰向けに倒れ込んだまま起き上がらなくなった。このまま死んでも良いのだが、それでは後方に禍が及ぼう。
アンネンコフにしては随分な良識を発揮して、ひとまず南方沿岸部への退却を開始した。
カッペリにこれを報せねば軍の敗退がもたらされ、燦燦たる威明を誇るロシア軍の歴史に汚点を残しかねなかった。

イギリス人民軍臨時大本営

オーウェル.png……くそ

エリック・ブレアは、惨憺たるロンドン地下大本営を抜け出して、反攻起点に全てのものをかき集めた後、アンネンコフ兵団にカウンターを仕掛け敗走させていた。
ライリーがどこにいるかは分からない。トロツキーに関しては、絶望的だった。彼が見たとき、その私室は崩れ落ち、炎がゆらめいていた。

一般士官.png同志ブレア

襤褸をまとった士官が、着席しているブレアに敬礼する。報告は次の通りだった。アンネンコフ兵団は後退を開始しつつ、住宅の残骸や遺体や可燃性のものを焼却。
進軍する吸血部隊は遠距離からの砲撃、または爆撃によって徐々に統率力を失いつつある……これが全てだった。

オーウェル.png(あのガキの血を与えれば、無敵の軍隊が出来るんじゃなかったのか?)

ブレアは、厳重に保管された2メートル以上のカプセルを一瞥しながら、トロツキーに呪詛を吐いた。
彼があの、中世ルーマニアの王を名乗る日本人形のような少女を捕らえた時は正気かとすら考えていた。トロツキーはその強い色欲で知られていたが、とうとう子供にも手を出したと。
しかし現実は全く違った。今やダウニング街の下に埋まるモズレーの私兵集団を虐殺し、トロツキーがどこかから仕入れた聖遺物とやらで鎮圧したと、誰もが称賛する有様だ。

オーウェル.png(そこまで賭したのに、結果がこれではな)

ブレアの乾いた瞳は、イギリスを地図に向いていた。文化遺産は悉く凌辱され、その頭上に鉄槌を振り下ろされていた。
道端には子供の遺体。焼かれていく無数の人間たち。どこにもはためく黒と白の髑髏の旗。昔のジョン・ブルが見たならこれを黙示録とでも形容したに違いない。

オーウェル.pngまだ時間はかかるかね?
一般士官.png感嘆符にはまだ早いかと

士官が答えると、ブレアはふんと鼻を鳴らした。どうせ吸血鬼とやらも大したことは無かったし、ここで退いて長期戦に移るのもありだろう。

オーウェル.pngもう、イギリスには何も残っちゃいないのだからな

ブレアがこう零した時、彼は確かに軍靴の整然たる響きを聞いた。何事かと肌が粟立ち、思わず腰を浮かせた。この音楽は何度も聞いた。
ウラルスクでチャパーエフを倒し、ウラジーミルでトロツキーを遂に破り、ありとあらゆるロシアの敵を粉砕してきた無敵の連隊だ。
アンネンコフの兵士たちなど決して及ぶまい領域の、精強さと敬虔さを持ち合わせた八端十字の軍。

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オーウェル.pngカッペーレフスチ


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黙示録と呼ぶにふさわしい戦いは、それからも続いた。

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カッペルが手ずから率いる軍団は、食事にかまけて隊伍を乱した吸血鬼に容赦ない逆撃を加えた。

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カッペルの精鋭たちは常に全軍の先頭に立って、吸血鬼ならびに訓練もまともに受けていない人民の兵隊を粉砕し、ときに懐柔した。

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ウェールズの首都で行われた絶望的な決戦は、カッペルが呼び掛けた降伏によって赤軍の内輪もめで幕を閉じた。
彼がウェールズに対し「これまでの体制を容認する」と告知した時は、全員が赤旗を捨て、かつての赤竜の旗を掲げてカッペル連隊を歓迎したほどだった。

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赤軍は、カッペルが脆い防衛線を突破して後方に浸透すると、いよいよすべてを犠牲にしてロシア軍と戦うことになった。
アラン・チューリング大佐率いるオクスフォード方面軍は、ほとんど徒手空拳で、科学者たちが作った精度の疑わしい化学薬品を投擲する無謀に挑んだ。
ロシア将校に大やけどを負わせるだけの任務に碩学の命を浪費しなければならなかった。どの数式でも解明できない、しかし全てを圧倒する死に絶望したチューリングは、研究室に踏み入ったロシア軍兵士ごと壮絶な爆死を遂げている。

「魔法の秘薬にリンゴを浸けよう、永遠なる眠りがしみこむように」

オクスフォード大学が焼け落ちた時、現場にいた指揮官ドロズドフスキーは十字を切って神に祈った。
この戦争が地表から人間文明を全て焼き尽くすことの無いよう、またこれ等の愚行がのちの人類に禍根を残さぬよう祈った。

ドロズドフスキー.png(もしそうでなければ、一体どうして天上界の皇帝や、皇太子殿下に拝謁仕ることが出来ようか)

しかし戦闘は続いた。ロシアの軍勢は、彼等の銃弾に斃れたロマン・ウンゲルン・フォン・シュテルンベルクの言う「地の果て、海の果て」まで突き進もうとしていた。

クレムリン執務室

親方サヴィンコフ.pngもしもし? ノヴァゼムリヤの軍研究所につないでほしいんだが

サヴィンコフは、既にふくよかになり始めた下腹部に苛立ちを覚えつつ、トロツキーとモズレーの国に止めを刺す最終兵器を動員しようとしていた。
「親方」のサヴィンコフとはいえ、ノヴァゼムリヤの研究所にいつでもつなぐことは難しかった。動員する兵器は息をしていたし、環境の刺激に弱い。ドイツ軍の中にいたこともあって忠誠心すら疑わしかった。
だからサヴィンコフは、これを運用する陸軍少将が例のものを手なずけているのを待って、連絡をしなければならなかった。

親方サヴィンコフ.pngフォン・マンシュテイン?

陸軍少将は、偉く長いノイズの中で返事した。

マンシュテイン.pngダー。ヴォーシチ?
親方サヴィンコフ.png収容所からそっちに移動した気分はどうだ

フォンの名がつく男は、何か物を投げつけながらサヴィンコフに答えた。

マンシュテイン.pngこのクソガキ! 誰のおかげで飯が食えると……あー、総督。すいませんね、このじゃじゃ馬、電話線に細工をしたんだ
親方サヴィンコフ.png難題ばかり押し付けてすまんな。南ロシア軍ではコミッサールを狩っていたのに
マンシュテイン.png任務は変わりませんよ。1930年代は靴屋のグルジア人*1が電流の走る有刺鉄線に突っ込んだ。1940年代はユダヤの金満家*2や歴史家もどき*3のケツに手を突っ込んで、青酸カリが無いかどうかを確認したものだ

そこまで言ったマンシュテインが大笑いした。子供の声がすると、マンシュテインは銃弾を放ち、サヴィンコフに謝ることとなった。

親方サヴィンコフ.png(ワン・アームド・デビルか、よく言ったものだ)
親方サヴィンコフ.png子供にはもう言ってあるのかね。ロンドンの亡霊退治だ、説得をしてもらわなきゃ困るんだが
マンシュテイン.png亡霊? ……何だお前、急に殊勝になって。あぁ、スパシーバ、ヴォーシチ。このガキ急に黙りましたよ
親方サヴィンコフ.pngろくすっぽ説明もしていないのか……

サヴィンコフは舌打ちしたが、それはマンシュテインに聞こえない様子だった。

マンシュテイン.png説明せずとも、これからロンドンまで行って化け物退治です。こいつも知った上で志願しているんですからね……全く理解できんな

マンシュテインはため息を吐いた。向こう側から少年の声が響いたが、マンシュテインは無視して話を続けた。

マンシュテイン.pngで、こいつはいつ出立させれば?
親方サヴィンコフ.pngすぐだ。今夜中にもロンドンについてもらう。包囲したが、化け物の入った棺まであの廃墟に来たそうだ
マンシュテイン.pngそりゃいい! 厄介払いが出来る

それから、マンシュテインの短い悲鳴が聞こえた。「ひっかきやがった」と叫んでいる。サヴィンコフは箪笥から胃薬を取り出し、ロシアンティーでそれを呷った。
途中からアレンサンドル・デーレンタール、エマ・デーレンタールの二人が来て、険しい様子で揃って敬礼するので、

親方サヴィンコフ.pngかけたまえ

と応対した。

エマ婦人.png総督……

エマの声には女の色香があった。デーレンタールもこれと言って反応を示さない。むしろ彼は、自分の婦人であるエマに対して、積極的にサヴィンコフへとコンタクトを取らせていた。
彼がここに居るのは、エマが報告する際に外交状況の説明も行うためである。

エマ婦人.pngロンドンで動きがありました
デーレンタール.png政治局も動いております。人身御供をイギリスに譲ったアジア人どもに説明を要求している

サヴィンコフが書類に目を通す。予想していた悪夢が実現した。ロンドンは早晩地獄と化し、圧倒的優位の戦局が碁盤の目のようにひっくり返るかも知れない。
黒電話からまた声が聞こえて来た。今度は、マンシュテインが意気揚々たる調子で話しかけてくる。

マンシュテイン.pngヴォーシチ! いよいよ出陣ですか
親方サヴィンコフ.png無論そうだが、君は鼻の利く男だな
マンシュテイン.pngこのガキですよ。急に大人しくなった

ハハハ、マンシュテインの笑う声が聞こえて来た。サヴィンコフは額に手を当て、この男と話していると必ず来る頭痛に耐えた。

マンシュテイン.pngあの狼男もガードとして送りましょう。こいつはあれが来ると借りて来た猫のようになる。意味がお分かりですか?

マンシュテインはまたしても笑った。……マルコフもヴラーンゲリも、もう年だ。ドロズドフスキーも六十五になる。
カッペリすらあと何年持つか分からない以上、後継者がロシア軍で枢要を占める。

親方サヴィンコフ.png(そうなれば、俺はこいつを三軍の重鎮に置く訳だ)

サヴィンコフは呻いた。彼の心情も知らずに、マンシュテインは舌なめずりしながら筆を認めている。


*1 スターリン
*2 テレシチェンコ
*3 ミリュコーフ

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Last-modified: 2019-07-15 (月) 21:26:44 (2d)