KRフランス・コミューン シーシュポスの神話

不条理な論証

 
真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。
自殺ということだ。
人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えるということなのである。

−アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』より、抜粋−
 
 

クレムリン宮殿にて

 
 
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かつ、かつ、かつ……。
 
クレムリン宮殿の伽藍のうちを、私は歩いていた。
 
宮殿内は閑散としていて、人の気配がしない。
 
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ロシアは寒いね。
 
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……
 
私のロシア行きに辺り、サルトルが幾人か護衛をつけてくれた。
恐らく、タンギュイの郷土防衛軍上がりであろう彼等は、私がにこやかに笑いながら話しかけても、うんともすんとも言わない。
 
端的に言えば面白みに欠ける、が軍人にとってユーモアは必須要件ではないのであろう。
 
まぁ、そもそもを言えばサルトル自身も大概、ユーモアに欠ける人間ではある……。
 
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ふふふっ
 
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……どうか、されましたか?
 
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いや? 何でもないよ。すまないね……
それよりも。
この会談が終わったら、ロシア料理でも食べないかね?
豪勢に、フルコースと洒落込もう。
心配は要らない。私の奢りでいい
 
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いえ。
贅沢を覚えては、軍務に差し支えますから。
 
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そうかい。
 
クレムリン宮殿南棟一階。
ここにある部屋は全て、かつては皇帝一家の私室であった。
皇帝一家の食事の間、皇后謁見の間、皇后執務室、皇后の居間、寝室、皇帝の執務室。
そして、皇帝の謁見の間。
これら七つの部屋が一直線上に並んでいる。
私が向かうのは、皇帝の謁見の間である。
 
 

文学者『B・ロープシン』

 
 
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お初にお目にかかります。
フランス・コミューンで作家、ついでに政治家をやっております。
アルベール・カミュと申します。
お見知り置きを。
 
玉座に座るその男は、私を睥睨し、言った。
 
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アルベール・カミュ。
フランス・コミューンの中でもっとも自由主義的な無政府主義者の集団の中にあって、1936年から1941年の選挙が行われるまでの間、統合情報委員会の長となる。
 
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良くご存知で。
 
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君が在任していた頃のフランスは、とても監視しやすかった。
その内部まで、手に取るように理解出来たよ。
今はそうでもないがね。
 
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民衆に取ってそうであるか?
政治家に取ってそうであるか?
私には検討もつきませんが、少なくとも、私という人間にとり、自由とは何物にも代えがたいもののように思えるのです。
 
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同意しかねるな。
 
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ええ、無論。同意して貰えるとは思っておりませんよ。
サヴィンコフ閣下……いえ、文学者B・ロープシン。
 
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ふふ。
ふはははははははははは!!!
君はその名前で私を呼ぶのか!!
久しくその名を耳にしていなかったので、驚いたよ……!
 
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ええ、私とあなたを結ぶ線は、恐らくそこにのみあるでしょうからね。
 
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勘違いをするなよ小僧。
貴様は文学者のついでで政治家をやっているのやもしれんが、私は政治家のついでで文字を書いていたに過ぎない。
貴様と私との間に、結びつく線など、ない。
 
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そのようですね、閣下。
しかし……私は確かに、文学者のついでで政治をやっている。
ですが、不必要に手を抜いたことは、ただの一度もありはしません。
 
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ほう!
 
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例えば、そう。
貴方の生み出したこの『ロシア』なる砂上の楼閣の、悲しい内実について、私はよく理解しています。
 
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……言ってみるがいい。
 
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幾度ともしれぬ政治的混乱の末に辿り着いたこの境地は、確かに今一定の均衡をもって成り立っているように思われる。
現に、我々が攻め立てた先には、あなた方ロシアの影響下にある国家がいくつか存在する。
 
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しかし、ロシア帝国の栄光も今は昔。
その実態と言えば、国力と比較してもあまりに貧弱な陸軍。
二流の空軍。
そして、存在していないに等しい海軍……
正直に言いましょう。
私は、そして我々フランス・コミューンは、あなたのロシアに、降伏を勧告しに来たのです。
欧州から手を引きなさい。
そうすれば我々は、あなた方と戦う必要もなくなる。
 
謁見の間に、沈黙が横たわった。
少ししてから、酷く疲れ果てた人間がその場で立ち上がるような調子でもって、砂の城の主たるボリス・サヴィンコフは口を開いた。
 
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君は、人生における最大の問題について、考察したことがあるか?
 
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ええ、何度か。
 
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私はその答えを知っている。
人生における最大の問題とはつまり、生きるか死ぬか、ということだ。
 
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『生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ』
偉大なるシェイクスピアの、ハムレットの一節ですね。
 
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そうだ。
そして人間とは、最後には絶対にという結末を迎えることとなる。
 
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ですが、どのような辱めを受けようと、例え泥水を啜ろうとも、人は生きることが出来るはずです。
 
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ただ必死に生きてきた人間に……そう。見窄らしい、如何にも価値のないような生の只中に居続けた人間には最後、誇りだけが残る。
そして、最後に残ったそれを守るために、人は死ぬのだ。
 
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……それは、国家指導者として許されるのですか。
あなた個人が自由にそれをなす、ということは出来ないのですか?
 
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例え私がこの玉座を降り、恭しく礼をして諸君らに許しを請おうとすれば、民衆は私と諸君らとを殺そうと立ち上がるであろう。
いいかね、文学者アルベール・カミュ。
国家と歴史に命じられて生きる人間というのが、この世には存在するのだよ。
 
 

同日、北米の都市シカゴにて

 
 
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久しいな。ヘミングウェイ。
 
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あの会談から既に五年たった。
我々はアメリカ革命戦争において勝利し、今こうして諸君らと同盟を組もうとしている。
 
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素晴らしいことじゃないか。
革命の運命的勝利に万歳、だ。
 
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革命の運命的勝利、か。
確かにそうだ。
我々は勝利した。
しかし、その後に残されたのは、ただ何もない、だだっ広いだけの荒野のみだ。
内戦の爪痕はそこかしこに残されたままでいる。
いや、寧ろ爪痕ばかりが目に映る。
果たしてこれは、我々の勝利だと言えるのか……?
 
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確かに、アメリカは荒廃しただろう。
だがそれは我々もかつて通ってきた道だ。
アメリカ合衆国がかつて巨大な資本主義国家であったのと同様に、諸君らが偉大にして精強なる革命国家として『廃墟からの復活』をなす日は近いであろうよ。
 
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そうだな。
そう言い続けなければならない。
 
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そうだ。
我々が何をどう言っても、行動がなければ世界は動かない。
『実存は本質に先立つ』のだ。
 
 

対独和平交渉

 
 
政治家達が世界を闊歩する中、情勢は動き続ける。
まず、ドイツ本土全てを占領したインターナショナルは、欧州の国境線の引き直しを図った。
複数の案がある。
 

第一案

 
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ソレリアン達に支持されるこの案は、ドイツをバイエルン・プロイセン・ライン・北ドイツ連邦の四つに分割するというものである。
しかし、あまりに過激なこの案は諸派の反対に逢い、即座に頓挫する。
 

第二案

 
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ジャコバン達に支持されるこの案は、ドイツをバイエルン・北ドイツ連邦、そしてプロイセンの三つに分割し、ザールラント等をフランス領とするものである。
この案は、伝統的にカトリックであるバイエルンと、プロイセンを除いた北ドイツ諸地域を統合する北ドイツ連邦、そしてプロイセンの三つに分割するもので、かつてのドイツ帝国の勢力を大幅に削ぎ落としながらも、ドイツ内におけるプロイセンの優越を認める形とするものである。
しかし、ご覧になれば分かる通り、ソレリアンの四分割案との明確な違いが見出し難い上に、ドイツ側に大幅な領土割譲を求めるこの案は、第一案程の反発はなかったものの、採用されることもなかった。
 

第三案

 
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トラヴァイユール達に支持されるこの案は、フランスが長く願望として持ち続けていたザールラントの割譲を強要しながらも、その他の地域についてはドイツ連合として独立を許可するというものであった。
領土割譲の要求は戦勝国として当然の権利であると考えていたフランス・コミューンの政治家達に取ってみれば、もっとも穏当な案であるかのように思われた。
しかしここで意外な反対者が現れる。
アナーキスト達である。
彼等は今やBGT内部において確固たる地位を築き上げており、議決時における票数の差でもってこの案を抑え、彼等が主張する第四案の採用を迫った。
 

第四案

アナーキスト達に支持されるこの案は、ソレリアン・ジャコバンは勿論、トラヴァイユール達にとっても寝耳に水と言うべき案であった。
それはつまり、領土要求をアルザス・ロレーヌの割譲のみに抑え、残りの地域をドイツ連合として独立させるというものである。
この案は、いわばアナーキストの中でも夢想的な平和を求める集団によって構築されたものである。
その派閥における有力者、アルベール・カミュはBGT内においてこう訴えた。
 
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我々は確かに、古代から現代に至るまで、飽くなき闘争を続けてきた。
そうして流れた血は世界に存在する七つの海全てを満たしても尚溢れることであろう。
それをまた繰り返し、今時大戦をいわば「かつての戦争」を再現するものとするのが果たして、我々の

革命闘争にとって有益なものとなりうるのであろうか?
私は不退転の覚悟をもって、ここで宣言する。
ドイツに対して行われるありとあらゆる要求は『我々の戦争』の価値を致命的なまでに低めるものである、と!
我々は確かに闘争している。
我々は確かに戦争をしている。
しかし我々は、帝国主義的侵略戦争をしているのではない。
我々は『人類の解放と、人類が迎えるべき新たなる段階』へと至るために、戦争をしているのである。
故に、私は繰り返し、これを宣言する。
「ドイツ国家に対し、これを強いるような要求を行うべきではない」!!
「我々は、解放者でなければならない」!!!
 
この演説は後に『解放演説』と呼称され、歴史の1ページに加えられることとなったが、現時点においてはソレリアン・ジャコバンは勿論、第一次世界大戦と内戦において辛苦を味わった一部トラヴァイユール政治家達からの強烈な反対に遭った。
しかしアナーキスト及び平和主義的トラヴァイユールと、過激派の一部造反をもってこの案の採択を迫り、現実としてドイツは「欠けることのないドイツ」として新たな一歩を踏み出すこととなった。
 
……またこの時、ジャコバン・ソレリアンの中でも特別に過激な一部の政治家によって
「ドイツ全土併合案」
なるものが提出されようとしていたが、これは派閥内部において却下されている。
 
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そしてこの時、ドイツ帝国はアフリカで亡命政府を構築し、継戦を訴え続けていた。
 
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第二次リソジルメント

 
 
次に、イタリア社会主義共和国たっての希望で、イタリア連邦に対し宣戦布告が行われた。
 
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最前線にはアナーキストの頭目でもあるネストル・マフノが立ち、山岳猟兵らを指揮した。
 
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しかし、この戦闘で戦力をイタリア方面に貼り付けすぎたイタリア共和国側の失態により、シチリア島及び南イタリアの一部がフランス国粋派の手に渡る。
 
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それを把握したフランス・コミューン政府は、軍港に貼り付いたままであった水上艦隊及び、新造の重潜水艦隊を出撃させ、ナポリ湾を封鎖した。
 
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フランス・コミューン海軍の出撃に際し、戦闘経験が不足しているということが不安視されたが、ナポリ湾という限られた海域の封鎖であったこともあり、無事にシチリア島は奪還される。
その後、重潜水艦隊によって地中海における通商破壊作戦が実行されることとなるが、地中海東部キプロス島沖にて重潜水艦隊と協商国連合艦隊との海戦が発生する。
 
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結果は、潜水艦部隊一つと引き換えに
戦艦「マラヤ」
巡洋戦艦「ニュージーランド」
巡洋戦艦「フッド」
軽空母「ウェリントン」
を撃沈、戦果がフランス・コミューン海軍の門出を彩ることとなった。
 
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諸外国

 
 
また、アジアにおいても情勢に動きがあった。
 
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ドイツの商社であった東亜総合商社が現地中国人達による革命によって倒れ、新たに「中華民国」を立ち上げた。
中華民国は清や雲南軍閥、チベットや上清天国を併呑、そうした後に、奉天共和国の併合と中国の統一を志した中華民国は、大日本帝国に対し宣戦を布告した。
 
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新大陸においては、アメリカ革命戦争に勝利したアメリカ・サンディカリズム連合と協商国の盟主・カナダとの戦闘が開始される。
フランス・コミューン政府はこれに際し、文学者にして軍人であるアンドレ・マルロー率いる戦術爆撃機隊を派遣、戦闘を支援することを約束した。
 
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また、ドイツ連合独立の後に、バルト三国の連合国家である「バルト連合」*1と「ポーランド」の独立が宣言され、欧州地図は概ね以下のようになった。
 
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空母「ヴィクトル・ユーゴー」

 
 
フランス・コミューン海軍は、かねてより戦力の増強を企図し、多数の潜水艦に加えて空母・巡洋戦艦を建造することを決定した。
それらの艦のうち、とくに空母のような主力艦について、名称を公募することに決めた。
その中で一つ、重要な転換点とも言えるワンシーンがある。
正規空母の一つについて、その名称を「ヴィクトル・ユーゴー」とすることが決められたのである。
 
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ヴィクトル・ユーゴーは19世紀フランスの作家にして政治家であり、その政治的立場は微妙なものであった。
というのも、彼はナポレオン三世の独裁に反対した人物ではあったのだが、そのナポレオン三世の大統領選挙時には彼を支持していた等の事情があり、旧時代の芸術を打ち壊し、新たな芸術を生み出そうと
いう政治的運動もあり、その名前は徐々に忘れられつつあった。
しかし1940年代に入り、創作活動を行う政治家・軍人達が主導する"旧芸術再評価運動"が始まり
(勿論、その中には彼「アルベール・カミュ」も名を連ねる)
いわばその象徴として、空母の名称が決定されたのである。
 
 

1944年某日、自宅にて

 
 
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……ふう

「ヴィクトル・ユーゴー」の命名が決まったその日。
私は自宅で深くため息をつきながら、かのロシア総督ボリス・サヴィンコフとの会談の内容を思い出していた。
 
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『人生における最大の問題とはつまり、生きるか死ぬか、ということだ』
 
そう言いながら私は、自身の服のポケットを探った。
最初に触ったのとは別のポケットの煙草が手に触れた。
私は煙草を喫んだ。
一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。
 
 
次回。
「追放と王国」
 
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*1 バルト三国はそれぞれ民族が異なるが、他国からの侵略を退けることを念頭に置いたフランス・コミューン政府の判断により、三国の連合国家として独立することとなった

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Last-modified: 2019-07-30 (火) 02:22:07 (25d)