KRフランス・コミューン シーシュポスの神話

幸福な死

第三共和国の秋

 
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フランス・コミューン。
フランス第三共和政に事実上の終止符を打ったこの国家の道程は、血塗りの赤で染め上げられている。
 
事の始まり……と言えば、それは1919年のフランス労働総同盟(Confederation Generale du Travail)によるゼネラル・ストライキであったと言えるだろう。
彼ら(以降CGTと呼称する)はゼネストによる一撃によって現政府を崩壊させ、フランス国家を再構築しようと目論んでいた。
そのためにはまず第一に、この消耗戦をいち早く終結させる必要があった。
 
しかし、結論から言えばこのゼネストは成功の目を見なかった。
 
CGTはパリの実権を握ることは出来なかった。
 
 
 
何故なら、それよりも前にドイツ帝国陸軍オスカー・フォン・フーチェルの大攻勢によって、パリは陥落せしめられたからである。
 
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フランス南北戦争

 
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しかし、パリの陥落はフランスのサンディカリスト達を強く刺激した。
彼ら革命的サンディカリストは、ドイツ帝国によってフランスが全土占領されるその前に戦争を終わらせなければならないという焦燥に駆られた。
フランスの全土においてゼネラル・ストライキは過激化し、フランスの至るところで暴動が起きた。
政府は辞任を余儀なくされ、フランス国家は第三共和政から第四共和政へと移行し始めた。
 
もはやこの時点で、フランス国家は二分されていた。
即ち、北に位置するフランス革命政府。
そして、南に位置するフランス正統政府。
血を血で洗う内戦の始まりであった。

革命政府の体制確立

 
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革命の火が消えることを恐れたフランス革命政府はパリを確実に掌握しながら、1919年冬にドイツ帝国と和平を結んだ。
 
その内容は屈辱的なものであり、フランス側に残されていたロレーヌ地域のドイツによる併呑。フランドル=ワロンの独立を認めたのに加えて、多額の賠償金を支払うことにまで合意した。
 
「屈辱的な講話」の後にCGTは社会主義者、ジャコバン、アナキスト、リバタリアニストらと共に新たな憲法を作り始めた。
その間、彼らは自らの支配体制の確立と、反動勢力を地中海へ追いやることと、ジャコバン達による「ブルジョワ狩り」を防ぐことの三つを同時に並行して行わなければならなかった。
 
CGTは既にこの時、ジャコバン達を革命に不可欠な存在であると認めざるを得なかった。
CGTは彼らジャコバン達に軍事を任せる代わりに、憲法制定にあたって彼らの介入を制限することに成功した。
 

フランス・コミューンの誕生

 
やがてフランス革命政府は反動勢力を地中海の向こう側へと追いやることに成功した。
 
CGTはジャコバンの参画を許しながらも、その権力を制限することにより、合法的な革命政府としてのイメージを保つことに成功した。
 
フランス第三共和政は終わりを告げ、新たなるフランスが生まれた。
『幸福な死』の後に生まれるのは果たして地獄か、混沌か、それとも……
 
 
 
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【KRフランスコミューン】1936年/裏と表に進む
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Last-modified: 2019-04-22 (月) 19:56:30 (33d)