「帝国主義打倒」
――フランス共産党機関紙:リュマニテ 独ソ戦前、最後の号の一面より


短い平和

日本は未だ抵抗を続けているが、ひとまず欧州の戦いは終わった。
連合-共産陣営間はともかくフランスは他の陣営と協調関係に無く、陣営間の交渉はされず占領地域がそのまま陣営に引き込まれた。
その歪な国境がいずれ問題になることは簡単に予想できた。

ソビエト連邦は自国に忠実な社会主義国家を独立させていった。
一方のフランスは連合国より先に現地の行政機関に携われるだけの人員を囲い込むためギリシャを独立させるにとどまった。
両国ともに共通しているのは独立しても傀儡国からは脱せさせなかったことだ。

コミュニズムとエセ・ファシズム

ヴィシーフランスとソビエト連邦の関係は劣悪なのはほんの少しでも他国に関心がある者からすれば言うまでもないだろう。
フランスは1940年の対独戦における敗北の一因が「モスクワの長女」とまで呼ばれるフランス共産党にあると考えていた。
ソ連にとってヴィシーフランスは本来得られるべきだった対独戦の報酬である中央ヨーロッパを掠め取った卑怯者だ。
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両者は対独戦の間でさえ戦闘行為こそ無くともソ連とその衛星国からヴィシーフランス陣営への工作活動は頻繁に行われた。
こうした経緯から両陣営とも国境沿いに軍を展開していた。

4月ソ連は衛星国から軍を引き上げる。
直轄領のオーストリア北部には変らずであったが少なくともゆるやかな緊張緩和が予想された。
これを受けてかユーゴスラビア西部を占領していたアメリカが現地政府を設立し撤退を開始。

しかしその予想は正反対だった。
5月2日、ソ連はヴィシーフランスに宣戦布告。
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オーストリア北部におよそ全軍の三分の一を集中させたソ連陸軍が戦線中央を突破するべく進撃を開始した。
この時の両陣営の陸軍規模はソ連側が圧倒的に優位であり、単なる平押しでも勝利できてもおかしくない差が開いていた。

ヴィシーフランス軍の防衛計画は複雑ではない。
ドイツ、イタリアを戦場とした遅滞・包囲戦は、両国の工業力抜きでは長期的に一切の勝ち目が無いとされ却下。
機甲師団どころか自動車化師団を2個しか持たない陸軍にまともな機動戦もできない。
つまりオーデル川、エルツ山地(ドイツ・チェコ国境)アルプス山脈を防衛線とした静的防衛しかなかった。

緒戦

開戦と同時にオーストリアのソ連軍は南進し早期にアルプス山脈の突破を目指す。
一方のフランス軍は中央、南部戦線でそれを防ぎつつ、がら空きのソ連衛星国ポーランド・チェコスロバキアを侵攻する。
これは当初の防衛計画を無視したような動きに見えるが、この時は単にインフラを破壊する程度に考えられていた。

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あまりに何もないポーランド・チェコスロバキアを進軍するヴィシーフランス軍は、12日ついにチェコスロバキア社会主義共和国を併合する。

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18日、ハンガリー社会主義共和国も崩壊し、オーストリアにあるソ連軍は孤立した。

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19日にポーランド人民共和国、22日にはトルコ方面から進軍した歩兵師団がユーゴスラビア社会主義連邦共和国、6月12日にルーマニア人民共和国がそれぞれ崩壊。
戦線は一気に東へ進んだ。

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6月の末にもなると、衛星国から退去していたソ連軍が仏ソ国境に現れるようになり西進、包囲を解く構えを見せた。
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しかし既に包囲下のソ連軍はウィーンに押し込まれ、最後の攻勢を受け28日に降伏。
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開戦から2か月足らずで70師団以上のソ連陸軍が壊滅した。

中盤

ソ連陸軍の平押しで終わるはずだった仏ソ戦はまるで数年前の独ソ戦のような戦線を作った。
ただしその内情は全く異なる。
ソ連軍は十分な機甲師団とそれを援護する航空戦力を持ち、一時期最強だったドイツ軍を事実上単独で押し返した実績がある。
一方のヴィシーフランス軍には機甲師団は一切ない。
量の面では緒戦においてソ連軍の大損害によってようやく両陣営の戦力はある程度縮まった。
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工業力ではソ連の比べフランス陣営は仏独伊三か国を合わせて同等である。
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絶望的でないにしろ質と量で負け生産力は同等のフランスは民兵師団を編成することで対応した。
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歩兵師団を1つ編成する間に民兵師団はおよそ2.5師団編成でき、連続生産および装備の更新を考えるとこの差はもっと広がる。
つまるところ人的資源が切れるまでは歩兵師団より民兵師団を編成した方が戦力は増える。

なぜフランスはこのような人数ばかり集め貧弱な装備しか渡さない動員を可能としたのか?
異常なほどの砲撃の後を進んだのにもかかわらず千万を超える死者を出した第一次世界大戦の被害を忘れたのか?
その問いは30年前にあり、答えは4年前と半年前にある。
4年前の軍への批判、消極的態度、敗北主義こそが敗北につながる。
それを克服したのは現体制の権威主義・軍事優先の考えだ。
無論一部の危険を訴える人々が居たが、大多数の意思と強権的な体制の前に沈黙せざる負えなかった。

ところ変わってフィンランドとトルコはどうなったのか。
トルコ戦線はインフラが悪いアナトリア半島の根元で膠着状態に陥っていた。
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フィンランドは意外でもないことだが、フランスを裏切り共産陣営へ寝返っていた。

7月17日
ナチスドイツが在ったころ、スペインとヴィシーフランスの関係は悪かった。
スペインはアフリカ植民地を欲していたからだ。

ナチスドイツが滅んだ後、フランスは同じ権威主義政権としてスペイン国との関係改善に尽力してきた。
その成果がようやく実を結びスペイン国がフランスと同盟を要請するに至った。
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これにより余裕ができたと判断したフランス軍は攻勢計画を立てる。

8月
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フランス軍は北部において攻勢を開始。

ほぼ同時にフィンランドへの上陸作戦も行われ守備隊を排除、現地の政権が崩壊する。
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翌月にはレニングラード、アルハンゲリスクへも上陸。
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カレリア・コラ半島の分断を意図する。

ドクトリンが遅れていたスペイン軍が配置された中央戦線が一部突破される事態が起きた。
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突破したのは中・軽戦車・自動車化師団でドイツ国境まで迫ったものの、突破地点を封鎖され鉄道で輸送された民兵師団によって止められた。

11月
フィンランド攻勢に味を占めたフランスは黒海でも同様の攻勢を行おうと画策。
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イタリアの海軍爆撃機と同盟国の戦闘機によって黒海のソ連戦艦を排除しようと試みた。
しかしソ連空軍の激しい迎撃に合い失敗し中止となる。
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23日
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中央戦線における攻勢が失敗。

海戦

1940年代に入ってからソ連海軍は増強され艦種・隻数ならフランス海軍と同等となっていた。
しかし黒海、バルト海をそれぞれ封鎖され、分断されたため北方でのフランスの作戦を阻止することはかなわなかった。
フランス海軍は主力艦を一隻も損失せず、バルト海・バレンツ・白海のロシア海軍を掃討。
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輸送船団殲滅を含めた海上封鎖こそ達成できなかったが、陸海共同の海上機動戦を効率的に行った。

終盤

45年
3月
スカンジナビア半島のソビエト軍が降伏。
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フランスのスカンジナビア半島方面軍はモスクワではなく南下しベラルーシへと進む。

4月
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ソ連軍が中央戦線を突破し戦車師団が浸透する。

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月末
ソ連軍突出部が寸断される。

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5月11日
完全に分断。

30日
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6月3日
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ウクライナ北部において南部のソ連軍ほぼ全軍が包囲下に置かれる。

30日
モスクワ制圧

7月10日
アメリカが満州に上陸。

12日
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北部方位

28日
アメリカ合衆国が満州国を併合。
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8月1日
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サハラ以南のフランスアフリカ植民地が自由フランスに付く。

9月12日
ベラルーシ独立。

10月4日
スペイン国が日本に宣戦布告。

11月6日
フランスがモンゴル人民共和国を併合。

11日
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フランスがソビエト連邦を併合。

コメント返信

第三帝国が残ってるから、右派独裁でも西ドイツを作れるのか --  &new{2018-04-22 (日) 19:14:37};

閣僚全員社会保守派で笑えて来ます。

枢軸国情勢は理解不能 -- [[アメリカ政府]] &new{2018-04-22 (日) 21:37:21};

私が正式なフランスって言葉は嘘だったんですか!(史実ではアントン作戦までヴィシー政府を承認)

ww1末期にオーストリア帝国という泥舟から各民族が逃げ出したのと同じでは --  &new{2018-04-22 (日) 21:52:52};

ドイツ人に帝国は合わないようで。

これは戦後に本家フランスを決めるための新たな戦いが必要ですね --  &new{2018-04-23 (月) 17:11:22};

来いよドゴール!連合なんて抜けてかかってこい!

いっそ新しいフランスを作るというのはいかがかな? -- [[ [[ソ連 ]]]] &new{2018-04-23 (月) 20:25:21};

いっそ新しいロシアを作るというのはいかがかな?

実績がマダガスカル掠め取っただけの自由フランスじゃド・ゴールがうるさいし、米英からあっさり切り捨てられそう --  &new{2018-04-24 (火) 06:56:31};

一応はシリアも……

案外自由フランスが合流するかもしれんしな。本家フランスを決める戦いはHEAMのフランス内戦があるが --  &new{2018-04-24 (火) 17:20:58};

海軍と資金とレンドリースが欲しいのでぜひ合流してほしい。

バニラ41年ドイツ君は結構ナメクジじみてる --  &new{2018-04-23 (月) 21:38:37};

戦車師団を治安維持にあてちゃったりしますからね。

ヴィシーが世界的に優勢なのに勝手に自由フランスに降るアフリカ植民地に草 --  &new{2018-05-19 (土) 09:21:05};

北アフリカ以外はあんまり資源ないので持って行っていいんですけどね、不満度さえなかったら。

noneのヴィシーはアメリカと同盟組めたり成立時の航空機削除が機能してなくてフランスの時に大量のCAS作って引き継げたり面白い国だったなお中核州 --  &new{2018-05-19 (土) 10:52:44};

史実では空軍解体の危機にあり、皮肉にもメル・ゼル・ケビル事件によって存続できたようです。

まさか、フランスで人海戦術をやるとは。 --  &new{2018-05-19 (土) 16:51:10};

DH機動戦ドクトリンにおいて、溜まったままの人的資源は遊兵。

復員テクを利用すればフランスでもいけるという事だね。ていうか極端な右派独裁だとソ連は反応するのか --  &new{2018-05-19 (土) 18:05:38};

復員テク本気でやれば熟練度が付きます。ソ連の条件はほんとに分からないですね。

さっき東欧で見た、フランス兄貴凄かったです!わざと自陣を突破させてから突出した敵を包囲殲滅する、「肉を切らせて骨を断つ」戦法を見て、ビンビンに感じまくってます! --  &new{2018-05-19 (土) 18:45:19};

肉?……戦場となったポーランド・チェコスロバキアは残念でした。


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Last-modified: 2018-05-19 (土) 01:16:06 (30d)