「大砲かバターか、という議論はナンセンスだ。大砲があれば、バターも手に入る」*1


敗北の歴史

http://art1.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254820121_org.png
ヴィシーフランス*2、正式国名はフランス国。
1940年、ドイツの赤作戦発動から2ヵ月も経たず降伏したフランス第三共和政に変わりフランス南東部に成立した国。
そのフランスの名を持つ国が未だフランスと言う場所に存在することが許されているのは
フランスが持つ広大な北アフリカと海軍が連合国側に渡るのを恐れたためだと言われている。

http://art1.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254820123_org.png
アルザス=ロレーヌはドイツに割譲されたものの、それ以外の地域ではヴィシーフランスの領土とされた。
しかしパリを含むフランス北部と西部はドイツの軍政下に置かれ、明確に国家としての主権が及ぶ範囲は南東部に限られている。
http://art5.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254820117_org.png
また軍政を布く軍の占領コストはヴィシーフランス側が支払うこととなり財政を圧迫している。

かつて陸軍大国と呼ばれた陸軍もまた厳しく制限された。
ドイツが低地諸国に侵攻を開始した時点で機甲師団6師団を含む149師団を保有していたフランス本土軍は、今僅かに30師団のみとなっている。

海軍もまたつい先ほどまで味方であったイギリスの手により弱体化、もしくは自由フランスに合流。
結果73隻から41隻まで縮小した。

フランスを持てる者たらしめた植民地はインドシナを日本が抑え、アフリカをイタリアとスペインが求めている。
アフリカ半部、後にシリアも自由フランスが占領する。

軍事力とそれを生み出す国土を失ったフランスは今や二等国となっている。
フランスが栄光を取り戻す日は来るのか、はたまたただの地名になるのかまだ誰にも分からない。

脇道の戦い

1941年6月
当時の各国新聞の一面には独ソ開戦の報が載った。
国家社会主義のドイツと社会主義の総本山たるソ連の決戦。
世界がその動きに注目した中、もう一つの戦いが始まった。
ヴィシーフランスがトルコに侵攻したのだ。

トルコの軍事的な位置は重い。
西には枢軸圏の下腹であるバルカン半島、北東には共産圏の油田のカフカス地方、南には連合国の航路であるスエズに繋がるシリア。
どの陣営にとって無視できるものではないがどの陣営も余裕がない今、一応軍事的には中立を保つヴィシーフランスに掣肘する余裕は無かった。
結局、各国はせいぜい非難声明しか出さず具体的な干渉は行われなかった。

独ソ開戦の衝撃はトルコの指揮系統に混乱を与え、沿岸部のガリポリが無防備になったところをヴィシーフランスが急襲。
http://art1.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254247468_org.jpg

ガリポリにヴィシーフランス軍の第一陣が乗り込んだ時点で勝敗は決していた。
弱体化したとはいえ列強崩れの陸軍を持つヴィシーフランスに対しトルコ陸軍はあまりに少なく、
海上輸送を阻止するための海空軍もまた同様だった。
http://art1.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254247476_org.jpg
http://art1.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254247510_org.jpg

7月にトルコ南部のアンタキヤにもヴィシーフランス軍が上陸。
http://art1.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254247472_org.jpg

翌1月にはトルコ軍は東部に押し込まれトルコ政府はいつ崩壊してもおかしくない状態になる。
この間複数回トルコ側からヴィシーフランスに国土の半分以上を含む領土割譲を条件に講和が申し込まれたがこれはすべて失敗に終わった。
http://art5.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254247503_org.jpg

同月にパルチザンが発生。
ヴィシーフランスは一貫してトルコに傀儡政府を樹立することを条件とし一切の譲歩を拒否。
1942年2月18日、最終的にトルコ側が事態の長期化をさけるため折れることとなる。
http://art5.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254247507_org.jpg

大西洋の壁

http://art1.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254247480_org.jpg
仏土戦の最中においてもフランスは同時にドイツの要求に応えた。
大西洋の壁とはイギリス本土からの連合国軍の侵攻に備えて、ドイツによってヨーロッパ西部の海岸に構築された広範囲な湾岸防衛線。
対ソ戦の最中で人的資源が払底しているドイツにこれほどの施設を構築するだけの余裕はなく、足りない人手はドイツ占領・影響下の国々から集められた。
当然その中に含まれるフランス人も多く最終的に60万人も動員されることとなる。

ダカール沖海戦

http://art1.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254247493_org.jpg
双方が本格的な軍事衝突を望まない以上、長続きはしない。
しかしヴィシーフランスとしては連合に屈しないという意思をドイツへ示す必要があった。
結果、本格的でないにしろ報復としてヴィシーフランスによるジブラルタル爆撃が行われた。

リヨン特別法廷

http://art5.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254247498_org.jpg
裁判の目的を考えれば失敗であった。
ドイツやアメリカ等諸外国に批判的に取られ、自国民にすら欺瞞に満ちたものとされた。
唯一の功績として政府機能を強化することには成功した面も持ち合わせた。

物と金

http://art1.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254821806_org.jpg
イギリス以外の多くの国家によって"フランスの国家"として認められるヴィシーフランスはさも当然のように自由な貿易を行った。
その中には石油も含まれ、困窮する財政をいくらか助けた。

http://art5.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254822910_org.jpg
計画的経済の元大量の軍事物資が作られ自由主義国家に輸出が行われた。
それを元手に政府主導による研究機関への投資が複数回行われさらに計画経済が推し進められた。
どのような形であれ経済が活発であり国民の不満も収まりつつあった。

相対的優勢

先の冬戦争で領土をソ連に割譲したフィンランドはドイツに便乗する形で対ソ宣戦をしたものの
逆に戦線を押し込まれることとなり、8月20日枢軸を脱退、ソ連と原状回復で講和を結ぶこととなる。

ソ連を仮想的敵とし軍備を整え配置するフィンランドはヴィシーフランスの目にとまった。

http://art1.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254823373_org.jpg
1942年5月9日、ヴィシーフランスはフィンランドに宣戦布告。
無防備な沿岸部に上陸後、首都ヘルシンキ周辺の都市部をすぐさま制圧しフィンランドの継戦能力は短期間で失われた。

http://art5.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254823377_org.jpg
フィンランドはいくらかの領土を引き換えに講和をを求めるがヴィシーフランスはこれを拒否。
ヴィシーフランスが求めるのはまた傀儡化であった。

43年
2月
http://art5.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254823564_org.jpg
仏芬戦争は冬に突入し幾月かが過ぎたが奇跡は起きようが無かった。
7日、ついに北部の一部に追いやられたフィンランド軍および政府は傀儡化の条件を受託し和平が成立。

大陸軍の再編

トルコ・フィンランド両国は協定に従い事実上無償で師団組織をヴィシーフランスに譲渡した。
*3
これによりヴィシーフランス軍は短期間で急速に拡充することに成功する。
さらにドイツを手本とした陸軍ドクトリンも取り入れられ、戦闘効率が飛躍的に向上しつつあった。

歴史の本流

一般的に独ソ戦はドイツの優勢だと思われた。
陸軍大国であったフランスを一蹴したドイツと小国フィンランドにさえ苦戦するソ連と見ていたからだ。
しかしドイツのソ連侵攻作戦は序盤のみでありラトビアからドニエプル川までで終わってしまった。

1941年9月10日
http://art1.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254247487_org.jpg
イギリス軍がギリシャに上陸。

10月19日
http://art5.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254825000_org.png
ほぼドイツの最大版図

1942年
1月10日
真珠湾攻撃

21日
http://art1.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254821801_org.jpg
マダガスカルが自由フランスに合流。

3月26日
http://art1.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254822916_org.jpg
イギリスがクロアチアを併合。

11月10日
ルーマニアがドイツを裏切りソ連に寝返る。

12月12日
ブルガリアがドイツを裏切りソ連に寝返る。

1943年
1月3日
日本、フィリピン併合。

23日
ハンガリーがドイツを裏切りソ連に寝返る。

3月13日
http://art5.photozou.jp/pub/40/3184040/photo/254825006_org.png


*1 アルベール・シャンボン著 福元啓二郎訳「仏レジスタンスの真実 神話・伝説・タブーの終わり」より
*2 ヴィシー政権の名は広報で使用を禁じられた
*3 傀儡国は一定以上の物資資源を宗主国に上納するので傀儡国に物資を材料に包括的交渉を行うと実質無償で取引できる

トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2018-03-29 (木) 02:27:12 (181d)