中国分裂

1IF39Sw.png

北京政府に加えて新たに5勢力と交戦状態になった日本で御座いましたが、既に奉天軍閥は降伏、直隷軍閥は死に体。

モンゴル騎兵は新時代の機動戦力に蹴散らされるばかり。

護法派軍閥群も質どころか数でさえ劣っていました為、帝国陸軍が負ける道理はありません。

軍司令官は策も術も無く戦車を漫然と進めるのみ。

参謀本部の仕事は険阻な華南の地形から戦車の進軍路を探す事と、占領地におけるパルチザン掃討作戦の立案だけでした。

蒋介石は海口の戦いで戦死。

汪兆銘はフランスに亡命。

残された国民党幹部は無条件降伏を受け入れる事しか道は残されていません。

孫文の夢見た統一は幻となります。

S88jp8U.png

広東政府を解散させた日本は、各軍閥との講話交渉を始めます。

最後まで抵抗した雲南軍閥が講話に応じたのが、昭和5年4月。

戦後、上海にて開催された会議では、中国は日本の指導下で6つの独立国に再編される事が決定されました。

AMP06Ns.png

まず直隷軍閥は熱河省と察哈爾省を放棄し、残された支配地域のみが後に中華民国と呼ばれます。

モンゴル人地域を失った馬家軍は回回共和国に。

重慶周辺も管轄する事となった雲南軍閥は雲南共和国へ。

広西軍閥は四川省を除く広東政府支配地域が順次与えられる事になり、大粤民国となります。

奉天軍閥は熱河省を得て満州国と改名。

モンゴルも蒙古国と名を改め、悲願の内外統一を果たしました。

各新国家の大半は開戦前の指導層を引き継ぎます。

しかし満州国は張作霖・張学良親子が変死を遂げ、蒙古国はボグド・ハーン亡き後は親ソ政権だった事から解散。

新政府立ち上げまで日本の統治を受けます。

26yB8rd.png

NFWjvdN.png

日本はさらに財界と軍の要請に応じて上海・福州・海南島・山東半島・ウルギーを新たに租借。

他には列強権益の追認、国権回復運動の平和的推進、日本軍の無期限無制限駐留、日本人の経済活動の自由が採択されました。

この中国支配を、アジア主義者達は、西洋覇道の走狗に成り下がったと非難。

国際協調派からは、中国を独占しては列強から睨まれるのではないかと危惧されます。

ですが殆どの日本人は諸手を挙げて濱口内閣を称賛しました。

thrXytL.png

幣原外相が、強権的でな対中干渉外交に舵を切った訳は、国内外の情勢が影響しておりました。

国内では、中国のほぼ全土を占領する大勝利に、国民の熱狂醒めやらず、軍と右翼は気炎を上げ、生半可な条件では日比谷が再び燃えかねなかった為。

国外では、フランスが再び英米と手を結びドイツに宣戦布告した為です。

Anhg4xw.png

大戦の終わりは全く見通しがつかず、特需景気も果て無し。

膨らみ続ける経済に、内閣は破裂の時を恐れ、軟着陸の為に中国市場の確保は至上命題となっておりました。

さらには15年を超して続く空前絶後の大戦争はそれまでの世界を根底から覆したのです。

KlVF7HY.png

9xPuUyo.png

JZp4Fzd.png

xL3toFL.png

正義なる人ウィルソンは世を去りました。

イギリスでは初の労働党首相が誕生。

独伊では国家社会主義運動なるものが生まれるも政権を取る程にはありません。

平和の祭典オリンピックは4度開催に失敗。

何が起きても不思議ではなくなった時代。

内閣は万事に備えなければなりません。

その筆頭はソビエト及び共産主義の動向でしょう。

大戦の外に立つ列強は日本とソビエトのみ。

内戦の傷も癒えた彼らが何をしでかすか。

うかうかしていては列強植民地に共産主義が蔓延するのは必定。

歩みだした新生中国の安定も脅かされかねません。

少なくとも大戦が終わる迄、アジアの行く末は日本の双肩にかかっていると濱口首相は考えておりました。


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2020-10-18 (日) 21:08:41